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つきのひとみ  作者: 高橋 耶那
序章 入学式
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 結果として、デーモンは間に合わなかった。


 より正確に言うならば、「教師が教室に入ってきても笑っていたが、その人物が誰なのか認識した途端に笑いが止まった」だ。


「さて、集まってもらってすぐで悪いんですが、入学式の入場退場のしかたを説明しますね。といってもごく簡単なものですので、心配ないと思います」


 何故ならば、教室に入ってくるなりそう切り出して淡々と説明を始めたその人が、


「ね、あの人さ、」

「ああ」


 柊の父の姉の息子──要するに従兄だったからだ。


 以前に1度だけ、彼を(りょう)に紹介する機会があった。というよりかは、どちらかといえば、諒を彼に紹介する意味合いが強かったのだけれども。


 その1度だけの短い邂逅のことを、諒が覚えているとは思わなかった。普段は勉強の方が少々──、柊の口から言うのは憚られるが、残念なので。


 本人曰く、「興味ないことはすぐ忘れるしそもそも覚える気がなぁ~い」だそうだ。代わりに実験だとか拷問だとかに関しては、目を見張るほどの知識を持っている。


 ……それはそれでアブナイにおいがぷんぷんしているのだが、大丈夫だろうか。


 ただ、危険な思想を垂れ流してはいるものの、「経歴に傷がつくから」と言って実際に行ったことはないので、一応は安心できる。法がなくなったりでもしたら、リードが千切れた猛犬のように暴れだすかもしれないが。


「もしかしてあの人が担任?」

「……かもな…………」


 今のところ、彼が柊たちの担任である可能性が高い。まだ自己紹介されていないから、説明のためだけに派遣された全く関係ない教師という可能性もあるけれど。柊の予想を言えば、前者だ。通常は説明に来た人がそのまま担任というケースが多いと聞く。


 ──担任の采配に()()が関わっているかどうかはわからないけれど。


 柊の家は、だいぶ世間一般とは離れた存在だ。柊が考えたように、実際学校の配備に口を出すことも可能ではあった。今回はどうだろうか。偶然か、故意か……。少なくとも、柊にはこの情報は伝達されていなかった。


 知らされていないということは、柊は知らなくともよいと判断されたということだ。


 彼が教職に就いたことは柊も知っていたが、まさか柊が通うことになるこの高校にいるとは全く思いもしていなかった。普通は親戚関係と同じ学校とか、クラスの担当とか避けるんじゃないんだろうか。


 ──しかし、もし彼が担任だとすると、色々と面倒事が起こりそうだ……。


 いまだ続いている彼の説明をなんとなく聞きながら、柊はさりげない視線で彼を観察する。


 記憶の中の彼はいつも和服か私服だったから、(しわ)ひとつない藍白(あいじろ)のカッターシャツにぴしりとした紺のジャケットとスラックスという格好を見るのは、柊にとってなんだか変な感じだった。屋敷では子ども扱いされていた彼も、ちゃんとした大人だったのだということに気づかされる。


 染めているかのような胡桃色の髪は、彼の父方の遺伝だと以前聞いたことがある。あそこまで明るければ、周囲に溶け込むのも大変だっただろう。特に()()は保守的な考えの人が多いから、色々と言われたのではなかろうか。


 ──急に変装しなきゃいけなくなったときに困りそうだ。


 とか柊が考えてしまうようなその明るい髪は、昔は肩まで伸ばされていたけれど、今は諒と同じくらいまでで整えられている。少し目にかかる前髪は、斜めにゆるく分けられていた。太めのきりりとした眉と、すっと入った二重、通った鼻筋に少し厚めの唇という精悍な顔立ちは、きっと女子生徒に騒がれるだろう。


 そんなことをつらつらと考えていると、一瞬柊は彼と目が合ったような気がした。その一瞬の間だけ僅かにひそめられた眉間と、すがめられた(はじ)色の瞳。その仕草の意味を正確に汲み取れるのはおそらく、このなかで柊だけだ。


 ふぅとため息を吐く。


 無事に高校生活が送れることを、神に祈っておいた方がいいだろうか。いや、神より叔母に祈っておいた方が効果があるかもしれない。古来より神は理不尽で気まぐれなものと決まっているから、それよりかは人脈おばけな叔母に頼った方がまだ期待できる。あの人はこの学校内に一体何人の「オトモダチ」を持っているのやら。


 柊はこれから起こるかもしれない面倒事の対処法を思案し始めた。


 柊のために薑子(きょうこ)が動いてくれるかはそれこそ神であるかの如く彼女の気分次第だが、少なくとも、薑子は柊にとって不利益なことはしない。その点では、祟る神よりも安全である。


 薑子には「オトモダチは便利よ。武器になるからひぃも作りなさいな」と言われたこともあるが、そんなおそろしいことは柊にはできない。


 自分がどう動いたら相手が勝手にいい方に動いてくれるか、どう言えばどことも軋轢を産むことなく円滑につきあえるか、どの情報を使えばこちらの利になるか。それを理解して軽々と実行する自分の叔母のことを、柊はすごいと思うと同時に、おそれてもいる。増えれば増えるほどコントロールが難しくなるのが人間関係というものなのに、それを薑子は完璧にやってのけるのだ。これぞ人心掌握と言うのではないだろうか。


 柊は友人はひとりで充分だと思っている。そもそも柊は他人に興味がない。それが故の無知によって、関わった人を意図せず傷つけたり、敵を作ったりしてしまうことが、柊はこわかった。


 それに、迂闊に関わる人を増やすと、その分厄介事の総量も増える。たいていの厄介は人が運んでくるのだ。


 煩わしいことは捨ててしまう性分だから、柊は厄介の塊である人間関係にはもう手をつけないことにしている。1度痛い目を見たのだ。あんなに面倒くさいのはもうこりごりだった。


 薑子に言わせれば、その面倒くささすらも「どろどろしてるのが醍醐味なんじゃないの。わかってないわね」だそうだが。あの人は生粋の愉快犯だと柊は思う。


「──じゃあ、トイレ行きたい人はサッと行って、それ以外の人はさっき説明したとおりに廊下に並んでください」


 叔母について考えていて、柊が微妙な気持ちになっているうちに、どうやら説明は終わったらしい。ほとんどの生徒が席を立ち始めているのを見て、柊も移動の準備を始めた。


「やばい、説明聞いてなかった~」

「聞いておけよ。何してたのさっきの時間」

「ぼぉーっとしてた」

「ただの時間の無駄遣い」

「あっは」


 じゃあおれちょっとお手洗い行ってくるわ、とわざわざ柊にことわってから、諒が離れていった。片手をヒラリと挙げて、いってらっしゃいと見送る。


 ざわついている廊下に出て、今のところ唯一の話し相手である諒がいなくなったために、柊は手持ち無沙汰になってしまった。


 手慰みに、カッターシャツの襟が折れていないか、ブレザーの襟が立っていないか、ネクタイがずれていないかなど、ごそごそと服装の確認をする。


 ──うん、大丈夫。


 よく考えてみれば、もし服装が乱れていたら写真を撮ったときに薑子が言ってくれただろうから、みっともない格好にはなっていないはずだ。眼鏡も汚れていないから問題はない。


 廊下の窓際に寄り身体を縮こまらせながら、暫く廊下を行き来する人びとを眺めたり、指を絡めて蛙をかたどりゲコゲコ鳴かせてみたりしたけれど、それもあまり面白くはなく。


 全員が並び終わるまでの数分の間とはいえ、式を控えて僅かに浮き足立つ多くの人に囲まれながら、なにもしない時間というのは存外居心地が悪い。


 窓の外に見える中庭を見下ろす。(えんじゅ)だろうか。南天とキヅタとそれから赤い煉瓦に回りをぐるりと囲まれた樹が三本、中庭に3角形を描いている。午前の日の光が斜めに差して、萌黄(もえぎ)の葉を輝かせていた。樹の上部には、白い小花が顔を覗かせている。美しい春の景色だ。


 そこから視点を少しずらすと、窓硝子に映る柊の顔に焦点が合った。


 自分の顔をぼうっと眺める。本来目玉があるべき場所には何もなく、真っ黒に塗り潰された(うろ)の瞳が、こちらをじっと見つめている。


 ──相変わらず、気味の悪い目だ。


 自嘲する。


 ──ふっ、と、耳朶のふちを蜘蛛の糸が掠めるような感覚がした。




 ────余計なまねはしてくれるなよ────




 業務連絡が如く、感情を含めず淡々と抑揚のない声で為された「注意喚起」。


 果たして彼はいったいどんな気持ちで、柊にこれを告げたのだろう。ごく短い文章の声音からは、他意は汲み取れなかった。あるいは、彼がそう聞こえるようにしたのかも知れないが。


 職場でも()()()の仕事に余念がないとは。ご立派なことだ。


 壁に肩を預けたまま、柊は小さく息を吸った。


 ────承知しています。俺とて管轄外のことに首を突っ込むほど軽率ではないつもりです────


 囁いただけだが、相手には()を伝って確実に届いているだろう。


 顔を上げて生徒がひしめく前方の廊下を見遣ると、従兄がそのかたちの良い瞳を細くさせて、柊を見つめていた。


 柊は彼のことが嫌いではないが、おそらく相手は柊のことを、嫌いとまではいかずとも面白くないとは思っているはずだ。板挟みの立場というのも大変なのだろう。


 鼻から長く息を吐いて柊がもう1度窓を見ると、先程よりもほんの僅かに眉間に影を作って、ほんの僅かに面倒くさそうに見える、面白味のない自分の顔が映っていた。




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