30:アヤカ、ハニートラップを躱す
「団長の読み通り、神殿側がアヤカに接触してきたわ!」
「そのようですね。……どういうことでしょうか、神殿側には正式にお断りの返事を出したはずですが?」
ユスティンの威圧感に、ハインは一瞬ひるんだ様子を見せた。しかし、再び勢いを取り戻して口を開く。
「それでも、私は、大神官から聖人様を説得するように言われています。判断をするのは、あなたではなくアヤカ様だ」
「騎士団に拒否されたから、今度はアヤカを直接狙う気ですか? 言っておきますが、彼女に、ハニートラップは効きませんよ?」
(ハニートラップってなんだ!?)
アヤカは、大いに戸惑った。疑問に答えるかのように、ユスティンがハインに言い募る。
「おおかた、あなたはアヤカの夫候補といったところでしょうか。いかにも神殿側が使いそうな手口です」
「夫候補!?」
アヤカの声が裏返る。
「そうですよ、アヤカ。彼は、神殿側が用意したあなたの夫候補の内の一人です。ホイホイついていったら、神殿に監禁されてしまいますよ?」
「怖っ!!」
「早く騎士団宿舎に帰りましょうね」
「か、帰る!」
落とさないように荷物を抱え、アヤカは騎士団宿舎を目指す。
その背中に向けて、ハインが声を張り上げる。
「いいのですか、アヤカ様? シュウジ様は今、大変な状況に置かれております! たった一人の弟を見捨てて、あなた様は自らの役目を放棄されるのですか!?」
アヤカは、ハインの言い分にイラッとした。
そもそも、最初にアヤカを見捨てたのは、シュウジや神殿である。それを、今更どのツラ下げて糾弾するのか。
「言われなくても、幽獣退治はするってば! ただし、神殿の聖人としてではなく、アインハルド騎士団としてだけど! 帰って、ウモージーにそう伝えて!」
盛大に啖呵を切ったが、最後の最後で人名を間違える。アヤカ、痛恨のミスだった。
憤慨したまま、ブリギッタやユスティンと共に宿舎へ帰る。
ハインは、それ以上何も言ってこない。
(シュウジが大変って、どういうことなんだろう)
それだけが、小さなトゲのようにアヤカの心に引っかかっていた。
※
「うーん、どうしたものか……」
翌日、朝の訓練を終えたアヤカは、食事の用意をしつつ頭を悩ませていた。
そんなアヤカの傍には、笑顔のミルが立っている。
「アヤカさぁん〜、どうされたのですか? 憂い顔も素敵ですわね〜」
ミルは、アヤカのことを男だと思っている。
聖人であることが判明したアヤカを我が物にしようと、虎視眈々と妻の座を狙っていた。
アヤカの性別を知っているのは、ユスティンとブリギッタ、そして第四騎士団副団長のアドルフだけなのである。
当初は元貴族のユスティンに思いを寄せていたミルだが、アヤカの正体が明るみに出るとあっさり鞍替えした。「強かな女ね!」と、ブリギッタが憤慨している。
アヤカが悩んでいる原因は、今朝届いた手紙だった。
その手紙の送り主は、神殿にいるハインだ。
手紙には、双子の弟シュウジの現在の様子や、聖人の重要性……あと、なぜかアヤカを褒め称える言葉がつらつらと書かれている。
ハイン曰く、現在シュウジは神殿で引きこもりと化しているらしい。
(どうしたんだろう、日本にいた時は部屋に引きこもることなんてなかったのに……)
生意気な弟だが、異世界で引きこもりになってしまったと聞けば心配になる。
(様子を見に行きたいけど……)
ユスティンは、きっと反対するだろう。
彼は、ハインに会って以来、彼をやたらと敵視している。
そして、ことあるごとに「神殿に行けば監禁される」と言ってアヤカを脅してくるのだ。
監禁されるのは避けたい。でも、弟が心配だった。
思い悩んでいるアヤカの背後で、ブリギッタが怒声をあげている。
「ちょっと、ミル! パンが焦げているじゃないの!! どうするのよ!!」
どうやら、ミルがいつものドジをしたらしい。彼女は、ほぼ毎日仕事関連でミスをし、ブリギッタに叱られているのだ。
「ごめんなさぁ〜い」
「夕食分のパンが足りなくなるわ。買い出しに行かないと!」
困っているブリギッタのために、アヤカはパンの買い出しに行くことにした。
騎士として働いているアヤカだが、食事を担当していることもあり、非常時は訓練時間の融通が効くのだ。