裏事情のさらに裏
執務室には、どことなく穏やかな雰囲気が満ちた。部屋の主である国王をはじめ、その場の皆が少々緩んだ顔つきになる。
つい今し方、最終報告がすべて出揃った。ソルベルグ王国への支援完了およびガレリア帝国との不可侵条約締結についてだ。つまり、これまで手分けして進めてきたすべてが、どうやら実を結ぶ見込みとなった、という報告がなされたところである。
「それでは以上を明日の議会で正式に報告するという方向でいいな。皆、ご苦労だった」
国王が締めの言葉を述べる。室内に押しかけていた関係者は、口々に労いの言葉を掛け合いながらぞろぞろと出て行った。
間もなく数人を残していなくなり、執務室は閑散とする。シュトライヒ侯爵は、出入口に近寄って、室外の様子をそれとなく確認してから、扉を静かに閉めた。
ふっと息を吐きながら振り返ると、国王が椅子に沈み込み、机に肘を突いて頬杖を突いている。その姿に、シュトライヒは苦笑を漏らした。
その場に残った他の者たちも、皆そろって分かりやすく態度を崩していた。
ヴィッテルスバッハ侯爵は、手近にあった補助椅子にどかっと座り込み、ハウスクネヒト伯爵はその椅子の肘掛けに腰を下ろしている。二人とも、つい先ほどまで手にしていた報告書類を応接テーブルに投げ出したところだ。
ノイエンドルフ公爵は、姿勢正しくソファに座っているものの、王の指示なくそこを占拠している時点で行儀がいいとは言えない。その背後にいるライヒェルト子爵は、壁にもたれ掛かりながら、大あくびをする。向かいの椅子にはクラウス伯爵が腰を下ろしているが、手持ち無沙汰に膝上の書類の端を弄っていた。
唯一きちんと直立して国王の脇に控えているのはハインライン伯爵だけだったが、これは彼がかつて侍従を務めていた頃の名残で、気を抜いているからこそ出てしまう身に染みついた習慣である。
シュトライヒ自身も、扉に寄りかかって、ネクタイを緩めた。普段は隙を見せることのない彼でさえ、ほうっと大きな溜息を漏らした。彼もまた、宮内府長官でありながら、他のメンバーの手が回らない内容をカバーするために、内務のあれこれを肩代わりしていたのだ。これでようやく本来の仕事だけに戻れるとあって、「長かったなあ」と思わず漏らした。
「いや、ホント。こんなに時間がかかるとは思ってなかった」
「ま、これで、ガレリアとソルベルグのお守りをしなくてもいいわけですねえ」
「ああ、ようやく報われたなあ」
皆が口々にぼやき始める。
なにしろ十年以上かけた大仕事が、ようやく一段落したのだ。もちろんまだ油断はできないが、ほぼすべてが完了している。やり遂げたと満足すると同時に、気が抜けるのも無理はない。
これまで彼らが心血を注いできたのは、二つの隣国への対処だった。両国とも北側に位置し、他の三方を海に接するローゼンシュタインにとって、国境を接するのはこの二国だけである。
一国は、国境線の九割を接するガレリア帝国。もう一国は、残り一割を接するソルベルグ王国。この二国間に焦臭い争いが起きたのは、十数年前のことだ。
発端は、ソルベルグがガレリアに経済援助を求めたことである。当初はローゼンシュタインに詰め寄ってきていたのだが、放漫財政の続く相手に甘い顔はできないため渋っていたところ、何を思ったのかソルベルグはガレリアに依頼し直したのだ。ガレリア帝国は強大な軍事国家であり、これまでに何度となく南下政策を取ってきたというのに……。
こうして、ローゼンシュタインが巻き込まれることになった。
国境を接しているとは言っても、ガレリアとの間には急峻で長大な山脈を挟んでおり、この山脈が天然の防御壁となったおかげで、これまではほぼ接触がなかった。国交さえ結んでいないほどで、まるで無関係な国だった。
しかし、ソルベルグの事情は少し違った。山脈を挟んでいるのは同じだが、山と山の合間に伸びる隘路が、ガレリアとソルベルグの間に存在する。この山間のさほど広くもない道が伸びているため、両国には一応の国交があり、細々とながらも繋がりがあった。だがそれが、温かい気候の肥沃な土地を狙っていた好戦的な国に、経済破綻しかけた国が援助を求める誘因になってしまった。
元々が小国である上にド貧乏なソルベルグは、ガレリアが本気で攻め寄ればさほど長く保つとは思えない。かといってソルベルグが墜ちれば、次はこちらに攻め込まれる危険性が増す。そのためローゼンシュタインとしては、ソルベルグを防波堤として利用するために援助し、並行してガレリアとの交渉を開始せざるを得なくなったのだ。
えらく迷惑な話である。
それでも地道に少しずつ少しずつ活動し続け、その活動が成果を上げ、目の前に解決が見えるようになったのだ。
そのような訳で、皆少しばかり浮かれていた。
「あ、そうだ、陛下。国境警備の警戒レベルですが、もうちょっと下げてもいいですかね?」
「そうだな。近日中に一ランク下げて、不可侵条約を正式に締結したら、通常警戒まで下ろそう」
「了解」
少将として国境戦域司令官を務めるライヒェルトだが、普段の軍人らしいキリッとした口調からほど遠い、くだけた調子で問う。国王も、内容こそ的確ではあるものの、返事の口調はどこか気安いものだった。
というか、その場に残っている全員が、ほぼ同時期に学生時代を過ごし、同級生だったり先輩後輩だったりする。縁戚関係がある者も多い。人目がなければ、こうして気軽に接しているのだ。
「通常警戒に戻ったら、経費が半分になる。それは助かるなあ」
二人の会話に、ヴィッテルスバッハが口をはさんだ。財務大臣である彼は、長いこと金策に追われ続けていた。なにしろ自国の軍事費だけでなく、ソルベルグ王国の財政立て直しに多額の費用がかかるのだ。
「ひとまず、国庫が空になる前に済んで良かったよ」
「まあ、なかなかの空っぽ具合ではありますがね」
ヴィッテルスバッハとシュトライヒの軽口に、国王が大袈裟に肩をすくめてみせた。
「なに、いざとなったら宝物庫に入れっぱなしの王冠を、全部売ってしまえばいいさ」
国王が冗談めかすと、全員が苦笑した。実を言えば、どうにもこうにも資金調達が上手くいかなかった折りに、王自身の戴冠式で用いた王冠から、嵌め込まれていた宝石類を取り外し、換金したという秘密がある。換金を指示した時の王は、「どうせ遠目じゃわからないから、いいじゃないか」と笑った。さすがに大きな声では言えない話とはいえ、そのような性格を皆が好いている。
「そりゃ名案ですね」
「いやいや、さすがに全部を売り払ったらまずいでしょ」
「初代が戴冠式に作ったものだけ残しておけばいいだろ。私としては、先々代が作ったやつなどはデザインが気に入らんしな。むしろ売却した方がいい」
「オークションでも開きますか?」
冗談とも本気ともつかない悪乗りがしばらく続いた。皆が笑い合う中、ふいに国王が立ち上がり、背後のキャビネットを開いた。
「そういえば、いいものがあったんだ」
席に戻った国王の手には、重厚な硝子瓶があり、それを執務机の上にことりと置いた。
「そんなとこに隠していたんですか」
「お、いいですねえ」
シュトライヒは吹き出しそうになり、ライヒェルトが明るい声をあげた。
「これって、ソルベルグ産のアフバッハ・ヴァインブラントじゃないか」
「あの国、ブランデーだけは美味いんですよね」
酒好きのハウスクネヒトとヴィッテルスバッハが、瓶のラベルを目にして頬を緩める。その間に、ハインラインは甲斐甲斐しく人数分のグラスを用意していた。
「前祝いとしようじゃないか」
そう言いながら、国王は自らコルク栓を抜いた。
「執務室で酒盛りしてもいいんですか? 王妃陛下に怒られますよ」
からかうような口調で言いながら、ライヒェルトもしっかりとグラスを受け取っている。
「一杯だけだ」
「そうそう、本日の業務はすべて終了ということで」
口々に賛成意見が上がる。国王がグラスを掲げると、琥珀色の液体が揺れた。続けて、全員に行き渡ったグラスが掲げられ、それぞれが喉を潤す。
芳醇な果実香と香ばしい樽香がふわりと漂い、滑らかな口当たりから、すっきりとした甘みが優しく抜けていく。その上質な味わいを堪能した。これほど心置きなく美酒を味わえるのは、山積みだった難題が一気に片付いたからだ。
思えば、誰もが働き詰めだった。
防波堤役を押しつけるためとはいえ、おんぶに抱っこ状態の貧乏国を丸抱えするのはなかなかに苦労が多い。とにかく金がかかったので、ヴィッテルスバッハは方々に頭を下げて資金をかき集めた。費用だけがあればいいわけではない。物資、とくに食料は重要だ。そこでハインラインが自領地を含めて農産地域を巡り、安くて腹を満たせる芋を中心に増産させる。次にそれらを送り届けるために、ハウスクネヒトが専用の物流ルートを維持した。何年も自転車操業を続ける羽目になったが、なんとか持ちこたえられた。
一方で、最前線であるソルベルグの砦をライヒェルトが守り、ノイエンドルフがガレリアとの交渉を続けていた。
また、その間にクラウスは別の種類の苦労をしていた。長い目で見れば、ソルベルグには自国民によって自国を運営できるようになってもらわなければならない。教育機関も崩壊寸前状態の隣国で、人材を育てるために制度と機関を再構築するべく動いていた。
そうして苦節十数年、幸運にもガレリア帝国との不可侵条約が無事に締結できる運びとなった。ガレリアから、サフラ国への仲介を依頼されたのがきっかけだ。
なにしろあちらこちらでケンカを売りすぎたせいで、ガレリアは深刻な魔力不足に陥っている。国境沿いの防御壁といい、各所の砦といい、街々のインフラに生活道具といい、すべては魔力がなければ機能しない。その魔力の供給は、魔法石の採掘に頼っている。
困り切ったガレリアが目を付けたのは、たまたま数ヶ月前にローゼンシュタインの侯爵令嬢がサフラの第三王子に嫁いだという事実だ。サフラは著名な魔法石の産出国である。
ガレリアとて、魔法石の大きな鉱脈をもっているのだが、どうもその鉱脈の産出量が激減しているという。その情報を得たノイエンドルフが、それとなくヴィッテルスバッハがサフラ国第三王子の舅という立場である事実をちらつかせた。そしてそのエサは、見事ガレリアのエネルギー省を釣り上げたわけだ。
ヴィッテルスバッハにとっても、思いがけない副産物だった。対処に苦労した養女が、このような形で役立つとは思ってもみなかった。
もっとも当の養女への対処は、王太子を中心に子供たち世代が解決したものだ。それ以外にも、些末な事柄とはいえいろいろと問題は起こり、その都度、子供たちなりになんとかしてきた。なにせ親たちが職務に忙殺され、子供たちに構っている時間が大幅に削られていたのだから、任せるしかなかった。取りこぼしている問題はまだあるものの、皆それぞれの子供たちが自力で問題に立ち向かえるように成長したことには、満足している。今後は、その取りこぼしている内容の対処を、大人が援助して完璧に整える段階だ。
「ま、終わりよければすべてよし、ということだな」
国王がしみじみと言うと、皆がうんうんと頷く。
「これでようやく国内、というか、家のあれこれに取りかかれるというものです」
「まったくです。まずはヴィルヘルム殿下とカミラについて、きっちり後始末しませんとね」
シュトライヒが肩をすくめると、ノイエンドルフが大きな溜め息を付く。国王は苦笑しつつ、「まあ、穏便にな」と口を挟んだ。
子供たちが話題に上ったことから、ふとハインラインが思い出したようにヴィッテルスバッハに顔を向けた。
「そういえばうちのモーリッツが、学院を卒業したらすぐにでも結婚すると息巻いているんだ。しかし順番から言ったら、お宅が先じゃないのか?」
「うーん、まあ、本人次第かなあ」
のんびりと答えるヴィッテルスバッハに、すかさずライヒェルトとハウスクネヒトが横から口を挟んだ。
「まだ早いでしょう」
「在学中なんですから、せめて卒業してからということで」
娘側の親としては、いざとなると愛娘を嫁に出すことには複雑な気持ちになるようだ。といっても、二人とも縁組みそのものに異論があるわけではない。そもそもライヒェルト家とヴィッテルスバッハ家、そしてハウスクネヒト家とハインライン家は、意図して婚約をかなり早い時期に取り決めている。親たちが家を空けがちになる間に、外部の貴族から余計な縁談を持ち込まれたり、政治的な干渉を受けたりするリスクを防ぐためだった。
ライヒェルトとハウスクネヒトの勢いに、ハインラインとノイエンドルフが気圧されている様子をおもしろがりながら、国王が視線を反対側へ移す。
「ところで、ディートリヒ君とフロレンティーネ嬢については、その後どうなったんだ」
「保留状態です」
「まったく進んでいません」
ノイエンドルフとクラウスが、まるで示し合わせたかのように同時に首を横に振る。
「私から、少し口添えでもするか?」
国王の提案に、ノイエンドルフは苦笑いを浮かべた。
「お気遣いはありがたいのですが、しばらく静観するつもりです。息子にとって、自分の思い通りに進まない状況に陥る、というのはいい経験になるでしょう。それに、これまで家長代わりに頑張ってきた息子に対して、いきなり私が口出しするのも憚られます」
続けて、クラウス伯爵が遠くに視線を向けながら、少しばかり肩を落とす。
「私の方は、婚約がどうこう言う以前に、まず娘と距離を詰めるところから始めたいので……」
ノイエンドルフとクラウスは、メインの活動現場が国外だったため、特に自宅を空ける時間が長かった。そのせいで、ノイエンドルフ公爵家では息子の婚約は放置状態、娘のほうは王子妃候補から王太子婚約者、その婚約の解消を経て、最終的には第二王子と婚約する、という異例の事態となった。一方クラウス伯爵家では、不在をいいことに妻の実家側が好き放題していたのを見逃してしまい、そちらの収拾を図っていたこともあって、その間は娘を放置してしまったのだ。二人とも、父親としては気まずい思いを抱えていた。
少しばかりしんみりとした空気を振り払うように、シュトライヒ侯爵がニヤリと口角を上げて国王に向き直った。
「そういえば陛下。申し訳ありませんが、お宅のご長男をちょっとばかりいじめてしまいました。王妃陛下のこと、つい言っちゃったんですよ」
「構わんよ。あれも、たまには鼻っ柱を折られる経験が必要だろう」
国王は怒るどころか、大らかに笑い飛ばした。
「アルノルト殿下とエルフリーデ嬢との婚約、話がぜんぜん進んでないよな」
ヴィッテルスバッハが、面白がるような目を向ける。
「まあ、当分はそのままにするつもりだ」
シュトライヒが肩をすくめると、ハウスクネヒトとライヒェルトが身を乗り出す。
「一人娘というのは、やはり特別ですからね」
「確かに。そう簡単に嫁には出したくないものです」
二人は、シュトライヒが自分たちと同じ親馬鹿の心境なのだと思い込み、熱い共感の目を向けていた。しかし、シュトライヒ侯爵は、ゆっくりと首を横に振った。
「いや、そういうのではないんだ」
「え?」
「それならなぜ?」
周囲の皆が顔を見合わせる中、シュトライヒはグラスの酒をあおり、ひどく気まずそうに咳払いをした。
「うちのエルフリーデは……アルノルト殿下の推し活が過ぎていましてね」
「推し活?」
「それは好きだということなのだろう? それなら問題ないのでは?」
「いや、当人がいうには『推しは遠くで見ていたい』主義だそうです。実際、あの娘の侍女が言うには、殿下の至近距離に近づくとメンブレする、とのことです」
一拍、完全な沈黙が部屋に落ちた。次いで、盛大な爆笑が執務室を揺るがした。国王までもが声を上げて吹き出した。
「政治的な理由でも、親心でも何でもなかったのか!」
「あの楚々としたご令嬢がメンブレ……」
「どうなるのか見てみたい気もするな」
「ご容赦ください。人前には出せないレベルで大騒ぎするそうで」
誰も思ってもみなかった理由に、執務室はしばらくの間、涙を流して笑い転げる男たちの声に包まれる。その賑やかな様子は、やがてブランデーの瓶が空になり、国王が「以上で解散だ。皆、明日は出勤してくるなよ」と告げるまで続いたのだった。
了




