XLI
ニヶ月後――。
フェルディックは騎士団の兵舎の裏手にある広場で、剣を構え、息を切らしていた。
「病み上がりが無茶をするな」
先ほどから剣を交えているというのに、オスカーのほうは息ひとつ乱れていない。
あれから、フェルディックの傷は僅か一ヶ月で完治した。
医者は不思議そうな顔をしていたが、無理もない。左肩と右膝には穴が開いていたのだ。それが、僅か一ヶ月で跡形もなく綺麗に治ったとなると、悪魔の力が残っていたとしか考えられなかった。――もちろん、医者には言っていないが。
「そっちこそ!」
フェルディックは間合いを詰めて、ブロードソードを縦に振り下ろす。が、オスカーに軽くかわされ、足を引っ掛けられた。
「わっ、――っととと!」
バランスを崩し、前のめりに倒れこむ。口の中に入った砂を、ぷっと吐き出した。
「アニキィ! ナニやってるでやスかァ!」
少し離れたところでそれを見ていたチゲが、激を飛ばしてくる。
「そんなすましたヤツ、ちゃちゃっとやっちまえでやス!」
チゲはオスカーに横目で睨まれて、「ヒィ」と縮こまる。――その隣で、ヘレンがくすくす笑っていた。
「どっちも頑張ってー」
彼女はいつも中立の立場で声援を送ってくる。
事件から暫くして、ヘレンとダイモンの親子は、ローデンハイムに移住することを決めた。
『オレはナチアを……忘れるわけでも、捨てるわけでもねぇ……。ただよォ、いつまでも過去に縛られてちゃ駄目なんだ。オレにはまだ、大切な娘がひとり、残っているんだからな』
あの時、ダイモンは言った。
『情けねえよな。こんな姿、ナチアに見られたらオレァ見捨てられちまうよ』
いつまでも自分の死を引きずってられていては、ナチアさんも迷惑なのだろう。
生きている限り、前に進むしか道はないのだ。
彼らの姿を見て、ナチアさんもようやく安心して眠ることができたはずだ。
それから、ダイモンはそのがたいのよさを見込まれ、現在はベンとフランクについて衛兵として働いている。ヘレンは、こうして暇を見つけては剣の練習を見にきてくれる。
「くぅ……もう一度だッ」
フェルディックは立ち上がった。
紐でぶら下げられた鋭い歯のネックレスが、ふわりと宙を舞い、太陽の光に反射する。
レッドキャップは、あれから姿を消したままだ。
その後、ドルイドの小屋を調査した兵士たちも、彼の姿を見なかったという。
彼はどこに行ったのか、その行方は誰も知らない。
「いい加減学習しろ。剣術は薪割りではない」
オスカーが、ロングソードを脇に構えを取る。
「肩の力を抜け。相手から目を逸らすな。一瞬の隙が命取りとなるのだ。何度も言わせるな」
「フフ、随分な言われようね」
二人の間を女性の声が割って入った。
フェルディックは声のほうを見やる。
「アザレアさん……? いつからそこに……」
彼女は相変わらず神出鬼没だ。
「隙だらけだぞ」
「――え? うわぁ!」
余所見をしていた隙に、オスカーが接近。体当たりを受けて、フェルディックは尻餅をつく。見上げると、ロングソードの剣先が向けられていた。
「剣の腕はまだまだね」
アザレアが楽しそうに笑う。
「この程度の腕で、どうして生き残れたものか。まったく、不思議なものだな」
「……うっ、それは……」
「そうそう。あのアムってインプも、あれ以来見かけないし……。事件は解決したけれど、謎は多いのよねえ……」
もちろん、アムと契約したことは誰にも言っていない。力の代償とはあまりに酷なものだ。
話せばきっと彼女は心配するだろう。だから、誰にも言わないと決めたのだ。
「ムキーッ! アムの奴なんかどうでもいいでやス! あっしだって頑張ったんでやスから!」
何が悔しいのか、チゲが空中でぷんすか煙を噴き上げている。そういえば、チゲはチゲで大変な目にあったらしい。
悪魔が城に入り込んだと、一時は大変な騒ぎになったのだとか……。まあどうでもいいけど。
「――あなた、何か隠していることがあるでしょう?」
アザレアはフェルディックの背後に回りこむと、耳元で囁いた。
「な、なな、ないです! ないですってば!」
フェルディックは頬を紅潮させ、アザレアから離れると、両手を前に突き出し、慌てて否定した。
「怪しいわね」
アザレアのじと目に、焦りは増すばかりだ。
「ま、いいわ」
アザレアはふっと息を吐いて、肩を竦める。
「私はこれから用があって、しばらくここを離れるの。爺様が研究の手伝いをしてくれとうるさくって……。まあ、今日はその挨拶をしにきただけよ」
ホジュアの研究ということは、フーズベリの教会地下で氷漬けにされていた女性たちに関わることだろう。現在の彼の研究は、彼女たちを氷の中から救い出すこと……というのは、表向きの理由で、本当はスコットの死霊魔術を研究するのが目的だ。
ただの人間だった彼が、どうしてあれほどの魔術を扱えるようになったのか。それが分かれば、今後の魔術研究に大いに役立つと彼は目を輝かせていたっけ。
目的はどうであれ、その研究で彼女たちが救われるのなら、それでいいと僕は思う。
「行くのなら、勝手に行けばいい」
言葉通り、勝手にしてくれと言わんばかりの口調で、オスカーが言った。
「あら? 淋しいくせに」
「……」
彼は面倒臭そうに目を逸らした。
「ヘレン、この子達をお願いね。また無茶でもして怪我したら困るもの」
言われてヘレンが「はい」と嬉しそうに答える。
「どうしてそうなる?」
「あら、やっぱり私と離れるのが嫌なのかしら? 仕方のない子ね」
「……」
オスカーは、さっさと行けと手を払った。
「じゃあね。それまでいい子にしてるのよ。ああそう、それと、フェルディック」
「……?」
「ひとつだけいいことを教えてあげる。ブロードソードはね、片手で扱うものなの。これ、どういう意味か分かる? つまりあなたのソレは、盾を持ってはじめて意味を成す武器なのよ。ただでさえ、オスカーのロングソードより刀身が短いのだから、それじゃいつまで経っても勝てっこないわよ」
「……え?」
アザレアは踵を返し「じゃあね~」とご機嫌な様子で去って行く。
「…………えぇぇぇぇッ!」
フェルディックは絶叫して、オスカーを見やった。
「ようやく気付いたか、馬鹿め」
オスカーはフンと鼻を鳴らす。
「うぅ……。お金が溜まったら、盾も買ってやるんだ……ッ」
フェルディックはブロードソードを片手に、構えを取った。
「まだやるつもりか? こりない奴だ」
オスカーは溜め息交じりに言って、額に手を当てた。
「アニキィーッ! 今度こそやっちまえでやス!」
ギロリ、とオスカーの眼光がチゲを射抜く。
「ヒィ!」
「二人とも、怪我しちゃ駄目だからねー」
二人の声援に後押しされ、フェルディックは突進した。
ブロードソードの突きを、オスカーは紙一重で避ける。フェルディックは手首を捻るようにして、剣を縦に回転。刀身を振り下ろすが、空を斬る。――オスカーは軽いステップで後方に飛び退いていた。
「フン、その気になればできるじゃないか」
これには自分でも驚いた。片手だとこんなに使いやすいなんて。
「まだまだァ!」
フェルディックは間合いを詰めて、剣を突き出す。続けてひゅっと横薙ぎに、それから縦に振り下ろした。
キィン、と。
金属の激しくぶつかり合う音がした。
オスカーが、はじめてフェルディックの攻撃をロングソードで受け止めた。
しかし、片手では彼の力に敵うはずもなく、フェルディックは簡単に押し返される。よろけて後ずさるフェルディックだったが、すぐに体勢を立て直して、再び斬激を打ち込んでゆく。
この日、激しくぶつかりあう剣戟の音は、日が沈むまで鳴り止むことはなかった。
クルプ暦223年。樹木も赤や黄色に染まるころ。
フェルディック・ブライアンは、フーズベリの町を救ったその功績を認められ、極刑は取り下げ――晴れて騎士団への入団を果たした。
―Fin―




