判定不能
目を覚ますと、焚き火の匂いがした。
どれくらい眠っていたのか分からない。頭の芯にはまだ鈍い痛みが残っていたが、視界の二重像も、耳鳴りも、いつの間にか消えていた。
[ 反動状態:解消 ]
「お、起きたか。丸一日近く寝てたぞ、坊主」
ライラスが焚き火の向こうから、干した果実らしきものを放ってよこす。受け取って口に入れると、思いのほか甘かった。
「悪かったな、面倒かけて」
「気にすんな。ただ――」
ライラスは、いつもの飄々とした調子を少しだけ落として、続けた。
「クロックダウンってのは、あんたの体だけじゃなくて、頭そのものに直接負荷をかけてる代物だ。使うたび何かを擦り減らしてる、くらいに思っといた方がいい。無尽蔵に頼れる力じゃない」
「……分かった。肝に銘じる」
素直に頷いた俺を見て、ライラスは満足そうに小さく笑った。それから、焚き火の炭で地面に簡単な図を描きながら、階層の話を続けた。
「この辺りより、さらに奥――北東の谷筋には、あまり近づかない方がいい場所がある」
「群体虫の縄張りとは、また別か」
「ああ、質が違う。……"視えない奴"がいるって話でね」
「視えない?」
「実際に視えないわけじゃない。ただ、輪郭が定まらない。近づいた奴の何人かが消えて、二度と戻ってこなかった。ワシもここに来て長いが、あの一角にだけは足を踏み入れたことがない」
その口調には、これまで聞いたどの忠告よりも、はっきりとした重みがあった。
俺は詳しくは聞かず、ただ頭の隅にその情報をしまい込んだ。
――結局、その日のうちに、俺はその「あまり近づかない方がいい場所」に足を踏み入れることになる。
理由なんて大したものじゃない。水源を探して歩いているうちに、気づけば谷筋に迷い込んでいただけだ。地形を舐めていた、と言われれば返す言葉もない。
空気が変わったのは、すぐに分かった。
巨木の密度が急に薄くなり、代わりに濃い霧のようなものが足元を這っている。動作解析ログを起動しても、周囲の反応が妙に鈍い。
[ 周辺環境の解析成功率:低下(62% → 31%) ]
(……なんだ、この場所)
嫌な予感がした瞬間、視界の隅で何かが「揺れた」。
振り返ると、そこに――何かが、いた。
人型、と呼んでいいのかも怪しい。輪郭は絶えず滲み、時折、向こう側の景色が透けて見える。まるで、描きかけの絵をそのまま実体化させたような、不完全な存在感だった。
俺は反射的に動作解析ログで鑑定をかける。
[ 対象を解析中... ]
[ LV:算出不可 ]
[ 種別:算出不可 ]
[ 判定:###ERR###/未定義/###ERR### ]
初めて見る、文字化けした表示だった。今まで律儀に何でも教えてくれていたシステムが、この相手に対しては、まともに機能していない。
(動作解析ログが、効かない……?)
これまで、俺はずっとこのログに頼りきっていた。前兆を読み、当たり判定を見て、脆弱性を見つけ出す。それが俺の戦い方の、根幹そのものだった。
その根幹が、根こそぎ揺らいでいる。
答えを探す間もなく、輪郭の揺れる人影が動いた。
速い、というのとも少し違う。距離の感覚がおかしくなる。さっきまで十メートル以上離れていたはずのそれが、瞬きの間に目の前にいた。
「――ッ!」
とっさに腕でガードする。だが、衝撃は予想よりずっと軽い。かと思えば、直後に脇腹に焼けるような痛みが走った。
見えない攻撃を、二重に食らったような感触だった。
ガードした攻撃はほとんど威力がなく、代わりに、防御していないはずの場所に、確かな一撃が入っている。まるで、当たり判定そのものが、こちらの予測と噛み合っていない。
オールステータス10だった頃なら、今の一撃だけで意識を刈り取られていただろう。今の底上げされたステータスのおかげで、かろうじて立っていられている。だが、それだけだ。
視界の端、脇腹の傷口から、じわりと血が滲むのが見えた。
(――マジかよ)
通用する武器も、頼れる観察眼も、今この瞬間だけは機能していない。
俺は歯を食いしばりながら、揺らめく輪郭を睨みつけた。クロックダウンを使うべきか、迷いが生まれる。使えば、また同じ代償を払うことになる。だが、使わなければ――このまま、まともに触れることすらできないまま、なぶり殺しにされる。
滲んだ輪郭が、再びゆっくりと、こちらに向き直った。




