第1話 五歳の誕生日と神殿の洗礼
魔獣が世界に溢れ、この世界は一度、滅びかけた。
人々は自らの命を懸け、魔獣と戦い、世界を守ろうとした。
しかし、その力は足りず、やがて世界は滅亡の淵へと追い込まれていった。
人間を愛していた神は、禁忌の力を使い、滅びゆく世界を救った。
その代償として、神は我らに声を届けることができなくなった。
されど、その心は今もなお我らと共にあり、神は遠くから我らを見守ってくださっている。
我らは、慈悲深き神の心と行いを永遠に称える。
――経典第一章「神の御業」より
前世では一度も着たことがないような、ひらひらしたドレスを身にまとい、私は五歳の誕生日を迎えた。
「おめでとうございます、お嬢様」
「ジュリエット、おめでとう」
家族や使用人たちから、口々に祝福の言葉をかけられる。
「ありがとうございます」
私はにこりと微笑み、ケーキの上に飾られたろうそくを吹き消した。
「お嬢様、こちらをどうぞ」
目の前に差し出されたのは、小さな木箱だった。
「ありがとう、マリー」
私が受け取ると、傍に立っていた若いメイドが嬉しそうに笑う。
十八歳のマリーは、私が生まれた頃から屋敷で働いているメイドだ。今では私の専属の侍女となり、身の回りの世話をしてくれている。
私にとって、マリーは使用人というより、姉のような存在だった。
「開けてもいい?」
「もちろんです」
蓋を開けると、中には蝶をモチーフにした髪飾りが入っていた。
「かわいい」
思わず声が弾む。
「お嬢様によく似合うと思って選びました」
「今日、つけてもいい?」
「はい。もちろんです」
マリーが髪を整えてくれる。
鏡を見ると、いつもより少しだけ華やかになった自分が映っていた。
「どう?」
「とてもお似合いですよ」
マリーが嬉しそうに笑うのを見て、私も自然と頬が緩んだ。
前世でも家族や周囲の人には恵まれていたが、今世でも私の周りには優しい人たちが多かった。このことは、この上ない幸運だったと思う。
前世より文明が発達しておらず、色々な場面で不便を感じることはある。それでも、人に恵まれた今の生活は、十分に幸せだった。
ただ、この世界は単純に過去の時代というわけでもなかった。
前世で一時期流行っていたロマンス小説のように、中世をモチーフにした異世界に近い。
この世界では、魔鉱石と呼ばれる不思議な鉱石が、人々の生活や様々な設備に利用されている。街灯や屋敷の明かりをはじめ、水道関連の設備や医療設備などにも使われており、現在では下水道の整備にも魔鉱石を利用できないか、研究が進められているそうだ。
トイレ問題が解決しそうなことには、密かにほっとしている。
「ジュリエット。はい、プレゼント」
「ありがとうございます、お兄様」
兄のエリクから渡されたプレゼントを開ける。
中に入っていたのは、どこかいびつな熊のぬいぐるみだった。
「お兄様が作ったんですか?」
「う、うん。お母様にも手伝ってもらったけどね」
よく見ると、兄の両手の指には、怪我をしたところに小さなテープが貼られている。
七歳の男の子にとって、裁縫はきっと難しい挑戦だったのだろう。母の隣で一生懸命ぬいぐるみを作る兄の姿を想像すると、目に涙が浮かんだ。
「大切にしますっ!」
「うん」
微笑み合う兄妹の姿を、両親は温かな目で見守っていた。
そういえば、もう一つ行事が予定されている。
この国では、五歳になると神殿で洗礼式を受けることになっているらしい。
前世では宗教とはほとんど縁のない生活をしていた私には、正直なところ、胡散臭さしか感じなかった。
白いドレスに、マリーからもらった髪飾りをつけ、私は家族と一緒に神殿を訪れた。
神官に抱き上げられ、何やら呪文のような言葉を唱えながら、水をかけられる。
冷たい水が頭から降りかかり、私は自然と眉間に皺を寄せた。
「大丈夫? ジュリエット」
「大丈夫よ、お兄様」
心配そうに見つめる兄に笑顔で答え、私は濡れた髪をハンカチで拭った。
両親が神殿関係者と何やら立ち話をしている間、私は兄と一緒に神殿の中を見ていた。
神殿の中央には、この世界を魔獣から救ったとされる神様の像が祀られている。
「こちらは、イレーヌ様でいらっしゃいます」
声に振り返ると、年を重ねた神官が立っていた。
他の神官よりも立派な服を着ているところを見ると、かなり地位の高い人なのかもしれない。
「おじさん、誰?」
私は五歳という幼さを利用して、無邪気に尋ねた。
「す、すみません! モーリス神官長様!」
隣にいた兄が、慌てて頭を下げる。
「ほっほっ、構いませんよ」
神官長は穏やかに笑った。
「本日は洗礼の日でしたな。イレーヌ様の御加護がありますように」
「ありがとうございます」
神を信じているわけではないが、とりあえず頭を下げておく。
その時、両親がこちらへ戻ってきた。
「それでは、失礼いたします」
私たちは神官長に別れを告げ、両親と一緒に神殿を後にした。




