2.赤いリボン
白雪姫の葬儀が執り行われ、王妃様が着々とことの準備をしているあいだ、山の向こうの白雪姫は、慣れない家事に四苦八苦する日々を送っていました。
白雪姫の仕事は多岐にわたりました。
まず、朝早く起きて朝食の支度をし、小人たちを起こして、彼らが食べているあいだに昼の分の弁当をこしらえます。それから小人たちを鉱山へ送り出し、やっと自分の朝食です。メニューは、朝ごはんと弁当作りあまった残りもの。城にいたころは、朝は食欲がなくよく食べ残していましたが、すでにひと仕事終えたあとなので、それはもう別人のように食欲がわいてくるのでした。
食卓を片づけたあとは洗濯が待っています。七人の小人が思い思いの場所に脱ぎ捨てた服を回収し、井戸水をくんで桶で洗います。鉱山で働いているだけあって、かなり汚れています。そのうち手洗いが面倒になって足で踏み洗うことを思いつきましたが、真冬は困難な作業であること間違いなしです。洗い終わったらよくしぼってしわを伸ばし、物干しにかけます。雨の場合は屋内に干さなければならず、生乾きのにおいで悲惨です。これだけで、午前中は手いっぱいです。
簡単な昼食をすませたら、次は掃除です。
棚のほこりをはらい、水回りをきれいにし、出しっぱなしの本やチェス盤を戻し、床を掃いて、余裕があれば雑巾がけをします。ベッドの下はさぞかしほこりがたまっているでしょうが、この家で唯一の個人的なスペースなので、手は出さないことになっています。きっと宝石や金貨などのへそくりが隠してあるにちがいないと白雪姫は思いました。なんであれ、掃除すべきところが減るのは助かります。
掃除が終われば、ティーブレイク。1日のうちでもっともゆったりしたひとときです。お茶好きの小人に教えてもらったやり方で紅茶を入れます。砂糖はたっぷり。
こうなると、欲しくなるのはお茶菓子です。ここに来た当初は家事に次ぐ家事でへとへとになり、とてもお菓子作りなどの趣味する余力は残っていませんでしたが、だんだん要領がよくなり、手を抜くことをおぼえてくると、ささやかな楽しみを求めるようになりました。小人たちは働き者で、食料には事欠かなかったので、特に文句を言われることもありません。むしろ夕飯のあとにデザートが出たり、弁当にお菓子がつけたされるのを喜びました。わざわざ人里に出かけて、レシピの本や専用の調理器具を買ってきたほどです。
休息がすんだら、夕飯作りです。1日のうちでいちばん手のこんだ食事にします。仕事を終えてきた小人たちは食欲旺盛で、量もたくさん必要になります。小人たちが早く帰ってくれば手伝ってもらうこともありますが、あまり期待はできません。
嵐のような「おかわり」の合唱が終わると、後片付けをしてさっさと寝ます。小人たちは酒盛り、談笑、読書などをしていますが、白雪姫は明日も早起きして朝ごはんを作らなければなりません。そして、睡眠不足はお肌と成長期の敵なのです。
眠りにつく前、白雪姫はいつもあの紫の香水びんを取りだし、王妃様のことを思い出します。お城での豊かで優雅な生活のことも。おやすみのキスも。すべてはもう取り戻せません。自分がどんなに恵まれた暮らしをしていたか、それが何の上に成り立っていたか、今ならわかりました。
あるとき白雪姫は思い立ち、アップルパイを作ることにしました。王妃様との思い出の象徴であるアップルパイを作るのはためらいもありましたが、なんだか急に食べたくなったのです。一種のホームシックでした。
ちょうど昨日小人たちが市場で買ってきたりんごがあったので、それを使うことにしました。とてもつやつやして形がよく、そのままかぶりつきたくなるようなりんごでした。
さくりと包丁を入れ、二つにわります。
絵に描いたような、みずみずしくてきれいな断面。
ふわりと鼻をかすめるかぐわしい匂い。
そしてその完璧な美しさを汚す、一点の黒い穴……
白雪姫は眉をひそめ、これは何かしらとりんごを顔に近づけました。
そのときです。
黒い穴からひょっこりと顔を出したもの……いも虫!!
硬直した白雪姫の全身を悪寒が走り抜けました。
「〇△◆□×※~っ!!!」
言葉にならない悲鳴を上げ、半分になったりんごを放り投げます。
りんごはいも虫を内蔵したままきれいな放物線を描き、窓の外へ。
白雪姫はその場にしゃがみこみ、動悸がおさまるまでしばらくそのままでいました。やっと落ち着いてきたところで、かごいっぱいに積まれたりんごを凝視します。
瞬時によみがえるおぞましい光景。
もはや耐えられませんでした。
びくびくしながらかごをつかみ外へ出ると、中身をひっくり返しました。あとは森の動物たちがなんとかしてくれるでしょう。かごの中に何も残っていないことを入念に確認してから、台所へ戻りました。
その日の夜、鉱山から帰ってきた小人たちは白雪姫の顔色の悪さに驚き、いったい何があったのか尋ねました。しかし白雪姫は静かに首を振るばかりで、何もしゃべりませんでした。小人たちはいぶかりましたが、きっと家事労働で疲れてしまったのだろうと思い、その日から少しだけ、白雪姫の仕事を減らすことにしました。
王妃様の白雪姫暗殺計画は、つつがなく進行中でした。
山の中に住んでいる白雪姫はきっとかわいい小物に飢えているはず。
お城にいたころ、白雪姫はきらきらしたアクセサリーやひらひらしたドレスが大好きだったのを、王妃様はよく憶えていらっしゃいました。
そこで、色とりどりのリボンや胸ひもをかごにつめ、物売りのふりをして訪ねることにしたのです。
王妃様はご自分をこの上なく魅力的に見せるすべを知っていましたが、同時にこの上なく醜悪に見せるにはどうしたらよいかもよくご存じでした。
深いしわと、ひびわれた唇、血管の浮き出た肌を見事に化粧で再現し、白いかつらをかぶって腰を曲げれば、それはもうどこからどう見ても年季の入ったおばあさんでした。
慎み深い王妃様は、愛娘の喪が明けるのを待ってから、だれにも気づかれぬようこっそりと城を抜け出し、七人の小人の家まで馬を走らせました。
七つの山を越え、ようやくたどり着いた小人の家では、白雪姫が洗濯物干している真っ最中でした。
「こんにちはお嬢さん。きれいな小物はいらんかね?」
「ごめんなさい、今ちょっと忙しくて。それにわたし、お金は持っていないの」
白雪姫はぽいぽいと手際よくシャツやズボンを引っかけていきます。
王妃様は少し意外なことで目をみはりましたが、引きさがるわけにはいきません。
「まあそう言わず。そうだね、こんなに働き者のお嬢さんにはたっぷりおまけしなくちゃね。あたしはのどが渇いているから、たっぷりと水をくれれば特別にどれかひとつプレゼントするよ」
「えっ、本当に?」
白雪姫は興味を示しました。
王妃様はここぞとばかりに、色とりどりのリボンの入ったかごを披露しました。
「まあ、なんてきれいなの!」
白雪姫は歓声を上げ、かごの中身に目を奪われました。
「本当にもらっていいの?」
「ああ、どれでも好きなものをお選び」
白雪姫は悩みに悩んだすえ、白い肌によく映える真っ赤なリボンを選びました。
「これがいいわ」
「きっとよく似合うよ。どれ、あたしが結んであげよう」
王妃様は赤いリボンをとって白雪姫の背後にまわりました。そこで、えいやっと力強く白雪姫の首を締め上げました。
「あっ…なに……する……」
おばあさんらしい見かけからは想像もつかない腕力に、白雪姫は恐怖よりも驚きを感じながら、急激に力を失ってばたりと倒れました。そのまま、ぴくりとも動きません。
王妃様は白雪姫の首からゆっくりと手を離し、はずんだ呼吸を整えました。それから白雪姫が息をしていないのを確かめ、かごを手に取ると、足早に小人の家から立ち去りました。
一度だけ振り返りましたが、やはり白雪姫は倒れたままで、干したばかりの洗濯物がぱたぱたと風にはためいていました。




