-XX日目
マリスレイス国は温暖な気候の国だが、真冬の夜更けにボロ布一枚で外に放り出されれば凍える。珍しく雪も降っていた。白い肌の至る所に刻まれた暴力の残滓に寒風が沁み、ユイはぶるりと身震いした。身体が冷え切っているのだろう、吐く息はもはや白く色づかない。
有無を言わせぬ力で肩を押され、ユイは膝を突いた。勢い余ってぶつかった膝は痛いはずだが何も感じない。魔法無効化を付与した手枷を嵌められ、後ろ手に拘束された腕もそうだ。
肉体に繋がる精神の糸が一つ一つ現世から切り離されていく感覚がした。
両脇に立つ能面のような処刑人に処刑されるのと、全ての糸が切断されるのはどちらが先だろうか。後者ならいいな、とぼんやり思った。その方が苦しみは少ないはずだ。
広場に設けられた特設の処刑台の周囲には多くの国民が詰めかけていた。みな諸悪の根源たる災厄の聖女が断罪される瞬間を待ち侘びている。その期待は凄まじい。証拠に、ユイが処刑台に登る前から膨らむ憤怒と怨嗟の野次は、今もまだ膨張を続けている。
「さっさと殺せ! 災いを断て!」
「この戦争もお前が王太子に近づき唆したんだろう!」
「聖女のフリして国を滅亡させようだなんて許せない!」
「偽りの聖女が。お前のせいで殿下は……!」
「――この、異世界から来た悪魔が」
最後の一言にユイの擦り減った心がぴくりと反応した。
喚んだのはそっちでしょ、と内心で反駁する。口に出す気力はとっくに失われてしまった。どうせ何を言っても無駄だ。聞き入れてもらえない。
「ほら見て、顔色一つ変えないわ。気味が悪い」
「何を考えているか分からないな」
心はじくじくと血を流しているが表情筋は死んでいるらしい。けれどユイを非道な悪女にしたい彼らは、たとえ切々と悲しみを訴えても見苦しいと唾棄するだけだろう。
ユイは虚ろな黒瞳で広場を埋め尽くす民衆を見渡した。待望の聖女として王城に立った時、崇拝と感謝をもって迎えてくれた温かな瞳は見る影もない。
ここにいれば庇ってくれたはずの王太子は隣国との戦争で戦死した。
数週間経っても昨日のことのように眼裏に蘇る。
胸に深々と突き立つ刃。飛び散る赤。ぐらりと頽れるのがやけにゆっくりと見えた。ユイは悲鳴を上げ駆け寄ろうとしたが、腹に回された必死の腕に引き留められた。
「嫌ッ、離して! フェルティス! 死んじゃ駄目! 治癒、治癒魔法でそんな傷すぐに治せるから、だから……! っ、お願い離して!」
「止まるッス! アンタのことは殿下に頼まれてるんス!」
たった十歩の距離が果てしなく遠かった。硬い地面に倒れ込む間際、フェルティスが苦痛に歪む容貌をくしゃりと歪め、こちらに微笑んだ。
『泣かないで』
遠くて声まではうまく聞き取れなかったその一言が最後だったなんて信じられない。
王太子フェルティスも、動けないユイの手を引いて一緒に逃げてくれた仲間もみんな死んだ。きっと、大瘴気と共にやってくると予言された魔族の侵攻を待たずして国は滅亡する。
大切な人を全て失い、残ったのは異世界から召喚され、縁もゆかりもないこの世界のために尽くしたユイを逆恨みする人々だけ。彼らのために喪失の悲しみを乗り越え、命懸けで助けようとはどうしても思えなかった。ユイを他人思いで優しいと評してくれたフェルティスを想うと胸が痛むが、もうとうの昔に気力は尽き果ててしまった。
合図を受けた処刑人が専用の幅広の鉈を構えた。ぎらりと光る刃先に触れた雪片が形を崩し溶ける。
頭を垂れた姿のまま、ユイは力なく瞼を閉じた。
――やっぱり怖い。死にたくない。でもそれよりも……悔しい。何もできなかった自分が情けない。突然知らない異世界に召喚されて、心細くて泣いてばかりだった私にそうしてくれたように、私もフェルティスやみんなを救いたかった。……もしやり直せたら、今度こそ――。
鉈が振り下ろされた。




