III
湿った空気が充満する、薄暗い森の中をつきぬける。
ぽっかりと、丸く切り開いた開いた空間に、夕影の差し込む、寂れた一軒の小屋。
風が、枯葉をさらい、木々をざわつかせていた。
ドルイドの小屋を前に、フェルディック、マントン、デリックの三人は、無言で佇んでいた。
「おい、デリック。これがお前のいう“小屋”というやつかね……」
マントンは、眼前の光景に唖然とした。
ウエストリード通りを外れ、森の中を馬車が走ること一時間。
フェルディックたちを出迎えてくれたものは、ドルイドの“小屋”というより、むしろ、ドルイドの“廃屋”といった方が正しい。
建物の木は腐っていて、今にも崩れ落ちそうだ。
「なんてことだ、この私が、こんなボロ屋で一夜過ごすことになろうとは」
マントンはがっくりと、うなだれた。
彼には残念だが、もうすぐ日が落ちる。いまさら別の宿を探すわけにもいかない。それに、廃屋でも、野宿に比べればまだいい。
廃屋のドアを、マントンがゆっくりと開く。
錆びた金具の音が響かせ、外光が、玄関に割って入った。
室内は薄暗く、視界は悪い。
マントンを先頭に、フェルディック、デリックと、続いて入る。
床を踏むたび、ギシギシと木の腐った音がきこえた。
マントンがカーテンを開け放つ。
夕影に染まった調度品が、姿を現した。
ひび割れたテーブルと椅子、蜘蛛の巣のはった暖炉、それから食器棚。
放置されて長いこと経つようだが、確かに、ここに人が住んでいたという、生活観は感じられた。
嫌な顔をしながらも、さっそうと部屋を物色し始めるマントン。
フェルディックとデリックの二人は、持っていた荷物を床に降ろした。
「どうやら、ベッドは一つしかないようだ。はっきりいって、こんなベッドは遠慮したいがね」
マントンは、ベッドからシーツを摘み上げ、二人に向かって放してみせる。
――ばさりっ、埃が舞い上がり、マントンは口を覆った。
「じゃぁぁぁ、ボクがぁぁぁ」
「――お前はどこででも寝れるだろう!」
マントンは間髪入れずに、デリックを制する。
フェルディックも、確かにデリックはどこでも眠れそうだ、と思った。
「このベッドは私が使わせてもらう。いいね」
マントンは二人に、文句はないな、と視線をうながす。
そして、先ほどの埃まみれのベッドシーツを抱きかかえ、二人の前で足を止めた。
「シーツを綺麗にするのだよ。それとも、君たちがやってくれると言うのかね?」
二人は顔を見合わせ、マントンに道を譲った。
ふんと鼻を鳴らし、マントンは外へ出て行く。
マントンの消えた後、部屋の中には、静けさだけが残った。
フェルディックは、改めて、部屋全体を見直してみる。
――こうして見ると、なんだか不気味だな。
目にしている光景は、先ほどと何一つ変わっていない。だが、マントンの去った後、物音一つしない部屋を眺めていると、なんだかこの建物にじっと見られているような気がしたのだ。
「……では、私も外へ」
フェルディックは言った。
デリックが何で? という顔をしたので、彼が話し始めるより早く、
「――部屋の中にいても退屈ですし」
と、理由を付け加えた。
デリックは、相変わらず開けたままの口で、頷いた。
廃屋から外に出たフェルディックは、森の湿った空気を、胸いっぱいに吸い込み、背伸びする。
旅立ってからずっと、馬車の中で揺られていたので、体の節々が痛い。
息抜きに散歩でもしようと、辺りを見回すと、大きな切り株が目に留まった。
近づいてみると、切り株の年輪に、ざっくりと割った切り口が残っていた。
斧は見当たらないが、どうやら、ドルイドじいさんは木こりをやっていたらしい。
「ああ、君!」
切り株をみつめるフェルディックの後ろで、男の声がした。
フェルディックが振り返ると、男が手を振りながら、こちらへやってくるのがみえる。――馬車の運転手だ。
「やあ、すまない、ええと。フェル――。えぇと、確か……」
フェルディックは、ここにきて初めて馬車の運転手の顔をまともに見た。
帽子をかぶった、人の良いおじさんといった印象がした。
「フェルディックです」
「――ああ! すまない! フェルディック君だったね」
運転手のおじさんは、悪気の無い笑顔で答えた。
「実は、少し頼みたいことがあるんだが……」
「はい、私にできることなら構いませんが」
フェルディックは即答した。
マントンとは違い、運転手のおじさんのように、嫌味のない人の頼みなら喜んで引き受ける。
「それはありがたい!」
運転手のおじさんは両手を広げ、大いに喜んだ。
「実は、頼みというのはね。馬のことなんだよ。彼らに水を飲ませてやりたいんだが、日が暮れる前に毛並みを整えてやりたくてね。――そこで君に、川まで水を汲んできてほしいんだ。お願いできるかな?」
「はい、それくらいなら喜んで」
フェルディックは笑顔で、快く引き受けた。
「ありがとう、助かるよ」
フェルディックは運転手のおじさんに、馬車の止めてある場所まで案内された。
馬車から切り離された二頭の馬は、今はそれぞれロープで木に繋がれていた。お腹が空いたのか、辺りに生えている雑草を食べている。
フェルディックは、運転手のおじさんに木のバケツを一つ持たされた。
思ったよりも少し大きい、水を入れたら重そうなバケツだ。
それから、川の流れている場所を教えられた。
夕日が見える方向に、森を真っ直ぐ突きぬけたところにあるそうだ。
行って帰るのに、さほど時間は掛からない。
ただ、道という道がないので、迷っては大変だ。
「迷わず帰れるように、君の腰に提げている剣で、木に印をつけて行くといい」
運転手のおじさんは、親切に教えてくれた。
「ありがとうございます。では、行ってきます」
「よろしく頼むよ」
フェルディックが川の方向へと、歩み出す。
――ふと、何かを思い出した運転手のおじさん。
「ああ、それから」
「はい、なんでしょう」
振り返るフェルディック。
「おそらく大丈夫だと思うけどね。森の妖精には気をつけるんだよ。妖精に危害を加えようものなら、迷って出られなくなってしまうからね」
「――妖精が出るんですか!?」
フェルディックが驚きと、期待の入り混じった声を上げる。
「おや、君は妖精を見たことがないのかな?」
「はい、ずっと村の中で生活していたので」
「――ふぅむ、そうか。しかし、妖精のいたずらというのは、ゴブリンなんかよりよっぽど怖いんだ。なにせ、ゴブリンからは逃げられるが、妖精からは絶対に逃げられない。妖精の無邪気さは、時に人を殺すこともあるんだよ」
運転手のおじさんは、妖精の怖さをよく知っているような口調だった。
同時に、フェルディックを気遣ってくれているのが分かる。
「そうですね。気をつけます」
「残念だが、フェルディック君。君の身のためだ」
運転手のおじさんは、フェルディックの肩を軽く叩いた。
「だが、もし出会ったなら。服を逆さまに着ることだ。旅人の間でそういう言い伝えがある」
「ありがとうございます。けれど、水を汲んでくるだけです。すぐに帰ってきますよ」
フェルディックは笑ってみせた。
「それもそうだね。では、お願いするよ」
「はい、それでは」
フェルディックは踵を返し、川の方へ、森の茂みの中へと消えてゆく。
運転手のおじさんは、フェルディックが見えなくなるまで見送った。