通過儀礼、或いは呪い
「ハァ?アタシとヤると何でも願いが叶う?なんだそりゃ。」
道場からの帰り道。きゅっと結い上げた髪を解きながら椿が声を上げる。
「俺も昨日初めて聞いたんだって。まさか聞いた直後に椿と出会うとは思っても見なかったけど…」
球体人間のタトゥーの女。そう、本当にまさか出会うとは思ってもいなかったのだ。
実際その女が今自分の横を歩いていることすらもどことなく現実感がない。
「人のことバケモンみたいに扱うなよってんだ。こういうの、なんていうんだっけ?」椿が口を尖らせながら桂に尋ねる。
「都市伝説。英語だと、Urban Legendかな。」
桂がそう言うと椿は舌打ちをして
「やっぱバケモンじゃん。首なしアン・ブーリン、バネ足ジャック、ハンプトン・コートの白い女。そのお仲間ってか。」と吐き捨てるように言った。
「でもさ、」と桂が口を開く。
「椿も椿だよ。あんな挑発的な格好して。それにそのタトゥー。嫌でも目立つよ?」
「あぁ、これか」と椿は右肩に刻まれたそれを見る。
「これはな、ママが彫ったんだ。桂はアンドロギュノスって、知ってる?」
不意に椿に顔をのぞき込まれ、思わず桂は顔を赤らめる。
「えっと…聞いたことあるような…ないような…。確か単位のために嫌々取った哲学史で…」
記憶を辿りながら桂が考え込んでいると椿が「そ。」と短く言って「むかーしむかしの偉い人、プラトンってオッサンが書いたクソ難しい本の中に出てくる球体人間。両性具有、半陰陽、ふたなり?っつーの?それのこと。ママはさ、アタシに刻んだんだ。アタシがいつか心許せる半身を見つけられるように、ってね。」
心許せる半身⸺。
それは年齢=恋人いない歴の桂にとっても切実な問題だった。
「でも、椿くらいきれいなら彼氏の一人や二人いてもおかしくないと思うんだけど…」と桂が言うと、椿が不意に歩みを止めた。
「椿?」
何かまたまずいことを言ってしまっただろうか。椿は下を向いて何か考え込んでいるようだ。
「ごめん、俺また無神経なこと⸺」と桂が言おうとしたときだった。
「…なんだよ」
人通りの少ない路地を生温い風が吹き抜ける。
砂埃の匂い、転がる空き缶。
日差しだけがどこか嘘くさく照りつけている。
「アタシも、なんだよ。桂。アタシはいわゆる戸籍上の性別は女だ。でも、桂。アンタと同じもんもついてんだ。どっちつかずの人間なんだよ。」
椿は眉を下げながらも乾いた笑いを浮かべながら続ける。
「ママは、アタシが⸺出来損ないの半陰陽が⸺いつか心許せるパートナーを見つけられるようにって…願いを込めてこれを彫ったんだ。女としての器も、男としてのアレもあるアタシの幸せを願って…」
椿は動かない。動かないまま今度はまっすぐ桂の目を見てこう言った。
「気持ちわりぃだろ?びっくりしただろ?こんな欠陥人間が幸せになれると思うか?実際だ。ママはアタシを巡るトラブルで殺された。こんな体はな、災いしか呼ばないんだ!幸せになんかなれねぇし、誰も幸せにできねえ。願い!?こんなもんはな、呪いなんだよ。いっそ生まれてこなければ⸺」
「椿」
ヒステリックに叫ぶ椿を桂が優しく遮り、ゆっくりと近づく。そしてこう告げた。
「俺は、椿に出会えて良かったと思ってる。そりゃ最初はびっくりしたけど…島谷さんも多分そう。見てて分かったよ、あの人がどれだけ椿のこと大事にしてるか。俺、友達少ないからさ。やっとできた友達がそんな悲しいこと言うの…つらい。」とハンカチを差し出した。
「え…?」
そこで椿はやっと己の目から涙が零れているのを自覚した。
「あは、なにこれ…やだ…キャラじゃねえっつうの…」
ハンカチを受け取ると一気に溢れだす涙。
青い瞳から流れ出るそれはクリスタルのように輝いて、乾いた地面に落ちる。
「椿…帰ろう。島谷さんも待ってるし」
そう促すと椿はコクリ、と頷いて涙を拭いそして⸺
「あー!!マジfuck!!」と思いっきり桂のハンカチで鼻をかんだ。
「ちょ、それ俺のハンカチ!」と桂が声を上げると、椿はニカッと笑って「簡単に人にものを差し出すとな、ロンドンでは身ぐるみ剥がされるんだぜ?」と答えた。
「あー、動いたら腹減った。潤になんか作らせるか。」と、椿はさっきまでの涙はどこへやら、桂から受け取ったハンカチをひらひらと振りながら歩いていく。
「椿!待ってよ!!もう!」
桂がそれを追いかけてゆく。
アスファルトを突き破って出てきたたんぽぽに蝶がひらりと止まった昼下がり。
そこには等身大の自分たちを認め合う二人が笑いあっていた。




