後 編
モーリッツが執務室に入ると、アルノルト、ディートリヒ、テオバルトの三人が揃っていた。三人ともそれぞれの執務机に向かっている。
「遅くなりました」
モーリッツの言葉に、手元の書類から目を離すことなく、アルノルトが尋ねる。
「ヒルデガルト嬢から話を聞けたのか?」
「はい。といいますか、予期せずフロレンティーネ嬢ご本人も同席しまして、直接お話を伺うことができました」
「ほう。それは好都合だったな。なんと言っていた?」
アルノルトの言葉と同時に、ディートリヒが身を乗り出した。その真剣な様子に、モーリッツは困り顔になる。
「なんとお答えすればよいのやら……。どのように報告すべきかわかりかねまして……」
モーリッツは、胸ポケットから親指ほどのサイズの立方体を取り出した。小型の音声記録器だ。
「録音して参りましたので、こちらをお聞きください」
学院には結界が張ってあるため外部と直接通信する手段がなく、音声伝達器を介して少女たちとの会話を執務室に伝えるのは無理だった。そのためモーリッツは、秘書業務で持ち歩いている記録器を転用したのだと説明する。
「手際がいいな。よし、すぐに再生しろ」
アルノルトの指示で、モーリッツは記録器を机の上に置き、再生させる。
最初は、当事者であるディートリヒだけが真剣に聞き入り、アルノルトとテオバルトは書類を処理しながら耳だけを傾けていた。だが「カミラが好きだ」というセリフが流れた途端、二人はピタリと手を止め、顔を上げて互いに見合わせた。
『そのような方の隣に立つ気など、毛頭ございません』
記録器からフロレンティーネの冷え切った声が響いた頃には、アルノルトの机の前に、ディートリヒとテオバルトも集まっていた。
『モーリッツ様、よろしければカミラ様についてのお話を、少し聞いていただけますか?』
『拝聴します』
モーリッツの返答の後、フロレンティーネの説明が続いた。
無表情で愛想がなくても、成績が優秀で反抗的でなければ、教師受けはいい。一方で、周囲の生徒たちは、そんな彼女を好ましく思わないわけだが、だからといってティーチャーズペットをいじめるほどバカでもない。
そのため皆が取った手段は、さりげない無視と固有名詞を決して使わない陰口という、貴族らしい上品さと子供らしい単純さの混ざった方法だった。あからさまな嫌がらせなどはせず、それとなく存在をないものとして振る舞い、人称代名詞や不定代名詞だけを使って見た目の野暮ったさを笑うのだ。
当時の自分の髪型や服装は、流行から大きく外れたものだったのだと、フロレンティーネは苦笑した。年配の侍女しか身近にいないのだから、無理もなかった。それこそ三十年も四十年も前の、よく言えば古風な姿だったそうだ。
『無視され続けるのも、陰口を言われるのも、それなりに堪えます。なにかと人前に出ることが多いというのに、自分の見た目には引け目を感じていました。でも自力ではどうにも改善できません。父は、私の学力向上には熱心でしたが、それ以外に気が回らなかったようです』
存外に彼女も普通の女の子なのだなという印象を持ったのを、録音を聞きながら改めてモーリッツは思い返す。
ヒルデガルトも協力しようとはしたのだが、装いに関する知識はあまりなく、二人の外見が違いすぎるのもあって、どうにも的外れな助言になったようだ。大人を介在させるのは他家の内情に首を突っ込むことになるため憚られた。
そんな彼女の野暮ったさを一掃し、美しくプロデュースしたのがカミラだったのだという。
『私に似合う装いについてアドバイスをくださいました。色やデザイン、小物の使い方も、すべて具体的に提案してくださったので、それを侍女に伝えて用意してもらって……。髪のアレンジやお化粧も、カミラ様から教わったんです』
そのときに初めてファッション誌と美容雑誌の存在を知ったのだと、フロレンティーネの声はどこか懐かしむように柔らかく響いた。
『姿勢や歩き方に気をつけるようにとも教えていただきました。その矯正のためだけに専門の教師が付くこともあるだなんて、知りませんでした。それから、無理に笑おうとしなくていいとも言ってくださいました。むしろ作り笑いは私に似合わないそうです』
『そうそう、ティーネは澄まし顔で凛とした雰囲気を保つほうが、表彰台に似合うとおっしゃってたわね』
ヒルデガルトが口を挟むと、フロレンティーネはふふと笑った。
『そうね。ですから私、常に凛としていようって思ったんです』
少女たちの語る内容に、そのときのモーリッツは完全に納得したわけではなかったが、二人がカミラに親愛の情を抱いているのは明らかだと感じていた。
『そうか……。ところで二人は、カミラ様とどうやって知り合ったのかな?』
フロレンティーネが視線で促すと、今度はヒルデガルトが答える。
『それは最初に私がカミラ様に助けていただいたからなんです。中等部の三年生になったばかりの頃に、高等部に入学なさったモーリッツ様のお姿をどうしても一目見たくて、こっそりと高等部の敷地に侵入したことがあって』
『えっ!?』
婚約者のまさかのカミングアウトに、モーリッツの素っ頓狂な声が再生され、当の本人は気まずそうに頭を掻く。だがいつもならば即座に皮肉るアルノルトも揶揄うテオバルトも、なにも言わずに聞き入ったままだ。
『ですが、運悪く警備員に見つかってしまって。慌てて逃げ込んだバラ園で、私を匿ってくださったのがカミラ様でした』
カミラは、樹木の脇からバラの茂みの中にぽっかりと空いた空間へと入り込む方法を教え、そこにヒルデガルトを引き入れたという。
『そこで少しの間おしゃべりをして、それからカミラ様の誘導で中等部に戻りました。戻るときも、中等部と高等部の間の鉄柵で、一部の格子を外せる箇所があるからと、そこを使った出入り方法まで教えてもらったんです』
『そう……なんだ』
記録器から流れるモーリッツの音声には驚きが滲み、あのカミラ嬢がまさか隠れ場所やら抜け道やらに精通していたとは、という言葉にならない感情が漏れている。聞いていた三人も、あからさまに驚いた表情を見せる。
『その後、何度か行き来しているうちに、ティーネに気づかれてしまいました。それでカミラ様にお引き合わせして、時々バラの陰で一緒に昼休みを過ごすようになったんです』
ヒルデガルトも、懐かしむような声音である。
『まったく知らなかったな』
『カミラ様から、絶対に誰にも知られないようにって言われましたから』
『僕にも?』
『モーリッツ様は、王太子殿下の侍従でいらっしゃったでしょう? だから尚更、秘密にしておいたほうがいいと──』
『そうするように、私がヒルデに言いました』
言いづらそうに答えたヒルデガルトを制して、フロレンティーネが口を挟む。
『カミラ様は、王太子殿下からなるべく距離を置きたいご様子でしたもの』
『え? あの、ええと』
このときモーリッツは言葉に詰まったのだが、音声を聞いていた他の三人も同様に、思いがけない言葉に怪訝な表情を浮かべる。
皆、カミラはアルノルトに相手にされないからヴィルヘルムに擦り寄っているのだ、とばかり思っていた。しかしヒルデガルトが中等部三年生の春ということは、三年半前であり、アルノルトとカミラの婚約が正式に決まる前のことだ。その頃からアルノルトを避けようとしていたということになる。
『なにより、カミラ様が他言無用と望まれたのは、自分はあまり良く思われていないから、親しくしている様子を周囲に知られないほうがいい、という意味だと察せられましたので』
フロレンティーネの言葉に同意するように、ヒルデガルトの寂しげな声が続く。
『ですから、私たちがカミラ様とお話しするのは、いつもあのバラ園の茂みの中だけでした。何度か学院の外にお誘いしましたが、決してそれ以外では会ってくださいませんでした。カミラ様はごめんなさいねと繰り返されるばかりで、理由はなにも教えていただけませんでしたけれど』
『頻繁に来てはダメだと釘を刺されてもおりました。お会いするのは週に一度くらいでしたわね』
録音時の彼女たちの様子がモーリッツの脳裏に蘇る。フロレンティーネもヒルデガルトも強い口調でカミラを擁護し、カミラへの強い敬愛の念がはっきりと浮かんでいた。
アルノルトとテオバルト、そしてディートリヒは、なんとも言えない表情で、黙ったまま記録器に耳を傾け続ける。
フロレンティーネの少し低めでよく通る声が響く。
『私たちも実際にお会いするまでは、悪い噂のある方、という認識しかなかったので、どなたのことも批判はできません。けれど、なぜ実のお兄様であるディートリヒ様まで、そのように思ってらっしゃるのかが納得できないのです。私たちが中等部に入学したときには、すでにカミラ様を悪役令嬢だと断じる陰口が立っていたように思います。いつから、なぜ、そのように言われるようになったのか、私たちはずっと疑問に思っておりました。ディートリヒ様はご存じなのでしょうか? もしもご存じでしたら、教えていただきたく存じます』
そこで少しの沈黙が下り、それからヒルデガルトの声が快活さを帯びた。
『モーリッツ様は、カミラ様とヴィルヘルム殿下が幼い頃から想い合ってらっしゃったのをご存じでしょうか?』
『えええ!?』
二度目の自分の間抜け声に、モーリッツは赤面したが、アルノルトとテオバルトはその声にはやはり反応しない。訝しげに顔を見合わせている。
『ヴィルヘルム殿下は、カミラ様の素晴らしいところを誰よりもよく理解しておいでです。お小さい頃から、好意を寄せてらっしゃったとか。お二人とも、互いにどれほど救いだったかとお話しくださいました』
『殿下とお会いしたの?』
『ええ、私たち、先月お二人に会いに行って参りましたので』
カミラの懐妊が判明して以降、ヴィルヘルムとカミラは静養という名目で、事実上の謹慎処分として王家直轄地の一つに赴いていることは公にされている。夏休みを利用して、少女たちはその地を訪れたのだと言う。
声が途切れ、先ほどよりも長い沈黙が下りた。
『以上かしら?』
『ええ、そうね』
少女たちの確認し合う小さな声の後、フロレンティーネがどこか硬い口調で告げる。
『このお話は、モーリッツ様を通じてディートリヒ様、そしておそらくは王太子殿下のお耳にも入るのでしょう。そうなることを見越して申し上げます。皆さんがカミラ様を悪役令嬢と呼び続けるのであれば、私たちはその同盟者になる所存です』
録音が途切れると、執務室はしんと静まり返った。自分たちの認識とあまりにも乖離した内容に、四人は言葉を失っていた。
ディートリヒは、口を開きかけたが、なにも言わずにそのまま閉じた。アルノルトもまた、いつになく生真面目な表情を浮かべるだけだ。
やがて、テオバルトがぽつりと呟く。
「まるで別人の話だな」
皆が黙って頷いた。
テーブル上の小さな記録器だけが、冷たくなった紅茶のカップの横で、鈍い光を放っていた。
了




