2-1-6「ヴィヴィアンという少女」
ヴィヴィアンという少女は、ヴィヴィアン姫は、英国王室の遠縁たるれっきとした本物の貴族令嬢である。
ただし、由緒正しい家系ではあるのの王位継承権などはないに等しく、かつては栄華を極めたらしいウェールス家も今や没落し良く言えば庶民的、悪く言えば貧しい家庭であった。
古くは英雄アーサー王が当時の勇者ゲームに参加していた勇者であったことから、その子孫たる現王室の血縁者たちもまた「勇者」としてその身を祖国に捧げる責務を持つ。
ヴィヴィアンは、生まれた時から恵まれた愛らしい顔立ちと豊かな小麦畑のような波打つ金髪、そして聖女として――平たく言えば「巫女」が近い――類稀なる優れた霊媒体質を持っていた。彼女の祈りは世界を歪めて神々に届きやすい。それ故か、幼少期は外で遊ぶことはほとんど許されず、同年代の友もおらず、いつも何某かの習い事と訓練をしていた。「御国のために姫になりなさい」と口々に宣う親と親類たちは、その実、かつての華やかな暮らしに戻ることしか考えてはいない。白豚を連想させる見た目の年の離れた中年大貴族との婚約も、その一環。自分自身を見ない人たちと過ごす退屈で窮屈で灰色な日々であった。
娯楽といえば英国が誇る世界的に有名なやや古いロックバンドの楽曲と、白豚婚約者がプレゼントしてくれたいくつかの古い海外のコミック。特にヴィヴィアンは日本のコミックである「NONOの奇天烈大冒険」「ニンジャスマッシャー」が好みだった。どちらも暴力的でコメディでもないのに滑稽で、そしてそれが何処か羨ましかった。
幼い頃はそれに何の疑問も抱かなかった。白豚婚約者から「籠の中の小鳥」「塔の上の髪長姫」と言われても何もピンと来なかった。
彼女にとってそれは当たり前のことだったから。
両親も祖父母も、大人たちは皆それを望み、それを喜び、それを尊んだから。例え、いつも心のどこかで「何かが足りない」と思っていたとしても。より王族に近い白豚と結婚するために育てられていたとしても。
籠の中しか知らないなら、そこが楽園だった。
初めての転機は今より3年ほど前、ヴィヴィアン15歳の誕生日の日。「選定の儀」と呼ばれる、英国王室が密かに保管している神器「選定剣エクスカリバー」を用いて新たな国防の勇者を選ぶ儀式の時。
スマートフォンを初めて与えられ、「中央にある剣の柄を掴んでこい」と言われ、ただの一人で入ったやたら広い何もない白い部屋の中央。白い大理石の床に深々と突き刺さった装飾も何もないシンプルな金色の西洋剣の柄を掴んだ時、ヴィヴィアンの頭の中に荘厳な男性の声が響き渡った。
「我が子孫よ、そなたに相応しい神器と運命を3つ選んだ。3つの中から一つだけ、自ら選びとるが良い」
それは、ヴィヴィアンにとって初めて「何かを選ぶ」出来事だった。それまでは用意された道を一直線に迷わずに懸命に走れば良かった。道は一つしかなかったから。それがコンクリートで出来た無機質で真っ直ぐなトンネルだとしても。
トンネルを抜けた先が迷路だったなんて知らなかった。
それが、急に、3つも!
「まずは王道。そなたは約束された王道を歩むことになるであろう。」
ヴィヴィアンの前に豪華な椅子のようなものが浮かび上がる。
「次に安寧。そなたの道は平坦であるが、その歩みは確かなものとなるであろう。」
ヴィヴィアンの前に黄金の杖のようなものが浮かび上がる。
「最後に波乱。そなたは迷いの中に自らの道を見つけるであろう。進む先が破滅か栄華か、そなたが見極めよ」
ヴィヴィアンの前にシンプルな剣のようなものが浮かび上がる。
悩んだ。ヴィヴィアンは大いに悩んだ。悩んで悩んで悩み抜いた。誰に相談することも出来ない。
御国のためを思えば選ぶは安寧一択。
しかし、彼女の中の何かが、「波乱」を選べと叫んでいた。
「安寧」のほうへ伸ばした左手の指先が震える。「それは違う」と心が泣いているのが分かる。
震える手を一度引っ込めてから「もうどうにでもなれ」と目を瞑って勢い良く左手を突き出した、本能のままに。
左手に触れた何かを咄嗟に掴んだ。恐る恐る瞼を開いて自身が掴んだものを確かめる。それは、それはそれは美しい日本刀だった。キラリ煌めく星型の鍔、惚れ惚れするような刃文。どこか甘く魅惑的な香り。ヴィヴィアンがそれまで持ったことがあるものの中で一番重いが、その重さこそがソハヤノホシマルの実在をヴィヴィアンに感じさせた。
「選定はなされた!神器ソハヤノホシマルが新たなる勇者を、新たなる勇者がソハヤノホシマルを、それぞれ選んだ!我が子孫の選択に栄光のあらんことを!」
初代アーサー王と思われる声はそれっきり聞こえなくなった。
ヴィヴィアンはソハヤノホシマルをじっくり見つめる。
今まで着たどんなドレスよりも、宝石が散りばめられたティアラやネックレスよりも、それまでの15年の彼女の人生の中で最も美しいと感じた瞬間であり、最も運命を感じた瞬間であった。
左掌からヴィヴィアンの脳裏にソハヤノホシマルの「使い方」が直接流れ込んでくる。
それと同時に彼女の儀礼用の衣服が量子化して、花のように広がるフレアスカートが特徴的な淡い紫のドレスと、豪華なティアラへと変じた。彼女がよく着させられいる服に似ている、というかヴィヴィアンはあまり服を知らない。
そして、ヴィヴィアンへ忠誠を誓う騎士のように半透明の人影が頭を垂れて片膝立ちで現れた。
「あら、まぁ!」
その半透明の人影は、コミックの中でしか見たことがないニンジャと呼ばれる存在にソックリだった。
『チュートリアルを開始します。現れた敵を倒して下さい』
首からストラップで吊り下げていたスマートフォンから、無機質なシステム音声が聞こえる。
ヴィヴィアンの前方、数メートル離れた白い床から、赤黒い泥のようなものが染み出して湧き上がり、瞬く間にヒトの形へと形成される。3体の赤黒い人影がヴィヴィアンを睨んだ。
先程頭の中にインプットされた「使い方」に忠実に、ただ左手で指差して心の中で命じた。
「あれを倒せ」、そうシンプルに。
半透明のニンジャがソハヤノホシマルをヴィヴィアンから受け取り、一目散に駆け出す。瞬きをする前に3体の赤黒い人影は、真っ二つに両断される。まるで血飛沫のように赤黒い泥を撒き散らしながら、人影は消滅した。
ヴィヴィアンの心臓が大きく跳ねた。
「あぁ!なんてっ……!」
なんて美しいの!
ヴィヴィアンは生まれてから今まで求めていたものをその時悟った。
(わたくしが欲しかったもの!刺激、自由、そして暴力だったのですわ!)
『おめでとうございます!チュートリアルクリアーです!』
首から下げられたスマホからシステム音声が流れる。と同時にレベルアップを告げるファンファーレが流れ、新しい名前「勇者ネーム」を決めるよう促された。
よく分からなかったので興奮するままに本名に「姫」を足して『ヴィヴィアン姫』で決定。
『ようこそ!新たな勇者、ヴィヴィアン姫!アナタは今から世界を救う勇者です!』
ヴィヴィアン姫の灰色の世界に赤い血の色が追加された瞬間である。
無論、両親や親類たちは黙っては居なかった。彼らはヴィヴィアンは椅子か杖を選ぶものと思っていたようで、重く鋭い刀を引き摺って戻ってきたヴィヴィアンの姿を見て大層驚き、「どうして椅子か杖を選ばなかったのか」「そのためにそういう教育をしてきたのに!」と渋い顔で喧々囂々騒ぎたてた。唯一婚約者だけがニコニコしながら「これから共に祖国を支えよう」と脂ぎった手を差し出した瞬間、ヴィヴィアンの中で何かがキレた。怒ったヴィヴィアンが刀を一閃すると、大人の胴体より太い石柱が朝食よりも簡単に切り裂かれる。
その様を見た大人たちは腰を抜かして黙るしかなくなった。
そうしてヴィヴィアンは気付いた。自分は「籠の中の小鳥」などではなかった。「小鳥の籠に入れられたハイエナ」だった、と。気高い百獣の王でも、誇り高い大空の覇者でもない。血に飢えた野獣こそが自身の本質なのだと。
そして今、野獣は狭い狭い檻から解き放たれた。
それからの彼女の生活は、鮮血の薔薇色の人生だった。
自身の地位と名誉と保身しか考えていない親族の毎度の冷たい態度にも「わたくしの指先一つであの首が綺麗に宙を舞う」と考えればにこやかな笑顔になれた。
彼らには感知すら不可能なことをいいことに、彼女の忠実な従者である半透明のニンジャでからかう遊びもそこそこスリルがあった。
勿論、勇者ゲームの勇者は「一般人」を傷付けることは許されない。最悪の場合、ポイント失効からの勇者資格剥奪の可能性もあるから、直接傷付けるようなヘマはしなかった。
唯一婚約者の白豚は――彼もまた勇者であり、占いによって国を影から支えている――何度か共闘をする内に見た目に反して紳士であり、それなりに良好な関係になったが、彼の数十年の研鑽よりもヴィヴィアンの才能のほうが遥かに凌駕していた。
ヴィヴィアンが最も好んだのは、やはり単純な戦闘系クエストだ。
誰に咎められるわけでもなく、何の制約も無く、ただ自身の暴力性を、衝動を、渇望を満たすためだけに神器ソハヤノホシマルとニンジャが鮮血と暴力の花を咲かせていく。
数多くの怪物を斬り倒した功績が認められ、勇者ゲーム最大級のギルド「魔法少女連合」を先代ギルドマスターより任されてギルマスになり、ヴィヴィアン姫個人を慕う者たちも増えた。彼女の渇望はそれで留まることはない、筈であった。
全てが覆ったのは逆天竜魔神王ファリファー・ファラフナズ・ファロゥマディンの討伐クエストの時だ。
圧倒的であった。人間の勇者など神の前では塵芥であることをその身を持って味わった。魔神王の前にあらゆる攻撃は意味をなさず、あらゆる防御は空気に等しい。そしてヴィヴィアンは初めての「死」を経験した。
暴力!暴力!!暴力!!!全てを薙ぎ払う圧倒的な暴!あらゆるものを捻じ伏せる絶対的な力!かつてその身を焦がし憧れたものにあっさりと簡単にいともやすやすと蹂躙された。
クエストに失敗し、蘇生されて心臓が鼓動していることに心の底から安堵した。が、心臓の鼓動はいつまでもいつまでも高鳴り強くヴィヴィアンの鼓膜に響いていた。
それが2度目の転機。ヴィヴィアン姫の灰色の世界に仄暗いダークブルーが染みる。
ヴィヴィアンにはその鼓動の高鳴りが、何なのか分からなかった。死と暴力への恐怖から来るものなのか、あるいは……恋や愛からくるものなのか。
独立動作している半透明のニンジャ――ヴィヴィアン本人の暴力性の発露と自由への渇望の現れであり、自身が好きだったコミックの影響を受けているのは明らか――や、ソハヤノホシマルは何も答えてはくれない。
だから、「試す」ことにした。
ファリファー・ファラフナズ・ファロゥマディンに再び相見えることにしたのだ。
都合が良いことにギルド「魔法少女連合」所属の筈だったジョージアが自ら問題行動の責をとり脱退。直後にファロゥマディンと繋がりのある勇者ああああと自身の対戦動画を公開して行方をくらました。
勇者ああああと会えばファロゥマディンにも会えるかもしれない。そうして勇者ああああを探した。
結果は……予想外に魅力的なものだった。勇者ああああよりも先にファロゥマディンの姿を見た瞬間、自然と膝を折り祈りを捧げていた。何を祈ったのかは今となっては霧の中だが……。
しかし、神に届きやすい筈の彼女の祈りは、ファロゥマディンには届いていないようだった。代わりにファロゥマディンが見ていたのは勇者ああああであった。それを理解した瞬間、ヴィヴィアン姫は自分の中に暗い嫉妬の感情が湧き起こるのを感じた。同時に自分の中にこんな感情があったなんて!と驚く自分もいた。
それらの感情をどう処理していていいか分からず、思わず勇者ああああを攻撃するが、それで気持ちが晴れるわけもなく。
取り敢えずバカなピッキオーネンの愚かな早とちりで出来た時間で感情を飲み込み、あらかじめ考えていた勇者ああああを口実に話し合いに持ち込むことが出来た。
そして思わずファロゥマディンに愛の告白をしてみるものの、何かが足りないと感じた。
そのまま済し崩し的にファロゥマディンと戦うことになり今に至る。
まずはファロゥマディンに勝って彼女の信者となりそれから……どうしよう?そこにあったのは疑問ではなく困惑だ。
死と暴力の使徒になり、自らを道具としてしか見ない親族どもに鉄槌を下すのか? 愉快だがそれは違すうとも感じる。凍りついてしまった勇者ああああの「自分を一度殺してくれ」という提案をこれ幸いとドス黒い嫉妬の感情で言われるまま勢いのままに実行しようともしたが。
困惑は逡巡となり逡巡は心を鈍らす。必殺技の【Rock You!】で魔力を使い果たし、膝を付いたヴィヴィアンに容赦なく襲い掛かるファロゥマディンを見た時、ヴィヴィアンは心の底から恐怖した。
「わたしは!姫様の盾!姫様の騎士!勇者ピッキオーネンだ!」
バカで怖がりなピッキオーネンが、ヴィヴィアンを護ろうとその身を盾に死のダンスを踊る。騎士を自称してごっこ遊びに興じるだけの痴れ者が、勇気に心震わせて本物の騎士のように。
何故、そこまでするの。
生まれた国も育ちもまるで違う彼女。ヴィヴィアンの強さと気高さに惚れたと。ヴィヴィアンのようでありたいと。そうバカなことを語っていたピッキオーネンの背中が、今のヴィヴィアンにはとても眩く見える。
ピッキオーネンの背中からファロゥマディンの手が生える。命の輝きを失いつつある中であってもピッキオーネンの勇気はより一層強く輝く。そして勇気の輝きはそのまま煌めく焔へと変じ、焔は不死鳥の姿を真似る。
「【愛と自由へ、翔べ】!!!」
ヴィヴィアンも知らない、今習得したばかりであろうピッキオーネンの必殺技が炸裂。
ヴィヴィアン姫の灰色の瞳に眩い焔の金色が焼き付く。
勇気の焔で燃え上がる不死鳥が、焔の翼をはためかせ、生じた焔の渦にファロゥマディンが大きくよろめく。
そしてピッキオーネンだった燃え上がる不死鳥が地面から翔び立ち、一直線に勇者ああああの方へ翔ぶ。
デスリカバリー狙いか、あるいは……
困惑は逡巡となり逡巡は心を鈍らす。自分が何をしたかったのか何を求めていたのかヴィヴィアンには分からなくなった。
ただ、バカなピッキオーネンに酬いなければ、と思った。彼女が騎士として命を賭すのなら、自らも「姫」としての役割を果たさねば、と。
自然と身体が動いて自らの手でソハヤノホシマルを掴む。ソハヤノホシマルを自分の手で持つのは久々だった。
ピッキオーネンの意図を察したか焔の不死鳥をファロゥマディンが追おうとしているのが見える。
最早ヴィヴィアンに魔力はほとんど残っていないが、それでも唯一使える必殺技がある。初めて使えるようになり、初めて使って、自分の趣味ではないな、とそれまで封印していた必殺技が。
ソハヤノホシマルの柄を握る手に力を込め、
そのまま刀を腰の鞘に納刀するように構え直し、立ち上がり脚に力を込め、吠える。必殺技の名を。
「【Let It Be】eeeeee!!!」
ヴィヴィアン姫が爆発的な勢いで駆ける。否、閃光となる。
ヴィヴィアン姫が初めて使えるようになった必殺技【Let It Be】は『ありのままで』という意味の名の通り、ヴィヴィアン姫が内に秘めていた暴力性を「超高速の抜刀術による一閃」として爆発的に発露させるものだ。ただし最初に発現した必殺技だからか威力は低い。が、魔力はほとんど使わない代わりに肉体を酷使する、現状唯一のヴィヴィアン姫本人がソハヤノホシマルを振るう必殺技である。
鋭い斬撃そのものと化したヴィヴィアン姫がファロゥマディンに迫る。狙うはファロゥマディンの首。
【Let It Be】の威力ではファロゥマディンの首は落とせないが、せめて足止めをと判断。
ファロゥマディンの指先が焔の不死鳥の尾羽根に迫る。斬撃の到達が間に合うか否か……
(否ッッッ!間に合わせるッッッ!!!)
ヴィヴィアン姫渾身の一閃が、ファロゥマディンの首の四分の一ほどまで食い込んだのと地獄蠍の毒尾がヴィヴィアン姫の腹をぶち抜いたのはほぼ同時だった。
ファロゥマディンの動きが止まったのは、刹那。しかし、その刹那で十分であった。
「ファロゥマディン!!!」
勇者ああああの時が再び動き出す。
ピッキオーネンが放った新必殺技は、どうやら自分の命と引き換えに、敵は焔で焼き、味方は癒す――というよりも生命エネルギーを分け与えるバフ効果――であったようだ。
「我が勇者ぁ!」
左腕に装着された杭打機を再び構える勇者ああああに、ヴィヴィアン姫を尾に刺したままのファロゥマディンが襲いかかる。
朦朧とする意識のなかでヴィヴィアン姫が最後に見た光景は……。
太い杭を後頭部から生やした逆天竜魔神王ファリファー・ファラフナズ・ファロゥマディンであった。




