42:アヤカ、全速力で逃げる
どこから侵入したのだろうか、神殿の敷地内に狼に似た幽獣がうろついている。それらは、身動きの取れない二人の獲物に狙いを定めたようだ。
アヤカは、渾身の力を込めて手枷を壊そうとした。聖人の力が完全に戻っていないため、木の枷を近くの岩に叩きつける。
(腕が痛い! 絶対に、打ち身になってるよ)
けれど、そう簡単に枷は外れてくれなかった。
幽獣との距離は、二十メートルほどだ。もはやこれまでかと思ったその瞬間、幽獣をめがけて一本の矢が飛んだ。
矢は、一番先頭にいた幽獣の目に突き刺さる。幽獣は、キャインという悲鳴をあげて後ずさった。
「アヤカ様!!」
神殿の方から駆け寄ってくるのは、なんと、アインハルド騎士団にいたはずのアヤカの夫候補、ハインだった。
「遅くなって申し訳有りません!」
「ハイン!? どうしてここに!?」
「出向中でしたが、私も一応神殿騎士団なので神殿内へ入ることができるのです……そして、一応副団長なので聖人が連れて行かれる場所も知らされています」
「神殿騎士団の団長達は、とっくに逃げちゃったんだけど……ハインは平気なの?」
「……お恥ずかしい限りで。私は、アヤカ様がいなくなった後で、アインハルド騎士団にしごかれましたから」
ハインは、素早くアヤカとシュウジの枷を外す。
「ユスティン団長からの預かり物です。アインハルド騎士団は、神殿の敷地のすぐ外にて待機しています……第二騎士団に合流しますよ」
彼は、背中にアヤカのハンマーを背負っていた。
「わかった、シュウジもそっちにつれて行くよ」
アヤカは、ハインからハンマーを受け取った。まだ力が戻っていないせいで、手慣れた武器がいつもよりも重く感じる。
動けないシュウジは、ハインが背負った。
狼に似た幽獣だが、最初に矢を射られた一匹がボスだったらしく。他の幽獣達は、次の行動を躊躇しているようだ。
(今のうちに、ここを離れなきゃ)
アヤカは、幽獣に背を向けて全速力で走った。もちろん、薬のせいでいつものように早くは走れない。
「ハイン、実は私……神殿で変な薬を使われて、聖人の力が出せない状態なんだ」
「なんですって!?」
「一応、力は戻りつつあるんだけど、完全じゃない。だから、今幽獣と戦っても、いつものようにはいかないと思う」
「……わかりました。では、とにかく逃げてください。アインハルド騎士団に守ってもらいましょう。恥ずかしいことですが、神殿騎士団は使い物にならなさそうなので」
神殿騎士団達は、きれいに姿を消してしまっていた。神官達も同様だ。
どこに逃げたのだろう? 謎である。
アヤカ達がしばらく走っていると、背後から獣の息遣いが聞こえてきた。狼に似た幽獣が、体勢を立て直して追ってきたのだ。
「ハイン、シュウジを連れてアインハルド騎士団へ! 私が食い止める!」
「しかし……!!」
「早く!」
ものすごい剣幕で叫ぶアヤカに、ハインは気圧された。
「わかりました、団長を呼んできますので、それまで持ちこたえてください!」
シュウジを背負い、全速力で外へ向かう。ここから神殿の出口はすぐだ。
二人は、きっと無事に逃げられるだろう。
アヤカは、ハンマーを構えて幽獣達に向き合った。いつもなら、この程度の数はどうということはない。しかし今のアヤカは、ハンマーを振り回すのでやっとの筋力しかない。
とこまで渡り合えるのか、わからなかった。
飛び出してきた一匹目をハンマーで打ち飛ばす。やはり、いつもほどの威力は出ない。
二匹目、三匹目にもハンマーを叩きつける。ただ相手にハンマーを当てるという作業が、酷く難しく感じられた。体も重い。
なんとか狼の群れを退治し終えた時には、体のあちこちに怪我をこしらえ、完全に息が上がってしまっていた。
けれど、休んでいる暇はない。狼型に続いて鳥型の幽獣が、神殿内に入り込んできていた。
神殿の敷地の外で、騎士達の掛け声が聞こえる。きっと、アインハルド騎士団だろう。
第一から第五まである騎士団。それらが、全て神殿の外に集結しているのだ。
アヤカは、空から狙われないように、素早く神殿の屋根の下へ入り込んだ。
とりあえず、建物の扉から中へ入ろうとしたものの、案の定鍵が閉まっていて入れなかった。
神官や神殿騎士達は、建物の中に避難したようだ。
「……やってらんない」
勝手に異世界から落とされて、勝手に聖人だと言われ崇められ、危険だからと力を奪われ、そのまま幽獣が出る場所に放り出される。
(力が戻ったら、神殿を破壊しても良いだろうか)
そんなことを考えていたら、アヤカの前に新たな幽獣が出現した。巨大な鰐似の幽獣だった。長さは、十メートルはありそうだ。
ハンマーを振り上げ、アヤカは鰐の顔面を狙う。鰐は巨大な口を開けてアヤカに噛みつこうとした。巨大な体の割に、その動きは素早い。
鰐と対峙するアヤカを、空から鳥の幽獣が狙う。頭上で、バサバサと複数の羽音が舞った。
やっとの事で、鰐にとどめを刺したアヤカは、狙いを上空へと変えた。
頭上から攻撃してくる鳥達に、ハンマーをぶつける。
体のあちこちから血が流れており、全身が痛い。力も完全に戻らない。
一通り鳥の群れを蹴散らし、建物の隙間に身をひそめる。アヤカは、立ち続けることができず、その場に膝をついた。上体が傾き、地面に崩れ落ちる。
タイル張りされている地面は、ひんやりとしていて、心地よかった。