後編
――その頃、魔王城では。
「魔王様。人間たちが勇者召喚に成功したようです」
「なに、本当か? 忌々しい人間どもめ……」
魔王城の奥深く。
荘厳な造りの部屋の中で、魔王軍の軍幹部たちが人間国家への侵略計画について話し合いを重ねていた。
「まあいいさ、我々の進行計画は既に大詰め。勇者とやらがここに辿り着く前に、人間の国は全て我らの手中に収まるであろう」
そう語る魔王に、幹部たちは感嘆の声をあげた。
すると魔王は片腕を振り上げ、部下たちに行動開始を命じる。
「行け! 力の差を見せつけてやれ! 人間どもに我らの偉大さと恐怖を深く深く刻み込むのだっ‼」
幹部たちは魔王の言葉に歓喜し、一斉に動き出す。
彼らがあげた勝ち鬨のような声が遠退いた後、その部屋には魔王一人だけが残される形となった。
「如何に強き者が召喚されようと、我と我の軍団の前では羽虫も同然。勇者とやらが力を付ける暇など与えず、瞬く間に征服してくれよう」
シンと静まり返った部屋の中で、魔王はそんな独り言を呟く。
まるで、自らの勝ちを既に確信しているかの如く。
「転移魔法も城の結界に阻まれて城門からしか入れず。そして階下の部下たちを倒さねば、ここに辿り着くことすら叶わん。となれば……召喚されたばかりの勇者殿には少しばかり手厳しいか? 無事にここまで辿り着けたなら、その時は手加減でもしてやらねばなァ!」
独りきりの部屋に高笑いを響かせ、魔王は圧勝した未来に想いを馳せる。
この世界に存在する魔法やスキルの大半に精通する魔王に隙は無く。考え得る奇襲の手も結界や妨害魔法で対策済みであり、敵対する者への備えは盤石。
魔王にとって、勇者など脅威とは程遠い存在であった。
――私、メリーさん。今、人間のお城にいるの――
……この時までは。
だがしかし、魔王は突如として聞こえてきたその声にも取り乱すことはなく、ピタリと高笑いを止めて冷静に思慮を巡らせる。
「……これは、通信魔法かスキルか? 早速降伏でも告げる気か?」
この世界で、種族や距離など様々な要素を無視して声を伝えられるのは、通信魔法か特殊スキルくらいなもの。
だから魔王もその可能性を鑑みて、冷静に通信のチャンネルを逆探知しようと試みる。
――私、メリーさん。今、あなたの国の国境にいるの――
次に届いたそのメッセージに、魔王は少し狼狽える。
人間の王城から国境線まで数百キロはあるものを、今の一瞬で?
たとえ転移魔法を用いるにしても、発動まで数分はかかるはずだ。
だが、魔王はすぐに思い直す。そんなことがあるわけがない。
元々そこに居たのに、ブラフで王城にいると言ったのだろう。
危ない。いきなり敵の術中に嵌っては部下に笑われてしまう。
そう考えながら、魔王は冷静に広域探知魔法を発動させた。
「……ふむ、確かに怪しい気配があるな。これが勇者とやらか」
魔王が発動したその魔法探知は、数秒で国境付近へと到達する。
すると、確かに配下とは異質な気配が一つ、国境沿いに存在していた。
魔王はそれにマーキングを施し、探知で常に居場所を把握できるよう設定する。
その上で、部下たちに念話を送って勇者を襲撃するよう指示を出すことにした。
……だが。
――私、メリーさん。今、魔王さんのお城の前にいるの――
魔王は驚愕した。
優れた探知魔法を持つ魔王だからこそ、それが出まかせやブラフではないと知ってしまったのだ。
何故なら自身の付けたマーキングが、確かに一瞬で国境から城の前まで移動していたから。
余裕を持って思考を巡らせていたはずの魔王だが、今や混乱で冷静さを失っていた。
それはそうだろう。各地に点在する部下たちを無視して、魔王城の前までの百数十キロを転移されたのだから。
それも、魔王が部下に念話を繋ぐより先に、一瞬で。
そこまで瞬時に発動可能な転移魔法など、魔王の知る限りでは存在しない。
だからこの瞬間、魔王はそれが特殊スキルによるものだと悟った。
そして、認識を改めねば危険だとここで漸く察したのだった。
「おい! 誰か居らんか! 誰か‼」
念話の準備のため魔力を練りつつ、魔王は声をあげて近場の部下を呼びつける。
そちらの方が念話よりも迅速との判断は、取り乱しながらもまだ冷静な証拠であった。
「おい! おーい‼ ……チッ、全員階下に出払った後か。やはり念話での通達が……」
――私、メリーさん。今、一階の階段のところにいるの――
「バ、バカなッ⁉」
狼狽する魔王の大声が、誰もいない部屋に響く。
それは愈々あり得ないことで。
城には結界が張ってあり、入口の門は部下が守っているのだから。
だとすればこの者は、一瞬で部下を排除して入り口を通過したことになる。
魔王は大いに取り乱し、やっと繋げられた念話でもって城の門番へ声を送った。
「おい‼ 何があった⁉ 門が、門が破られたのか⁉」
「…………へっ? 魔王様? い、いえ、こちらは至って正常ですが……何のことでございましょうか?」
「……な、なんだと?」
最早、意味が分からなかった。
探知で把握している相手の位置は、確実に城内の階段付近にあるというのに。
ならば透明化や幻惑の魔法でも駆使して部下を惑わしたのかと考えたが……そもそも城の門は最初から開いた形跡など無い。
門が開けば、そこにかけた自身の魔法が消えるからすぐに分かる。
つまりそれは、ただ純粋に結界を通り抜けて転移され、城内へと侵入されたという意味であった。
「き、緊急事態だっ‼ 全員厳戒態勢を取り、すぐに最上階まで集合せよ‼ 侵入者だ、見つけ次第殺しても構わん‼」
乱暴に練られた緊急の念話により、部下たちは漸く異常事態に気付く。
何が起きたのかも充分把握しないままだったが、彼らは大慌てで上階へ上がろうと階段に集まった。
「……は?」
だが、そのことで魔王はさらに混乱する。
何故なら、探知で把握しているはずの勇者の位置を部下たちが素通りし、階段を上り始めたからだ。
「な、何をやっているのだ⁉ そこだ、そいつを殺せっ‼」
だが、念話でそう命じられた部下たちはキョトンとして立ち止まることになる。
何故なら――――
「ま、魔王様? このあたりには誰もおりませんが……?」
「そ、そんなバカなっ⁉ そこだ、そこに居るだろう⁉」
「い、いえ。誰も、何も……」
部下から伝わって来る言葉に、魔王は自身と部下の両方の正気を疑った。
自分が探知魔法で把握している存在は、まさか幻覚だとでも言うのだろうか。
しかしながら、彼の魔法は確かに正常に作動している。
そして部下たちの気配も状態異常になど陥ってはいない。
それはつまり、相手が姿無き侵入者としか考えられない事態であった。
――私、メリーさん。今、七階の大広間にいるの――
「ひぃっ⁉」
自分から漏れ出た情けない悲鳴に屈辱を感じ、ギリッと奥歯を噛み締める。
得体の知れない相手とはいえ、自分は強大な力を持った魔王だというのに。いくら謎めいた相手だろうと、対峙して冷静に戦えば勝つのは自分だというのに。
そう思い直すと、魔王はこの状況にありながら瞬時に冷静さを取り戻す。
ゆっくりと深呼吸をしながら、再び来るであろうメッセージを待った。
――私、メリーさん。今、十三階のバルコニーにいるの――
その内容に、冷静になった魔王はハッと気付く。
階下の室外にあるバルコニーなら、この部屋の窓から下を覗けば相手の姿が見えるのではないか、と。
部下たちに見えなくとも、自分ならば見えるはずだ。
あらゆる看破の魔法とスキルを修得した魔王の自分ならば。そう思い、急いで窓を開けて下を覗き込む。
だが……探知魔法上では確かに存在するはずの相手の姿は、魔王の目にも映ることはなかった。
「……ハ、ハハハ。そんなバカな。我にも見えん、だと……?」
ガクリとその場で膝をつき、魔王は速まる鼓動を抑えようと必死に胸を抑える。
だが、相手は容赦無く次のメッセージを送り付けてきた。
――私、メリーさん。今、最上階の階段の前にいるの――
一瞬、魔王の頭に「降参」の二文字が浮かぶ。
しかし、通信魔法のチャンネルを探っても手応えがないことから、それは一方的にメッセージを送るスキルか何かと予想できた。つまりは降参と伝えようにも不可能ということだ。
そこまで考えて、魔王は頭をブンブンと横に振る。自分は魔王だというのに、たかだか接近を許した程度で弱気になってどうするのか。
――私、メリーさん。今、最上階の赤い扉の前にいるの――
「……舐めおって」
それは、魔王が現在いる部屋から十数メートル先の位置。
ならばと、魔王は咄嗟に大量の魔力を練り上げながらドアへと走る。
そして部屋のドアを開けるや否や、相手の気配がある方向へと向けて練り上がったばかりの高位魔法を放つ。
相手の肉体も霊体も全てを巻き込み、溶かし尽くしてしまう至高の魔法の一つ。たとえ相手の姿が見えずとも、その全てを滅ぼしてしまえば関係無い。
周囲の壁や床をも巻き込み、空気の裂ける音を響かせて闇の塊が渦を巻く。数秒に渡って行使された高位魔法は、勇者を魂ごと消し去ったに違いなかった。
その渦が消え去った後で、魔王は探知魔法のマーキングを確認する。
だがしかし、そこに勇者の存在はない。酷くあっさりと姿無き勇者は葬り去られ、その場には壊れた廊下の残骸と静寂だけが残されていた。
「……フ、フハハ、ハハ……あ、呆気無いものだな」
激しく脈打つ心臓を落ち着かせ、魔王は勇者の気配が探知魔法から完全に消え去ったことを入念に確認する。
そしてバタンと扉を閉じて部屋の中に戻ると、魔王は漸く得体の知れない恐怖から解放されたと胸を撫で下ろした。
「……いったい、何だったのだ? まあ、滅んだ今となってはどうでもいいが……ふう。まったく人間どもの悪足掻きには少しばかり肝を冷やされてしまったな。追い詰められた獣は危険と言うから、これからの侵攻計画も気を引き締めねばな」
自身の気持ちを落ち着かせるため、魔王は早口で独り言を呟いてからドカッと椅子に体重を預けた。
まさか、自分がここまで脅かされるとは思ってもみなかったのだろう。
屈辱を噛み締めながらも、魔王はさっさと気持ちを切り替えようと侵攻計画の浚い直しを始める。
「おっと、いかんいかん。その前に部下たちに事態が収拾したことを伝えんとな。どうやら、まだ冷静さを取り戻せていないようだ。ハハハ……」
大きく溜息を吐き、魔王は今一度冷静になろうとゆっくり息を吸った。
すると直後、コンコンとドアをノックする音が聞こえる。
漸く部下たちが到着したのかと、魔王は呆れながらも吸った空気を吐き出した。
「まったく、遅すぎるぞ! 敵は既に消し去った後だと……」
気の抜けた声で、魔王は扉に向かって語りかける。
そこにいる部下が誰なのかと、探知で気配を探りながら。
「私、メリーさん。今、あなたの部屋の前にいるの」
――――その言葉の意味を理解するのに、数秒を要した。
意味を理解した瞬間、魔王はサーッと青褪め、凍り付く。
皮肉にも優れた探知魔法が、勇者が確かにそこに在ると教えてくれた。
さっきまでは確かに消えていた気配が、今は不気味なくらいにハッキリと存在していた。
魔王はあまりの恐怖で腰かけた椅子と同化したように動けなくなり、パニックを起こして生まれて初めての過呼吸というものを味わう。
一瞬が永遠と等しく感じられる世界の中で。
実時間で数秒の後、魔王は自身の生存を確認するように声を発した。
「……お、お、おま、お前は、いったい……何なのだ⁉ どうやって、あの魔法から逃れ、生き延びたというのだ⁉」
先ほどの魔法がその勇者の気配を確実に包み込んだことを、魔王は探知によって確認していた。
あの魔法は周囲の魔力も相手の魔力も纏めて巻き込み、その全てを溶かし尽くす。ゆえに一度範囲内に収めれば、その内側で転移魔法やスキルを発動することなど不可能。
いくら未知の特殊なスキルが存在していたとしても、肉体も霊体も巻き込まれて溶かされながら発動するというのは、生物ならば無理がある。
だから、あの状態から生き残ることなど絶対に不可能なのだ
それは魔王自身ですら、できはしないことなのだから。
「い、いったい、お前は、何なのだ‼」
その問いかけに、返事は無かった。
魔王はイチかバチか、その扉が開いた瞬間に再び高位魔法を叩き込もうと魔力を練って待ち構える。
心臓が痛いくらいに脈打ち、時間がさらにゆっくりと流れているように感じた。その中で、扉の僅かな動きさえ見逃すまいと全力で集中し、持てる魔力を全力で注ぎ込んで練り続ける。
その時、地の底から響くような音が、魔王の耳に届いた。
「私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの」
――――その、背後から。
一瞬で背後に回られた。
その事実と、襲いかかる圧倒的恐怖に戦慄し、魔王は死を覚悟する。
腕に力が入らず、練っていたはずの魔力も、体温すら失った気がした。
カチカチとぶつかって鳴り響く自分の歯を止められない。それなのに、心臓の鼓動だけは異様に大きく聞こえていた。
千のスキルを知り、万の魔法を操る力を持っていても、今はその全てが無意味に思える。
自分にこうもあっさりと死の瞬間が訪れるなど予想だにしていなかったが、今は抗う気力すらどこかへ消え去ってしまって、最早全てがどうでもいい。
叶うなら、なるべく苦痛の無い最期を。
どうか、早く自分に死を与えて苦しみから解放してほしい。
心の底から、そう勇者様に願った。
……だが、その瞬間はいつまで待っても訪れはしない。
不思議に思った魔王が十数秒をかけて恐る恐る後ろを振り返ると――――そこには、誰の姿も在りはしなかった。
もちろん、探知魔法にも誰の気配も存在しない。
まるで今までのことが、悪い夢でも見ていたように思えてしまう。
だが、それを真っ向から否定するように嫌な風が部屋の中を通り抜けて行き、魔王の首筋を優しく撫でた。
遠くの空から、クス、クスクス……と誰かの笑い声が聞こえた気がした。
その後、漸く到着した部下たちが目にしたのは、椅子に腰かけたまま情けなく気を失っている魔王の姿であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――――その後、魔王軍は侵攻計画を中止することになる。
それどころか人間たちに和平交渉を持ちかけ、争うこと自体を止めてしまったのだ。
唖然とする人間たちの代表団の前で、魔王は震えながら語った。
「我は井の中の蛙であった。我はあの者に生かされたのだ。お前のような小者などいつでも殺せるぞ……と釘を刺された上でな」
そのセリフに、人間代表として出席していた巫女は何か思い当たる節があったのか、青褪めた顔で魔王を見ていた。
彼女のそれは喜びや満足感とは程遠い、何か悍ましいものを思い出すような表情であった。
それから先、両者は傲慢を捨てて相手を認め合い、手を取り合うことを選んだ。
何があったのか、その真実は両国の極一部の者だけが知っている。
後世の書物には「勇者様は単身魔王城へと乗り込んで魔王と話し合い、誰一人傷付けることなく無血での和平を実現し、元の世界へと戻って行った」と記されることとなった。
勇者召喚に関わった一部の人間たちと魔王のみが知り得た内容は、公に明かされることはなく歴史の闇へと葬り去られることに。
そして、その関係者が天寿を全うした後の世で。
当の勇者はというと――――
「私、メリーさん。今、あなたの町の入口にいるの。
クス、クスクスクス、クスクスクスクスクス……」
――――元の世界になど戻ることなく。
彼女は、新たな世界でも怪異となって存在し続けるのであった。
世界を救ったことなど気にもかけず、誇ることもなく。
今日もどこかで、誰かを脅かすことだけを楽しんで。
……もしかしたら、次はあなたのところに来るかもしれませんね。
「私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの。
クスクスクスクスクスクス……」
~おしまい~
いかがだったでしょうか。
もし万が一「怖すぎるので、怖くないよーとか嘘書くな!」と感じた方がいたら教えてください。前文を訂正しますw
また、文字数を減らしたり読みやすくするため後日(時間がある時に)改稿予定ですので、予めご了承ください。
それでは、また。
クス、クスクスクス……