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つきのひとみ  作者: 高橋 耶那
序章 入学式
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「──じゃあ、察してた人もいるだろうけど、まずは自己紹介から。これから一年間あなたたちのクラスを受け持ちます。糸原(いとはら)(むすび)です。私の担当する教科は地歴なので、生憎と1年生のあなたたちに授業はできませんが──1年生は社会は現社だけですからね──まあちょいちょい歴史の話をしたりしようかと思ってますので、よろしくお願いします。もうちょっと詳しい自己紹介は、明日のLHR(ロングホームルーム)でしますね」


 厳格で退屈な入学式を終え、教室に戻ってきて「入学おめでとうございます」と述べた後に、糸原()()はそう名乗った。


 従兄を「先生」と呼ぶことに柊はずいぶん違和感を覚えたが、ここでやっていく以上はきちんと先生と生徒として接しなければならないだろう。


 早く慣れなくては。迂闊に屋敷での呼び名を口にした日には、呪いのこもった視線で睨まれかねない。なんなら本当に呪われそうですらある。


「さて、高校では通信機器──まあ、パソコンですね──を利用した授業を展開していきますので、先程お配りしました資料に目を通していただき、保護者の皆様にはそちらの冊子に挟んである同意書にご署名いただきたく思います。捺印が必要ですが、今所持されていないないようでしたら、直筆のサインであれば大丈夫です。同意書は、お帰りの際にご提出いただきます。続いて、修学旅行費用の積み立てに関する──」


 時折手元の資料に視線を落としつつ淀みなく説明を続ける糸原には、「できる男」といった雰囲気があった。


 現在この広い教室には、入学式から戻ってきた教師──これは糸原のことだ──と、生徒たち、それから生徒の保護者たちがそれぞれの場所についていた。保護者の中には、説明を聞くために来ている柊の叔母の姿もあった。


 生徒たちは、皆一様に緊張した面持ちで背筋をピンと伸ばしている。


 かくいう柊も、糸原の前で猫背などになれようはずもなく、背中をまっすぐに伸ばして、手はおとなしくお膝の上に置いていた。


「──では、ひととおりの説明が終わりましたので、これから出席番号順に退出してください。その際には、本日提出の書類を……どうしようか……、一番前の列の机に、種類ごとに提出していってください。じゃあ、1番の人からどうぞ」


 そう先生が締め括ると、皆が(おもむろ)に帰宅の準備を始めた。各々の荷物を背負い、書類の入った封筒を手に持って、ぞろぞろと机に向かって並び始めている。


 柊の順番は最後の方であるし、皆同意書に署名したり封筒から出したりと意外と時間がかかっているようなので、柊は比較的のんびりしながら提出の準備をした。


「ひぃ、はんこ持ってるわよね」

「ん、叔母」


 後ろから声をかけられ柊が振り返ると、お寄越しとばかりに手をすっと差し出す薑子(きょうこ)の姿があった。


「叔母は。お持ちでないんですか」


 訪ねると、嫌そうな顔をして「持ってるわけないでしょ」と言い返される。


「あんなの持ち歩いてんのは本家のやつだけよ。悪趣味ね」

()()は流石に俺だって持ち歩きません。俺が持ってるのは、中学の卒業祝いで学校からもらったやつ」


 ていうか本家本家って言うけど、叔母だって結婚してないんだからまだ本家の一員なんですよ。


 柊がぶつぶつ言いながらほんこの入った簡素な紺鼠(こんねず)の安っぽいプラスチックケースを渡すと、薑子はパカリと開けたそれを眺めて「良いはんこね」と感想を言った。感嘆は特に込められてはいなかったが、嘘ではなさそうだった。


 手のひらに収まる幅のケースから、その細い指で艶のある黒い円柱のはんこを取り出し、ケースについている朱肉に押しつける。アタリに人差し指をやって印面の向きを確認し、薑子は捺印マットがないことに文句を言いながらも、「印」の字に印章を乗せた。


 はんこを除けて、満足げにうなずく。向きが斜めになることもなく、インクが掠れたり擦れたりすることもなく、綺麗に捺せたらしい。


「ばかね、私は本家からとっくに抜けてるわよ。戸籍には変化なんてないでしょうけど、私が嘆願して当主がそれを承認したもの」


 フラップポケットからティッシュを1枚取り出し、はんこについた朱色を拭き取りながら、薑子が「当主の決定は絶対だからね、誰にも文句なんて言わせないよ」と呟いた。綺麗になおされたはんことケースを彼女に渡される。柊がそれを受け取って、鞄の小さなポケットに落とし入れた。


「え、そうだったんですか。全然知らなかった」

「さっさとあんな固っ苦しいとこから逃げ出したかったのよ。だって面倒じゃない。儀式だの慣習だのと。あんなもん慣習だなんて言ってるけどねえ、因習よ。私にとっては害しかないわ」


 ひどい言われようだ。


 柊はそう思ったが、反論するようなことはなかった。


 今柊が平穏に暮らせているのは、薑子が屋敷を出て一人暮らしをしている所に住まわせてもらっているからなのだ。彼女が屋敷を出た理由がたとえどんなにひどくとも、文句を言おうものなら、必ず後で何かしらの返礼が待っているだろう。柊には、家主に逆らうことはできなかった。


 それに、柊としても同じようなことを感じていた。


 確かに屋敷にいた頃は、色々と面倒だった。


 柊は面倒なことが嫌いなのだ。


「ひどい言いようですねぇ」


 提出の列に並ぼうとしたとき、ふたりの背後からそう声がかかった。




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