34.惑星F25⑥
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エンジン全開で転回した瞬間、船の船体が嫌な悲鳴を上げる。
逃げると言った途端、君の体の奥底から緊張と興奮が入り混じった "熱" がこみ上げてきた。
君は操縦桿を握る手に汗がにじむのを感じながら、舌打ち混じりに呟く。
「ったく、やべえもんに会っちまったな……!」
言葉とは裏腹に、口元には笑み。
君という人間はこういうのが好きなのだ。
危機から逃れようとする時の、下っ腹がキュウとなるこの感覚。
君は咄嗟に舵を切った。
次瞬、ぶわん、と低音が炸裂し、船体が大きく揺さぶられる。
まるで巨大な拳で殴りつけられたかのように警告ランプが一斉に点滅し、君の視界が一瞬真っ白に染まった。
白鯨の巨体から、まるで砲弾のように濃縮されたガスの塊が放たれたのだ。
“空気の塊”が、一発、また一発と白鯨の口吻付近から高速で射出され、こっちへ向かってくる。
ミラの警告が甲高い声で艦内に響く。
『船尾シールドが25%ほど損傷。 外板の一部に変形が見られます。また、船体下部のモニターに異常。機関部の温度が急上昇しています』
心なしかミラの声が焦りを帯びているような気もするが、気のせいかもしれない。
否、きっと気のせいじゃない。
ミラは感情を持たないはずだが、どうにもその声がいつもより硬質に響くのだ。
「チッ……仕方ない、シールドを少し落とすしかねえな。出力を抑えなきゃ、このままじゃワープにも影響が出る」
シールドは機関部に大きく負担をかける。
仮に損傷でもしてしまえばワープ・ドライブが出来なくなるかもしれない。
君は舌打ちしつつ操縦パネルを操作した。
シールド強度を落とすと、そのぶん外部からの熱や有害ガスの影響は大きくなるが、機関部を冷やすためにはやむを得ない。
更に船体が激しく揺さぶられる。
ガスの濁流が船の腹を手荒く引っかくような重低音が鳴り渡り、君の意識が一瞬遠のきそうになった。
『上昇気流が複数発生しています。嵐が近いようです』
「ナニソレ? 俺の人生じゃないんだからさあ」
惑星F25の大気は常に複雑な渦を巻き上げているが、中でも嵐が始まると猛烈な風圧とガスのうねりが一帯を飲み込む。
船をまともに操縦するのは至難の業だ。
それだけじゃない。
白鯨の気配はまだ後方にあった。
もし嵐が加速の邪魔をしてくるなら、あの巨体が追いつくかもしれない。
「くそ、少し上空へ逃げるぞ。下手に渦へ突っ込むよりマシだ。それに今思いついたんだけど、俺の人生みたいにろくでもないって事なら、ワンチャンあるかもしれないしな!」
そう言って操縦桿を上に引くと、船は急激に高度を上げ始める。
すると画面に映るガスの色味が変わり、紫や青から深い緑へとグラデーションを描いていく。
上層ほどガスの密度は相対的に低くなるが、巻き起こる乱気流は激しさを増す。
それでも大嵐の真っ只中よりはマシだと思い、君はさらに舵を切る。
『船首部に大きな衝撃を検知。流速が上がり、衝撃度が増大しています』
「わかってる、わかってるって……!」
船窓の向こうでは巨大な雲の塊が渦を巻き、怒涛の勢いで迫ってくる。
実際には雲というよりガスの塊なのだが、規模が違いすぎるか、ガスの波が大空いっぱいに広がり巨大な虹色の壁を築いているように見える。
『後方より質量反応を再検出しました。推定距離2000……1800……』
「早いな……」
惑星F25のガス流はランダムなようでいて、実際はある程度の循環パターンが存在する。
もしかすると白鯨はこの星の流れを完全に把握し、最適なルートで追跡しているのかもしれない。
『ケージ、アレを使いましょう』
「アレか……」
一瞬迷ったが、君は腹を括った。
操縦席の下にあるスイッチ群へと手を伸ばす。
そこには非常用の噴射装置や、推進力を一時的に爆上げするためのブースターがある。
ただ、そのブースターを使うと船への負担が大きく、まともにコントロールできなくなる危険もある。
けれど白鯨に追いつかれて丸呑みされるよりマシだ。
深呼吸してからスイッチを押し込む。すぐさま船底から重低音が響き渡り、振動が操縦桿を介して君の両腕に伝わる。
船体が前のめりに弾かれるようにグンと加速し、視界が一瞬色を失うほどのGが君の体を圧迫した。
「く、はぁ……! いけ、ぶっちぎれ……!」
わずかに視界が明るさを取り戻し、君は操縦盤の数字を確認する。
速度は上昇している。
船窓の外で渦巻くガスが鮮やかな残像を引きながら遠ざかっていく。
こうなると、嵐の渦も追いつきにくいはずだ。
問題は、船体がこの加速にいつまで耐えられるか。
君は歯を食いしばり、さらに操縦桿を押し込んだ。すると船はタービュランス(乱気流)の中をものともせず、猛スピードで上昇していく。
視界に映るガスの色がいっそう淡くなり、上層域へと近づいているのが分かる。
その色彩変化は幻想的で美しいが、しかし君には不気味にも思えた。
地球の雲海を幾重にも重ねたようなガス層が、いやらしいほどにうごめき、ゆらゆらとうねっているのだ。
まるで巨大な生物の体内を逆行しているような、そんな光景。
『後方との距離が3000まで広がりました。追撃速度がやや低下したようです』
「よし……! ブースター、ここらで一旦カットしてくれ」
『了解しました』
ブースターを切ると、すさまじかった振動が嘘のように静まる。
ただし、船内にはまだ高熱がこもっているし、シールド損傷も放置したままだ。
短時間でいいから冷却がほしいところだが、立ち止まっていたら背後から捕捉される危険性がある。
「ふう……でもまあ、あいつもさすがにこんな乱気流の中は楽じゃないだろ。白鯨といっても船ほどスイスイってわけにゃいかない……はずだよな?」
自分に言い聞かせるように呟くと、ミラから返答があった。
『あの巨大生物の生態は未解明です。ですが、推測としては環境を味方につける可能性もあるでしょう。彼らはこの星に適応している生物です』
「お~い、ポジティブシンキングで行こうぜ」
君が文句を言うと、ミラは赤いモノ・アイをビカビカと光らせながら『 "適当"をポジティブとは言いません 』などと返すのだった。
◆
上昇した先には、比較的ガスの濃度が薄いゾーンがある。
ここは嵐の影響を受けづらいが、そのぶん遮蔽になるものも少ない。
仮に白鯨が一直線に狙ってきたら、隠れる場所がない。
逆に、もう少し下に降りてガス濃度の高い渦の中を潜り抜ければ、白鯨の視界を奪えるかもしれない。
しかしそちらは嵐が暴れまわる真っ只中でもある。
「上から逃げるか、下に潜るか……どっちに転んでも博打だな。まあ、俺は博打は嫌いじゃない」
『ケージ、選択を迫られています。白鯨の次の動きは不明ですが、これ以上長く滞在するとリスクが高まるだけです』
「わかってる。……どうするかな。……よし、上だ、行くぞ」
『ちなみに根拠はありますか?』
「勘だよ、勘」
そう言って君はさらに上へと船を進めた。




