V
「違うんでやス! これは不可抗力なんでやス!」
インプは、淡々と上着を脱ぐフェルディックに向かって、必死に自分の失態を弁解しようとしていた。
「僕だってスカートの中身を見たい気持ちも分かるよ。――男だしさ。でもそれって、子供のやることだろ」
「こ、子供と一緒にしないでほしいでやス! あっしは元々そういうふうに生まれたんでやス!」
「――ふーん。インプってスカートを見ると我慢できない生き物なんだ」
「イ、イヤ……。個人差はありやスけど……」
――個人差って何だよ。
フェルディックは上着を逆さまに着終えると、ぱっぱっと服のしわを伸ばす。
「それじゃ、僕は早くこの森から出ないといけないから――」
これ以上、この悪魔に構っている暇はない。
フェルディックはインプを置いて、さっさと歩き出す。
「え、ちょっと――!?」
インプが素早い動きで、フェルディックの前に立ちはだかる。
「――何?」
フェルディックは抑揚のない声で言った。
「ナ、ナニって――。あの、もしかして。あっしを置いていくつもりじゃあ……」
「駄目なの?」
「ダ、ダメって……。この哀れな小悪魔を救おうって気はないんでやスか!」
インプは、フェルディックがいなければ森から出ることができない。
――まあ裸だし。
フェルディックはそれを承知の上で、あっさりと答えた。
「ないね」
――ピシィッ! インプの皮膚が硬直し石化する。それからボロボロと崩れ落ちた。
フェルディックはそんなことお構いなしに、インプを無視して再び歩き出す。
すると、いつの間に復活したのか、またもやインプが彼の前に立ちはだかる。
「ヒドイ、ヒドスぎる! 鬼、悪魔、人でなし!!」
今度はフェルディックを指差し、いかにも見捨てられた奴らしい台詞で罵倒する。
「その言葉、全部君に返すよ」
頭に角があって悪魔で人でないのはどう見てもインプの方だ。
ムッとしたフェルディックは、インプを避けて通ろうとするが、インプはしつこくそれを阻止した。
イライライライラ……。
右へ、左へ、時にはフェイントを掛けてみるが、インプは見事なディフェンスでそれを阻止した。
「――もう、いい加減にしてくれ!」
フェルディックの声に、インプはビクリと反応し、驚いた鳥が羽ばたいた。
「いいかい、僕が君を助ける理由なんてない。むしろ、君のどうしようもない“いたずら”に巻き込まれた僕に謝ってほしいくらいだね」
フェルディックは、積もり積もった怒りを爆発させ、猛烈な勢いで一気にまくしたてた。
「ほら、僕の言ってることは何か間違ってるかい? 何か言ってごらんよ」
どうなんだと言わんばかりの態度で、インプに問い詰める。
「ソ、ソレは……」
インプははっきりしない態度で、ぶつぶつと小さく何かを唱えている。
「わかっただろ、僕がお前を助ける理由なんてない。じゃあね――」
言って、フェルディックは歩き出す。
背中越しに、インプがその場で泣きじゃくっている様子が伝わってくる。
イヤダとか、死にたくないとか、うわずった声で、まるで子供みたいに泣く声が聞こえる。
フェルディックは深く肩を落し、小さく呟いた。
「――わかった。僕が大人気なかったよ」
振り返って、もう一度言う。
「わかった、僕が悪かった! 大人気なかったよ!」
インプが、半べそかきながらフェルディックを横目で見る。
「わかったから、もう泣くな」
インプは長く垂らした鼻水を、ズビーっとすする。
「――ほら、ちゃんとついてこないと置いてくぞ」
フェルディックはインプに背を向け、数歩して止まる。
「あんまりゆっくりしていられないんだ。早くしてくれよ」
それまでとは違う、やさしい口調で言った。
「ア、アニキィ……アンタって人はぁ……」
インプはフェルディックの慈悲に心を打たれ、熱い思いが込み上げる。
「デカい、デカすぎるよ! ――決めた、あっしはアニキについていきやス! アニキに男を学ぶんでやス!」
インプは瞳を輝かせ、嬉しそうにフェルディックに飛びついた。
「うわっ! やめろ気持ち悪い!」
フェルディックはインプを振り払おうとするが、インプは背中の丁度良い場所に張り付いているので、手が届かない。
「ウケケ、アニキーアニキー!」
「まったく、調子の良いインプだよな。大体兄貴って何だよ……」
お前みたいな弟いらないよ。――とは言えなかった。
「あっしの名は“チゲ”でやス。アニキの名はなんていいやスか?」
「フェルディック。フェルディック・ブライアン」
「よろしくでやス、フェルディックのアニキィ!」
嬉しいんだか悲しいんだか。
なんだか変な生き物に好かれたな。
フェルディックは頬をかいて、少し照れくさそうにその名を呼んだ。
「はいはい、わかったよ。それじゃ行くぞ、チゲ」
「ハイッ! 感激でやスッ!」
チゲは嬉しそうに、フェルディックの肩の辺りにピッタリとくっついて離れない。
「まったく、調子のいい奴だな」
フェルディックは、小さく微笑んだ。
「クスクス……」
フェルディックは立ち止まる。
「アニキ、今わらったでやスか? 女の子みたいな笑い方するでやスね」
「……いや、僕じゃない」
「――イッ?」
フェルディックは静かに、辺りに注意を払う。
「クスクス……クスクス……」
また聞こえた。小さな女の子の笑う声。
森の異変に木々がざわつく。
それにどうやら声の主は一人ではないらしい。声は後から次々と、何重にも重なりあって反響し、頭の中にまで響いてくる。
「インプがニンゲンと一緒にいるよ――」
「変だね――」
「変てこだね――」
「チゲ、もしかしてこれって」
フェルディックは、注意深く辺りの気配を探りながら、小さく呟いた。
「そうでやス。妖精でやス」
チゲは静かに、怒りを込めて言った後、空に向かって叫んだ。
「ムキーッ! 隠れてないで出てくるでやスッ!」
――ピタリ。声が止んだ。
緊張が走る。
コソコソと会話する声。
これから自分達をどうするのか会議をしているのだろうか。
――ピタリ。また声が止む。
カサカサッ! と音がした。
茂みから、二匹の小さな妖精が姿を現した。
大きさはチゲと同じくらいだろうか、羽の生えた可愛らしい少女の妖精だった。
一匹は恥ずかしそうにスカートの裾を下に引っ張っており、もう一匹は険しい表情をしている。
険しい表情の妖精がビシィッ! とチゲを指差した。
「そこのインプ! アンタこの子に何したか覚えてるわよね」
「イッ!」
チゲの目がカッ! と見開いた。
「アンタがこの子のスカート覗くから、この子飛べなくなっちゃったじゃない。どうしてくれるのよ! ニンゲンの力を借りて森から抜け出そうったって、そうはいかないんだからね。アンタみたいなヤツと一緒にいるニンゲンも同罪よ、同罪! ここから逃がすもんですか!」
そーだそーだと、彼女を応援する声。
「ア、アニキィ……」
チゲは助けを求める目でフェルディックを見たが、フェルディックはしらけた目でチゲを見た。
やっぱり連れてこなきゃよかった。――そう目が物語っていた。
「ソ、ソンナァ……」
チゲはしおれて、地面に落下してゆく。
しかし、困ったことになった。
チゲのおかげで、フェルディックもこの森から出られなくなってしまった。
不本意だが、ここは自分でどうにかするしかない。
「あのさ、許してほしいなんて都合のいいことは言わないけど、僕はどうしてもこの森から出なくちゃいけないんだ。だから、どうすれば僕たちをここから出してくれるか教えてくれないかな?」
フェルディックはできるだけ丁寧な口調で言った。
「ア、アニキィッ!」
チゲは飛び上がり、きらきらと目を輝かせた。
「ふん、ニンゲンのクセに偉そうね。ワタシそういうウエからメセンっていうの嫌い!」
彼女は舌を出してべーっとした。フェルディックの態度が気に入らないようだ。
チゲは不安そうにフェルディックを見る。
フェルディックは軽く咳払いし、すぅっと息を吸い込む。
「――ごめんなさい。どうか哀れな僕達を、あなた様の広い心で許してはくれませんか。どうかこの通り、お願いします」
言って、フェルディックは深々と頭を下げた。
「き、急に態度を変えたってダメよ! そんなんじゃ許さないんだから」
――と、その時。
それまで恥ずかしそうにスカートの裾を下げていた妖精が、彼女のスカートの裾を引っ張った。
「――え、どうしたのリコ?」
リコと呼ばれた妖精は、彼女に耳打ちをする。
彼女はうーんと喉を鳴らしながら腕組みをし、爪先をトントンさせる。
なにやら考え事をしているようだ。
彼女は、どうにも納得できないといった様子で、二人に言った。
「むぅ、仕方ないわね。……いいわ、ここから出してあげる」
「本当に?」
フェルディックの声が高くなる。
「――ただし!」
彼女は、ビシィッ! とフェルディックを指差す。
やはり、簡単には許してくれそうにないみたいだ。
「アンタの着ている服を少し貰うわ。この子、リコがアンタのボロっちい布をズボンにするって言ってるの!」
リコは頬を紅く染め、モジモジとしている。
妖精のズボンくらいなら、袖をちぎるくらいで足りるだろうか。
思ったより簡単な要求に、フェルディックは安堵の息を漏らす。
「構わないよ。そのかわり、このインプも一緒に森から出して欲しいんだけど」
彼女は、リコに確認の目線を向ける。リコは小さく頷いた。
「ありがとう。助かるよ」
フェルディックがリコやさしく微笑みかけると、リコは目を伏せた。
――あれっ?
「いい、ワタシは認めないからね」
険しい表情の妖精は言いながらも、フェルディックのところまで飛んで行く。
「服の袖でいいかい?」
フェルディックが確認を取ると、彼女はリコの方を見る。リコが頷く。
彼女は手に光を集めると、服の袖だけ器用に切り抜く。
これも妖精の魔法なのだろうか。
興味深そうに覗くチゲを、彼女が鋭い目で睨み付けるので、チゲは声を上げてフェルディックの背中に逃げ込んだ。
彼女は、切り終えた服の袖を左手にだらんとぶら下げると、右手を空に向かってくるくると回し始める。
――すると、彼女の指先に、たくさんの小さな光が集まりはじめた。
その光は、やがて一つの大きな光へと成長し、彼女の「えい!」という掛け声と共に、天高く舞い上がり、パンッと空中ではじけた。
光の粒子が、キラキラと森に降りそそぐ。
「すごい、これって魔法?」
フェルディックは生まれて初めて見る魔法に、驚きと喜びを隠せないでいた。
「魔法っていうか、ただの合図よ。森から出られるように“この森”に合図したの。――まあ、光を作ったのは確かに魔法だけど……」
「すごい、本当に魔法が見れるなんて!」
フェルディックは手のひらに光の粒子を集めようとするが、光は手に触れると雪のように溶けてしまった。
「褒めても何も出ないわよ。……あっ! そうそう、後コレね――」
そういうと、彼女どこからともなく、身の丈ほどもある石を取り出してこちらに差し出してきた。丸い球のような石からは、薄っすらと光が放たれている。
「これは?」
「暗くなったら明かりが必要でしょ。これは、念じるだけで光を放つように魔力を込めた特別な石なの。感謝しなさいよね」
「あれ? 何も出ないんじゃ――」
「コレはワタシじゃなくて、あの子! リコからよ!」
彼女は、リコの石を半ば強引にフェルディックの手に握らせた。
「ちゃんとお礼言いなさいよね」
「あ、ありがとう……」
「違ぁーう! ワタシじゃなくてリコによ!」
彼女はフェルディックに一喝すると、リコの方に向き直る。
「ほら、アンタも何かいいなさいよ」
彼女は、リコに何か言うようにと促すが、リコはモジモジするだけで何も答えない。
「もう、アンタって子は!」
リコのはっきりしない態度に彼女はいらだっているようだ。
その様子に見かねてか、フェルディックは自分からリコに礼を告げることにした。
「あの、石までくれて、本当にありがとう。大切にするよ」
リコはフェルディックの言葉に頷くと、両手で顔を隠し、猛ダッシュで茂みの中へと消えてしまった。
「あ、ちょっと、待ちなさいよ!」
袖をぶら下げた彼女も、リコを追いかけて消えてしまう。
あっという間のできごとに、フェルディックはただ呆然と見送ることしかできなかった。
森は、いつもの静けさを取り戻していた。
どうやら、彼女らが去ったと同時に、他の妖精もどこかへ消えてしまったらしい。
「アニキィ、やっぱアニキは最高でやス!」
チゲは嬉しそうに飛び回る。
フェルディックは、ふと右の手の平に視線を落とした。
リコのくれた石が、淡い光を放っている。
「リコ……ちゃんか、かわいい妖精だったな」
「ゲッ!」
フェルディックが漏らした言葉に、チゲが反応する。
「アニキィ、かわいい子分ならここに――」
「お前はかわいくないよ」
「――イッ!」
フェルディックの素早い切り返しに、チゲの眼がカッ! と見開く。
「そ、そうでやスね……。あっしはアニキに男を学ぶんでやス! かわいいんじゃなくて、かっこいい男になるんでやスよ!」
「はぁ……。お前ってヤツは……」
何か勘違いしているチゲに、フェルディックはカクンと首を折る。
「いいんでやス。ミナまで語るなでやス。あっしは全部わかっているでやス」
チゲはうんうんと頷く。
「チゲ、お前、全然わかっていないよ」
「――エッ? 何か言いやしタ?」
聞いてないのかよ。
「もういい、行くぞ」
フェルディックはチゲを置いて歩き出した。
「ア、チョット、アニキマッテー!」
二人はドルイドの小屋へと、森の中に消えた――。