35.伝える
今日はいろいろなことがあった。体も疲れているし、気持ちもぐちゃぐちゃだったけれど、一つやり残したことがある。
「セシル。⋯⋯話、いい?」
入浴を済ませたセシルに声をかけた。彼は一瞬表情を強ばらせると、デフォルトの笑みを浮かべた。
「もちろん。座ろっか」
二人でソファーに座る。ここ最近のセシルは何をするにも私との距離が近くて、その度にドキドキとしていたのだが、今は少し距離を置かれて座られた。それにツキンと胸が痛んだ。
「エリアナ、今日は本当にごめんね。僕は君が好き過ぎてどうしようもなくて、僕だけを見て欲しくて⋯⋯強引な手段を取った。ごめん。でも決して『物』みたいに傲慢な扱いをしたいわけじゃないんだ。すごく大切に思ってる。それは、わかって欲しい」
どう切り出そうかとまごついていると、セシルの方から話を切り出した。
⋯⋯また好きって言ってくれた。
胸がきゅうっと締め付けられて、嬉しい気持ちが溢れる。
「エリアナ、好きだよ。大好き」
柳眉を寄せて伝えるその『好き』は切実な響きがあった。触れたいけど触れられないように、指の長い手が私に向けて伸ばされたままで停止する。
⋯⋯私、やっぱり馬鹿だなぁ。
セシルはいつも、私を大切にしてくれていたのに、優しくしてくれていたのに――――たまにちょっと意地悪だったけど――――彼が私のことを『物』だなんて思っていないのは、よく考えればわかったはずなのに。
没落もさせられたし、ゲーム内のように、彼はエリアナのことはなんとも思っていないと思っていて。液晶を挟んでいるような気持ちで、ここにいるセシルをちゃんと見れていなかったんだ。
私も気持ちを伝えないと。
セシルのように、自分の気持ちを。
「あ、あのっ、私も⋯⋯セシルが、好きなの」
緊張した。
気持ちを自覚する前はもっとスルッと出てきたはずの『好き』という言葉。本当に好きな人の前では、こんなにもドキドキとして言いづらいなんて。
嬉しそうにしてくれると思った。ふにゃりと笑ってくれると思った。
だけどセシルは、寂しそうに笑っただけ。
「⋯⋯ありがとう。エリアナに嫌われなくてよかった」
「えっ」
「エリアナはこれまで通り過ごしてくれればいいよ。これまで通り、僕のそばにいて、笑って」
悲しそうに、寂しそうに、でも安心したようにセシルは言葉を紡いだ。
「エリアナが嫌なら触れないようにするから⋯⋯我慢するから⋯⋯だから、離れて行かないで。そばにいて」
⋯⋯伝わってないんだ。
違うの。そうじゃなくて、推しとして好きなんじゃなくて、一人の男性として好きなの。どうしたら伝わるの⋯⋯?
「さあ、今日は遅くなっちゃったから寝ようか。疲れたでしょう?」
そう言ってセシルがソファーから腰を浮かせたので、逃がすもんかと首に抱きつく。
――――私の話はまだ終わっていないんだ。
「うわっ、エリア――――!」
勢いがよかったからか、体勢が不安定だったからか、セシルはソファーに倒れて、私がセシルの上に乗る状態になった。
その勢いのままキスしてやった。
若干唇を外れたような気がしたけれど、一度したら恥ずかしさが込み上げてきて勢いは緩んだので、やり直す勇気はなかった。
それでも、セシルはかなり驚いていて、まん丸の瞳が目の前にあった。ちょぴり、してやったりという気持ちになる。
「私はセシルが好きよ。他の誰にも渡したくないくらい、キスとかしたいくらい。優しく触れてくれるの嬉しいし、他の女の人と一緒にいたら嫉妬もしちゃうし、私は女性として見られていないと思って悲しかっただけなの。⋯⋯セシルと一緒の『好き』でしょう?」
伝わって欲しい一心で言葉を紡ぐ。
たぶん、今の私の顔はゆでダコみたいに真っ赤だと思う。恥ずかしくて、顔を見られたくなくて、彼の首元に顔を埋めた。
だが、そんな私の思いを彼は汲み取ってくれず、無情にも肩を持ち上げられて顔をマジマジ見られた。
「みっ、見ないでよっ! 恥ずかしいんだからっ!」
セシルの上からおりて、ソファーの端っこで膝を抱えて丸まる。
もうもうっ! セシルの意地悪っ! この繊細な乙女心をわかってよね!
ふいに、丸めた背中に重みがのしかかった。
お風呂あがりだからか、ふんわりとセシルの香りと石鹸の香りに包まれた。
「顔、真っ赤だね」
「と、当然でしょ。今だって、心臓がドキドキうるさいもの」
自分の胸で鳴っているドキドキと、背中から感じるドキドキもあるので、もしかしたら、これはセシルの音なのかもしれない。
「僕もだよ。嬉しい⋯⋯エリアナも僕と同じ気持ちなんだね」
「うん⋯⋯そう。大嫌いなんて言ってごめんね。本当は大好きなの。⋯⋯信じてくれた?」
後ろから抱きしめられているので、耳元で聞こえるセシルの声がくすぐったい。
「正直、全部僕の都合のいい夢なんじゃないかと疑ってる」
「そこは信じてよ! 夢じゃないわよ!」
もう! と振り向くと、セシルは幸せそうにふにゃりと笑った。私が大好きな彼の笑顔にきゅんっと胸が鳴る。
「だって、幸せすぎて⋯⋯。ね、エリアナ。これが夢じゃないって証明して?」
「証明?」
夢じゃない証明? 証明なんてどうすればいいのか。あ、頬でも抓ればいいのか。
ムニッ
「⋯⋯なんで頬を抓ったの」
「え? 痛いでしょ? 夢じゃないわよ?」
要望通り、夢じゃないと証明する為にセシルの頬を抓ってみたが、不服そうな顔をされた。
「エリアナはあまり力を込めないから痛くないよ⋯⋯そうじゃなくて」
頬に手を添えられて、間近に端正な顔を近づけられる。
「このまま、キスしてもいい? 強引に奪っちゃってごめんね。僕にやり直しのチャンスをちょうだい」
「――――っ、い、いいわよ」
吐息が唇にかかって、うるさいくらい心臓が鳴る。緊張をはらんだ翡翠色の瞳が近づいてきて、ぎゅっと目を瞑れば⋯⋯そっと確かめるように柔らかな感触が唇に触れた。
「――――っ」
目を開ければ、幸せそうに微笑むセシルの顔が目の前にあって、胸の奥から温かい幸せな気持ちが溢れた。
「⋯⋯セシル、大好き」
「僕も、エリアナが大好きだよ」
私たちは再び唇を重ねた。
◇◇◇
――――翌朝。
「んっ、セシル、もうそろそろ⋯⋯」
「⋯⋯もうちょっとだけ」
昨晩大勢の人に迷惑をかけた私は、今日はセシルと共に町の人に謝り歩く予定だ。でも、朝の身支度もそこそこにセシルからのキス攻撃が始まってしまった。
昨日喧嘩して仲直りした私とセシルは、ずっとこんな風に甘々に過ごしている。
朝起きたらリビングにいたセシルがおずおずと両手を広げるので、その腕の中に入って背中に腕を回せば、力強く抱きしめられた。
「夢じゃなかった。⋯⋯幸せすぎる」
なんてしみじみ言う彼を突き放すなんてできるはずもなく、私は何度目かの「もうちょっとだけ」を聞いている。
幸せでいっぱいな反面、セシルの情熱に戸惑い、ドキドキしすぎて心臓が壊れるんじゃないかと心配になってくる。
「ん⋯⋯、満足」
とセシルが唇を離してくれた時には、くったりとしてしばらく動けなかったくらいだ。
そんな私とセシルは、現在二人で洗濯物を干している。たまには二人で家事をしようとのセシルの提案だ。
「そういえば、このボロボロなワンピースはあの場所にあったの?」
昨日魔王殿から拝借したアイボリーのワンピースを広げるセシル。
ボロボロって⋯⋯確かに、生地は薄いし、安物だと思うけど、ボロボロって言われるほどではないと思うわよ?
「うん。なんか、マオくんが寝床を作る為にタオルやら衣類やらを集めてたらしいの。その一つを貸してもらったのよ」
一応、マオくんの許可は得ている。土のベッドをたいそう気に入ってくれたので、「もう要らぬ。好きにせい」という返事だったが。
「マオくん⋯⋯?」
セシルが低い声で呟いた。
⋯⋯ん?
なんだか昨日のヘンリック様と会っていたことが見つかった時のセシルと既視感あるわね?
「そういえば、エリアナから聞いた『乙女ゲーム』の話でそんな人が出てきたよね。学院にそれっぽい人物がいなかったから放置してたけれど⋯⋯そいつ、誰? 平民なの?」
笑顔を貼り付けたセシルが私に詰め寄ってくる。顔は笑顔だけど目は笑っていないやつだ。
昨日と同じ怒りの雰囲気を感じる。いつもの私ならば『なんで怒っているんだろう』と思いながらもセシルの表情にときめく所だが、さすがに私も理解した。
「⋯⋯嫉妬してるの?」
たぶん、セシルはマオくんに嫉妬したのだ。ゲーム内でもセシルは嫉妬深いキャラだ。今までその感情が私に向けられることはないと思っていたから気づかなかった。
「うっ⋯⋯。ごめん、僕が君を捜している時に、君は他の男といたと思うとつい⋯⋯」
「謝らないで。嫉妬する程思ってくれてるなんて、嬉しい」
本当にセシルは私のことを好きなんだって実感する。ヒロインにしか向けられなかったはずの感情を私が向けてもらえるなんて、嬉しくてしょうがない。
「⋯⋯エリアナって僕に甘いよね」
「私にとってセシルが特別だからよ⋯⋯っわ」
ぎゅうっと抱きしめられる。
朝からずっとこんな調子のセシルだ。少し他のことをするとまた抱きしめられて、キスをされる。作業は進まないし、もしかしたら今日は町に行けないかもしれない。でも、幸せだから、そんな日があってもいい気がしてきた。
しばらくして、セシルはコホンと咳払いをすると、姿勢を正した。
「で? マオくんって誰?」
そこは意地でも聞き出すつもりらしい。そんな彼も私は大好きだ。
「マオくんはね――――」
特に隠すことでもないので、説明しようと口を開くと、玄関をノックする音が聞こえた。
「町の人かな? ちょっと出てくるわね」
「⋯⋯あっ、エリアナ!」
昨日散々迷惑をかけたので、様子を見に来てくれたのかもしれないと思い、玄関に向かう。
「はーい、ちょっと待ってくださいね」と返事をし、ドアを開けると――――
「おはよう、エリアナ。良い天気じゃな」
――――昨日出会った魔王、マーデュオシュバルツ・オクツェルネ様、通称、マオくんが「やあ」と片手を挙げて待っていた。