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つきのひとみ  作者: 高橋 耶那
零のカイ 曰くつきの地学教室
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 HR(ホームルーム)教室がある南館から、渡り廊下を通り、階段を2階分おりてやって来た北館。壁のない吹きさらしの廊下は春とはいえ風が強く、少し肌寒さを感じる。


「ここ?」


 扉をノックしようとして一瞬躊躇った(りょう)が、後ろに佇む(ひいらぎ)に振り返って、本当にここで合っているのかと訊ねた。


 怪訝そうな視線を受け止めた柊は、部活動紹介の冊子の該当箇所と教室の上部についているプレートの文字を何度か見比べて、うなずいて見せる。


 太陽が傾き、山の連なる方角から黄金色の眩しい光が差している。柊は、一面黄金に染まる教室の扉たちを眺めて、目を細めた。


「えぇ~……?」


 本当にここ? 地学教室、あってる。でもここ、カーテン閉まってるんだけど。閉まってるってことはここ今使ってるんだろ、大丈夫、人居るって。ええー。


 諒がやけに疑ってくるものだから、念のためもう一度冊子を確認する。


 「活動場所:北館3階地学教室」の表記。プレートの方にも、「地学教室」の文字。


「ほら、あって、る……、…………?」


 諒に見せようと冊子の文字を指差して彼の方を見ると、がらがらと音をたてて(くだん)の扉が開いているところだった。


 開いた扉の奥、閉めきられた黒いカーテンの隙間から、ちろちろと柔らかい鳥の子色の光が漏れている。


「え、」


 突如その隙間から、ずぼっ、と青白く細い手が伸び、扉のすぐ前に突っ立っていた諒の腕を掴んだ。


 突然のことだったからか、慌てた諒はまともに反応もできずに「え、は、ちょっ、」と言いながら光の方へ引きずり込まれていく。


 わあ、引きずり込んでくる手なんて、妖怪みたい。


 柊はその様子を、少し面白がりながら眺めていた。絶対に居ないとわかっているからこそできる反応だ。


 沈黙したまま柊が1秒、2秒、3秒……と風に吹かれて揺れるカーテンを見つめていると、ちょうど10秒後、なにか話し声がしたあとシャッと開けられたカーテンのその向こうに、諒の顔がぬっと現れた。


「…………おい」

「なにか」


 柊が飄々とそう返すと、もともとジト目で睨んでいた諒は更にイラついたようで。額に青筋が浮かんでいるのが見える気がする。


「『なにか』じゃねえんだよ。てめえも来い」


 ぐるる。唸るように諒が柊に催促した。


 こいつは存外口が悪い。


 柊はそれでやっと仕方なさそうに、凭れていた手摺から背中を離すと、足を地学教室の方へ進め始めた。


 だいたいおれが腕掴まれた時点でなんか反応しろよ。親友が引きずり込まれるのをノーリアクションかつ無表情で見送ってんじゃねえよ。せめて手を伸ばして引き留めるくらいはしろよ。そんなだから周りから「能面」だの「薄情」だのと言われるんだよ。いや、おまえ確か自分で言ってたな「薄情者」って。自覚してんならなおせよ。


 ぶつぶつぐちぐちと何事かを呟き続ける諒を全面的にスルーして、柊もカーテンを抜け教室のなかに足を踏み入れた。


 おや、と思う。


 糸原の結界が張ってあるとはいえ、その隙間を抜けて入ってきた()()がちらほらと見えていたのに、この部屋に入ったとたん、その姿がひとつも見えなくなった。


 糸原の一族はその名の由来となったように、糸を操る。故に結界も糸を紡ぎ、それを織り重ねて張るため、隙間が多くできるのだ。それでは困る場合もあるが、一概に欠点とも言えず。こういった()()の乱れも見られない普通の土地では、隙間ひとつもない全てを弾いてしまう結界を張ると、その場の気の流れを狂わせてしまうこともある。そのため、この高校を守るには、糸原の結界がちょうど良いとも言えた。


 ちらりと諒を見ると、引きずり込まれる前まで彼の髪に戯れていたはずの、毛玉のような(あやかし)が消えている。どうやら諒が1度目に鴨居を跨いだときに、弾かれてしまったらしい。


 そういえば、視界の端を白い何かが飛んで行った気もする。柊にとっては日常茶飯事の光景だったため、あまり気にしていなかった。


 今しがた通ってきたばかりの扉のあたりをよくよく注視してみると、扉の四隅に、何かが取りつけてあるのが見えた。中庭に植わっていた(えんじゅ)の葉と、どこから持ち込んだのか山椒の葉のついた小枝がまとめられて、青磁色のマスキングテープで貼りつけられている。


 これは……()()だな。


 柊はそう断じたが、多少の素質をもつ素人ではあるようだった。そうでなければ、魔除けの植物を貼りつけただけで、普通はここまでの効果は持たない。


 ぐるりと教室を見回すと、4、5席分が繋がった長机が教卓の前に、よっつずつ、2列に並んでいる。その最前列の回転椅子のひとつに、柊が見たことのない男子生徒が文庫本を片手に座っていた。


「やあ、いらっしゃい」


 声変わりのとうに済んだ、低い落ち着いた声。


 その男子生徒は、柊と諒を見てゆるりと微笑んだ。


「こんにちは。ここは『文献研究部』の部室で相違ありませんか」


 柊はそう訪ねながら、彼を注意深く観察する。


 濃茶(こいちゃ)のまっすぐな髪は眉にもかからないほど短く切り揃えられており、加えて黒縁のスクウェア型の眼鏡をかけていることで、かっちりとした印象を受ける。しかし服装は、学校指定のセーターを着て、ネクタイを外しシャツの首もとを開けているため、その堅めの印象を良い具合に崩していた。


 すっと墨でひいたような細い眉に反して、目は睫が多いためか眼力が強い。しかし柔らかく微笑まれると、その圧迫感も和らぐようだった。


 あくまで柊が受けた印象だが、このひとは、自分が相手にどう見えているかを完璧に把握しているように見えた。


「ああ、合っているよ。わが文研部へようこそ」


 彼が右手を広げて、歓迎のポーズをする。


 「わが」という言葉に違和感を覚え、柊は首を少し傾けて隣に立つ諒を見た。


 普通は「われらが」になるんじゃないだろうか。


 その視線に気づいた諒は、何故か呆れたような目を男子生徒に向けてため息をつく。引きずり込まれて出てくるまでの間に聞いたのか、この人が唯一の文研部員らしいよと言った。


「へえ……」


 それじゃあこの人が、「自覚のある変人さん」なのか。


 たったこれだけの邂逅で何がわかるでもないが、今のところは、その落ち着きすぎている態度を除けば、そんなに変なところはないように思える。


 ああでも、あの「文献研究部」の説明を書いたのがこの人ならば、それはやっぱり変人さんだ。


 柊にとっては興味深い説明書きと注釈だったが、それを実際に載せるとなると、なかなか勇気がいるのではないかと思う。冊子に纏めるにあたり内容を確認したはずの教師は、何を思ってあれを通したのか。あるいは、もう諦めてしまっているのかもしれない。この部に所属する人間が、奇人かつ変人であることを。




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