33.マーデュオシュバルツ・オクツェルネ
服を着て髪を乾かしたので、彼にこちらを向いてもいいと許可を出した。
「そうじゃ、自己紹介がまだだったのう。マーデュオシュバルツ・オクツェルネじゃ。しがない魔王をやっておる。マーデュオシュバルツ様と呼ぶが良い」
⋯⋯知ってる。
「エリアナよ。よろしくね、マオくん」
「略したっ?! なんじゃその可愛い感じの呼び方は?!」
マーデュオシュバルツ・オクツェルネ
この長ったらしく噛みそうな名前の彼は、例の乙女ゲームのサブキャラだ。攻略対象でもラスボスや黒幕などでもなくサブキャラだ。たまに気まぐれでサポートしてくれる程度のキャラだ。魔王なのに。
サブキャラな彼だが、見た目美少年で中身何千年も生きるジジイである。所謂ショタジジイだ。そんな見た目と性格があり、サブキャラでありながら一部のファンに熱愛され、ファンたちの間では愛と尊敬と狂おしさを込めて「マオくん」と呼ばれていた。
「まぁ、良いけどの。⋯⋯エリアナは変わった奴じゃのう。普通、わしを前にすると人間は怯えるか敵意を向けてくるもんじゃが」
不思議そうに首を傾げているマオくんには悪いが、私は先程土のベッドの上で嬉しそうに飛び跳ねていた人物に怯えたり敵意を向けたりできないと思う。
土のベッドに顔を擦り付けていたので顔に土が付いているのが可愛いとは思うが、恐怖を感じたりはしない。
それでも、この世界で生きてきた人にとって『マーデュオシュバルツ』というのは聞くだけで背筋が凍るような名前なのだろう。
それに、マオくんは魔王らしく禍々しいオーラを放っている。普通はきっと恐怖するのだろう。しかし、前世の知識がある私にとって、マオくんは恐怖の対象ではないのだ。
これまでの彼の言動からわかるように、マオくんは全くもって魔王らしくない。
普通の魔王のイメージは、封印から復活したら、
「人間共め、我を何百年も閉じ込めおって、皆殺しにしてくれるわっ。フハハハハ」
とか言うと思うのだが、マオくんの場合は、
「はぁ〜〜〜〜(ため息)。人間共め、何故何百年で解ける封印しかできぬのかのう。また封印してもらわないとの。めんどくせっ」
である。世界を崩壊させるとか、人間を皆殺しにするとか、全く興味がないのだ。
ちなみに、彼の座右の銘は『Welcome封印、Not世界征服』らしい。
そんなわけで私はマオくんは全く怖くない。むしろ眼福な美少年で面倒くさがりな性格の可愛らしいマオくんのどこを怖がれと言うのか。
「マオくんは可愛いもの」
「可愛い? そんなの初めて言われたのう」
なんかちょっと嬉しそうな魔王様。
「⋯⋯ん? マオくんがいるってことは、ここはもしかして魔王殿?」
そうだ、マオくんは国のどこかに魔王殿があって基本的にそこに住んでいるはずなのだ。
「むしろ今まで何だと思っておった?」
「大衆浴場」
「ぶふぁっ」
土のベッドをバンバン叩いてお腹を抱えるマオくん。ゲームでは、面倒くさがりなマオくんはつまらなさそうな表情が多かったと思うんだけど、意外と表情豊かね。
でも大衆浴場じゃなかったのか。この古びた大衆浴場を綺麗にして人を呼んでひと財産築くという方法も考えかけてたのに、魔王殿でそんな事やるわけにはいかないしな。どうしようかな。
「それで? エリアナは何故こんな所に迷い込んで来たのじゃ?」
やっと笑いの止まったマオくんが涙を拭う。
「家出、かな? 大好きな人がいたんだけど、もうその人に会いたくなくて」
「ん?」
私はセシルとのことをざっくりと説明した。
「なるほどの。それは辛かったじゃろう」
マオくんは何も言わずに聞いてくれて、優しく言葉をかけてくれた。この気持ちに共感してくれたことが嬉しくて、また涙が溢れかけたけれど、ぐっと堪えた。
「ううん、もういいの。だからマオくん、ここに私を住まわせて!」
「⋯⋯ん? んん?! どうしてそうなった?!」
魔王殿に住まわせてもらえたら、雨風凌げるし、お風呂もあるし、ある程度魔法で生活できるし、食料さえなんとかすればそれなりに快適な生活が送れると思うのよね。
「マオくんの配下になるから!」
「要らぬわっ」
「快適なベッド作れるわよ」
「あっ、それは悩む⋯⋯」
むむむ、と考え込んだマオくん。もう一押しでいけそうだ。
「⋯⋯エリアナはそれで良いのか?」
「え?」
「大切で大好きな人だったんじゃろう? 喧嘩をして、家出をして、それで終わりで良いのか?」
前世からずっと大好きな人だった。グッズも集めたし、セシルの画像を見るだけで元気になれた。
だから、ここに転生したと気づいた時はとても嬉しくて、セシルに幸せになって欲しくて、ヒロインとのハッピーエンドを目指した。
きっと、学院にいた頃の関係のままだったなら、私がセシルにとってはなんでもない人で『物』だとしか思われてなくても、それでいいって思っていたのだろう。
でも、私は没落して、セシルと一緒に暮らして、欲張りになっちゃったから。一人の男性として好きになっちゃったから。もうそれだけじゃ満足できなくて、『物』だと思われているのが辛いの。
「いいの。もう、以前のように彼の幸せだけを願えないから」
一緒にいても、以前のように彼を見るだけで幸せな気持ちになれないから。彼にも私だけを見て欲しいって欲張りなことを思ってしまうから。
「そうか。しかし、彼が怒った理由もわからないのじゃろう? そのままにして良いのか?」
「彼が怒ったのは『自分の物』が他の人に懐いているのが気に食わなかっただけで⋯⋯」
「それは『なんでもない人』に出す感情か?」
「⋯⋯」
「わしは、彼が怒ったのにももっと違う理由があると思う。⋯⋯相手の怒りの理由をわからず放置しておくのは良くないぞ。誤解は早めに解いた方が良い」
⋯⋯そういえば、私はセシルが怒る理由はわからないことばかりだ。
フィリップ殿下との婚約直後に怒った時も、ダリアに破廉恥なナイトドレスもらって仕返しした時も、今日も。
好きでもなんでもない私がヘンリック様と会っていたくらいで、どうしてあんなにも怒ったの?
いつも優しく紳士的なセシルが、どうしてあんな事をしてきたの?
私、本当にこのままセシルの前から消えていいの?
「マオくん、私⋯⋯」
ここに住むのはもう少しセシルと話し合った後にする、そう伝えようとすると、マオくんは人差し指を口に当てて、悪戯っぽい笑顔を見せた。
「どうやら、迎えが来たようじゃぞ」
「えっ? マオくん?」
そう言ってマオくんは霧のように消えた。魔王はこんな魔法も使えるのね。
そう感心しているうちに、声が聞こえてきた。
「――――アナ」
どこからか私の大好きな声が聞こえる気がする。ここにいるはずがないのに、幻聴を聞くほど私は彼が好きなのかと自嘲しはじめた時だ。
「――――エリアナ!」
彼らしくない姿だ。険しい顔で、汗だくで、木の葉と土にまみれている。
今にも泣き出しそうな表情の彼は、私を見ると表情を緩めた。
「⋯⋯セシル?」
「エリアナっ!」
ぎゅうっと抱きしめてくる彼からは、いつもの大好きな匂いと、汗と土の匂いがした。




