33話 月下草
4階層から5階層への階段を降りると、今までとは違い、扉があった。
分厚い両開き。
黒ずんだ金属の縁取り。
俺と海は、その前で足を止めた。
「今まで階段を下りた場所に扉なんてなかった……」
海が左手で眼鏡の位置を直しながら呟く。
そのまま、扉を詳しく調べているようだ。
俺も扉へ近づく。
気配を探ってみるが、特に何も感じなかった。
ここで怖気付いていても始まらない。
海が小さく頷いた。
「どうせ行くしかないもの。開けるわよ」
左手で押す。
重い音を立てて、扉がゆっくり開いた。
その先を見て、俺たちは同時に息を止めた。
広い。
今までの階層とは比べものにならないほど、広い空間だった。
天井は高く、壁際には淡く光る苔がびっしりと張り付き、足元には土が広がっている。
地下のはずなのに、小さな森の切れ端みたいな景色。
そして、一番奥にさらに場違いなほど立派な扉があった。
分厚い両開き。
黒ずんだ金属の縁取り。
中央には、植物の蔓みたいな意匠が絡み合っている。
その扉に、不審に思いながらも、今は素材の方が大切だ。
白く細い花弁を夜光みたいに揺らす草。
青みがかった鉱石。
赤黒い実をつけた低木。
肉厚な葉を持つ草。
見たことのない蔓。
湿った地面から顔を出す半透明の茸。
海は広い空間へ足を踏み入れた瞬間、息を呑んだ。
「月下草……」
震えた声だった。
左手だけで慎重にしゃがみ込み、白く光る草を観察する。
葉の形。花の開き具合。根元の色。
青白い板へ意識を向ける。
海の目が大きく開く。
「間違いない。月下草よ。回復薬の材料がこんなにたくさん…」
そのまま周囲の薬草や鉱石も次々に確認していく。
「こっちも初めてみた素材。この鉱石も…
これで作れるものがたくさん増えるわ」
右腕を庇いながらも、海は左手だけで必要な素材を集めていく。
霊山は少し離れた場所から周囲を警戒することしかできなかった。
歯がゆい。
だが、今の自分にできるのは、敵が来た時にすぐ動けるよう備えることだけだが、この階層には魔物の姿が見えなかった。
しばらくして、海は集めた素材を足元に並べた。
月下草、それと魔石。
「……これでいける」
海は小さく息を吐き、左手で素材へ触れる。
淡い光が、素材を包み込む。
月下草がほどけるように崩れ、薬草と魔石の粉が混ざり合う。
やがて海の手に残ったのは、薄く銀色に発光する澄んだ液体だった。
「できた」
今までより、ずっとはっきりした声だった。
海は迷わずそれを右腕の傷へ流し込み、残りを飲み干す。
次の瞬間、傷口がみるみるうちに塞がっていく。
海は何度か右腕を動かし、それから目を見開いた。
「……ここまで即効性があるとはね」
右腕はもう、さっきまでみたいに庇う必要がなかった。
顔色も戻っている。
海は小さく笑う。
「五階層まで来たかいは、あったわね」
俺は少しだけ安心した。
今まで不安だったHPの回復手段が手に入って、これからはかなり安心して戦える。
素材は十分に集まった。
海もそう判断したらしい。
ケースを閉じ、改めて入口の方を振り返る。
「……一度、戻りましょうか」
その言葉に、俺も頷いた。
まだ5階層へ来たばかりだが、目的は達成した。無駄なリスクを負う必要はない。
素材を持ち帰って仕切り直すのもありだろう。
俺たちは入口の扉へ向かった。
だが。
海が扉を開こうとするが、動かなかった。
「……え?」
もう一度押す。
引く。
体重をかける。
それでも、びくともしない。
俺も近づいて扉を通り抜けようとする。
しかし、バチっと何かに弾かれる。ゴブゴブに憑りついた状態で、階層を跨ごうとした時の現象に似ている。
さっきまで確かに開いていたはずの扉が、まるで最初から壁だったみたいに沈黙している。
海の顔から、すっと色が引いた。
「ちょっと、待って…嫌な予感がする」
俺たちはしばらく無言で扉と格闘した。
だが、結果は変わらない。
開かない。
上へ戻る道は、消えた。
空気が変わる。
さっきまで“宝の山”に見えていたこの場所が、一気に別の意味を帯びた。
休憩地点じゃない。
補給地点でもない。
きっとここは――準備部屋だ。
俺と海は、ほとんど同時に奥の大扉を見た。
行ける道は、あそこしかない。
海が、短く息を吐いた。
「……最初から、そういう作りってこと」
海は覚悟を決めた目をしていた。
「入るしかないわね…錬金は敵を見てからにするわ」
俺は頷く。
ここまで来て立ち止まる気はなかった。
それに、戻れないのなら、なおさら前へ行くしかない。
俺たちは大扉の前へ立った。
近くで見ると、さらに異様だった。
木でも石でも金属でもない何かでできているように見える。
表面には無数の線が走り、触れてもいないのに、内側で何かが脈打っているような気がした。
海が小さく呟く。
「絶対、まともじゃないわね」
まったく同感だった。
それでも、扉を開く。
重い音。
暗い空気。
その先は、広い部屋だった。
何もない。
いや、何もないように見える。
円形に近い石床。
周囲の壁に走る蔓みたいな紋様。
中央だけが、ぽっかり空いている。
ボス部屋だ。
直感で分かった。
俺たちが中へ足を踏み入れた、その直後だった。
背後で、重い音が響く。
振り返る。
入ってきた大扉が、ひとりでに閉じていた。
そして、青白い板が視界へ浮かぶ。
【4階層までの全レア個体撃破を確認しました】
【条件を達成しました】
【隠しボスが出現します】
息が止まる。
海も同じ板を見ているらしい。
目を見開いたまま、低く呟いた。
「……隠し、ボス?」
その問いに答えるみたいに、部屋の中央で何かが軋んだ。
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