最後の訓練所(書影その2)
第二章【 談話室の攻防 】
退寮騒ぎから一夜明け、火曜の夕刻。
果々子は当番の風呂掃除をしていた。
割り当ては『風呂④洗い場』。
本日すぐに当番が組み直され(素早い)、前後が同じ者ばかりにならぬようバラバラになった。
今週は、話しやすいタマ先輩が『風呂①浴槽』なので、一緒に掃除をするのが楽しい。
昨日までこの世の終わりみたいに引き込もっていた癖に、自分でも呆れる程ゲンキンな奴……と自分で思った。
話題は、麻美子と一緒に退寮した柏岡久恵の事。
「あの子は巻き込まれただけ感あるからなぁ」
小さい体で長いモップを薙刀のように操りながら、タマ先輩は言う。
「多分、藤田ちゃんはすぐに東の、大きい寮の何処かへ移動すると思う。いくら彼女でもこのままポプラ寮は嫌だろうし。柏岡ちゃんには、付き合って着いて行ってもいいし、こっちに戻ってもいいよって言ってある」
藤田麻美子はカタコユリ荘を正式退寮だが、柏岡久恵は保留扱いになっている。三階にある久恵の部屋は今の所は残されてある。
「そうなんですか」
優しい。でも確かに、久恵は麻美子とつるんでいたけれど、普段の生活は真面目だし洗濯は流されて手伝っていただけとの事。学生課からの勧告は受けていない。
果々子は話を聞きながら、五つある洗い場を丹念に磨いていた。
元々大事にされていた物をより綺麗にするのは大好きだ。世の中には掃除好きなんて人はいなくて、ただ綺麗好きなだけだという事を、多くの掃除をしない者は分かっていない。
「遠山ちゃんは自分を持ってて偉いなぁ」
「そんな事ないです。掃除の不満はさっさと学生課に訴えれば良かったって瀨戸先輩に言われて、反省しました」
「そうだねぇ。普通の社会じゃ取り沙汰して貰える事じゃないし、言った方が割を喰う時もあるからねぇ」
「はい……」
「でもここは学校寮だから。親元は放れたけれどまだまだ未成熟な人間も混じっていて。そういう雛が社会人になる前の最後の訓練所? みたいな」
「はい」
果々子は先日タマ先輩が言っていた「ダメンズ育ててどうするの」を思い出した。
男女関係なく、今まで周囲の大人にやって貰っていた事を当たり前ではないと思い知るのは、大切な機会だと思う。それを「出来ないから、可哀想だから」と取り上げるのは、害悪でしかない……と思った。
「そもそも藤田、自分の始末もでけてへんかったやん」
関西弁バリバリで引き戸を開けたのは、紫メッシュの瀨戸先輩。
「学生課から連絡あって、東の白樺寮からオッケー出たって。藤田の引っ越し確定。で、柏岡も受け入れオッケーやけど、どうするか聞き取りしといてって」
「あらぁ、早かったね」
「ポプラ寮の寮監からせっつかれたみたい。グズグズしてたらまたゴミ貯められるって」
「ゴミの運び込みに目を剥いてたモンねぇ」
果々子はグフッと吹き出しかけて慌てて止めた。
ポプラ寮の監督は三十代の風柳みたいな男性で、いまいちプロ意識が足りないとタマ先輩は言っていた。
学生課から連絡は来ていたが、まさかと思って何の受け入れ準備もしていなかったらしい。まぁ自分の所の男子学生を女子寮に入り浸らせて放置していたのだから押して知るべし。
準備されているべき部屋は埃団子の物置状態で、麻美子がヒステリーを起こしている所に更に大量のゴミが運び込まれ、そこからまたひと悶着あったらしい。
瀨戸先輩は果々子の方をちょっと見てから、ジャージの裾をまくって風呂場に入って来た。脛の筋肉がくっきり綺麗で思わず魅入ってしまう。
「掃除どこまで?」
「あと流して排水溝だけ」
「やっとくから、行ってくれん? 今なら柏岡、談話室に来とるらしい」
「そうなの? 分かった。じゃあお願いします」
「私やと、つい口が滑ってビビらせてまうからな。あ、遠山も」
「!?」
急に振られて果々子はビクンとした。
「柏岡が呼んでるってさ」
「へ?」
「こっちもやっとく。どこまで済んでる?」
「ざ、ざっとはもう終わって、今、鏡とカランを磨いていました」
「あらぁ、もしかして私に付き合ってくれていたの? 終わったら先にあがっても全然良いのにぃ」
お喋りしながらの掃除が楽しくて、ついダラダラ手を動かしていただけなんだけれど……
「こ、これ、いっぺん磨いてみたかったんです。真鍮見ると磨いてみたくなる性癖っていうか」
二人の先輩がクスクス笑って、後ろから覗き込む。
「ピカピカやん、カラン、そんな色やったんか」
「ね――綺麗。その網の中身、なぁに?」
「み、みかんの皮です。くもり取りの……」
「うほ、遠山、結婚して」




