1/14
序章 黒衣の楽師
──宮廷は彼を飼っていた。
いや、正確には。
“飼えている”と思い込んでいた。
宮廷というのは、不思議な場所だ。
毒殺はマナー違反。
だが、陰口は社交辞令として許可されている。
さらに、
「危険人物も芸術家として囲っておけば安全」という、
誰が最初に言い出したのか分からない謎理論が、
代々の伝統として受け継がれていた。
人類は、昔から信じすぎている。
才能ある異常者も、
檻に入れれば管理できる、と。
現実は真逆だ。
本当に閉じ込められているのは、たいてい檻のほうである。
そして、彼はその最悪の成功例だった。
黒衣の楽師。
名を、ルシアン。
宮廷専属音楽家。
肩書きだけ見れば、王家お抱えの文化人である。
だが実態は、音階を扱える災害指定悪魔だった。
彼が初めて王都に現れた夜、時計塔の鐘はすべて逆回転した。
翌朝、天文台の老人は「今日は昨日だ」と言い残して引退した。
以来、王都では奇妙な民間伝承が広まっている。
「午前二時以降にルシアンのヴァイオリンを聴くと、内臓が悲観的になる」
なお、事実である。




