第8羽 兜割り
里に大小ある道場。その一つから威勢のいいかけ声がする。
実戦を想定しているこの道場の床は板張りではなく、土である。壁には木刀や熊の皮が掛けられ、壁の中央上段には一太刀と書かれた横断幕がある。
そんな道場の中央、どこからか運んできた切り株、その上に鎮座する兜がある。その兜めがけて男達が、それぞれの得物を振り下ろしている。ひとりが叩き、兜が落ちれば元の位置に別の者が置きなおす。
「あーだめだ、だめだ」
打刀、大太刀、ブロードソード、薙刀、槍。五人が挑戦し、ここまで全滅。傷はつけども兜を割ることは出来ないでいた。
「よし、虎徹。お前やってみろ、その得物なら兜を割れるやもしれんぞ」
「無理ですよ、お師匠。こいつのは重すぎて持ち上げることすら出来ないんですから」
「いえ、師匠、やらせてください」
あの変身火達磨事件から、さらに日が経ち、ライガーの日常は普段と変わらぬものとなっていた。
兜を前にして大剣を持ち上げてゆく。多少時は要するが、持ち上げ、振り下ろすだけならば以前から出来るのだ。そして相変わらず重い剣ではあるが、重いからこそ、このような動かない標的に一撃を入れる、いわば力試しのような形式は有利だとライガーは思っていた。
斬る。叩き切ってやる。
「ふんっ!」
重力を存分に活用した一撃は兜を直撃、弾んで落ちるさまはゴム鞠のよう。
渾身の一太刀ではあったが、それでも兜は凹んだだけ。実戦ならば相手の頭蓋は割れただろうが、これは兜割り。切断という技法をどれだけ修めたかを視るものだ。
弟子達を見回した老人が転がった兜を手に取る。
「ほれ、ガーベラ、手本を見せてやれ」
「いやですよ。師匠がやればいいじゃないですか」
「わしはもう年じゃ、それにわしの全盛期でも完全な両断には到っておらん」
「やれやれ」
ひとり壁にもたれていたガーベラは、しぶしぶといった様子で、凹んで変形した兜を受け取る。変形した兜は靱性が通常のそれとは変わってしまうので、刃をどこから通すのか狙いが難しい。只でさえ困難な兜割りが更に困難になったといえた。
ガーベラが、手にした兜を切り株に置くこともなく、無造作に放り投げる。きつい放物線を描いた兜が、頂点を通過し、降下していく。
「シッ」
抜刀が見えぬほどの居合い。
残心。世界そのものが止まったかのよう。
見惚れた兜が、地面に落ちたことを想い出して、ようやく二つに割れるのと、ゆっくりとした納刀がほぼ同時。
「すげー」「流石師範代」
にわかに騒ぎ出す門下生をよそに、つまらなそうにするガーベラ。その涼しげで、苛立つ顔をみるライガーは同じことを思い出し、思索していた。
これほどの技でもアカヤシには傷が付かなかった。
そしてアヤカシを破壊した奴がいると。
違ったのはその先、ガーベラはどうすればより高みにいけるのかを考えていた。
ライガーは別のことを想う。あれほどの力を持っていても彼女はどこか孤独だった。昔話をする姿も、家を出るときの悲しそうな笑みも、一礼する背中も、アヤカシに気づいて叫んだときの声も――。
まるで、涙を湛えて震える少女のようだ。
彼女は、バニラはどうしているのだろうか、もしかしたら己が生きていることを知らないのではないか、死なせてしまったと思い込み、苦しんでいるのではないか、自分を責め続けているのではないか。彼女の言っていたヒーローとは何だったのだろう。
変身が何故失敗したのかはわからない。ただ楽に力を望んだ己の罰だ。不甲斐ない俺のせいなのだ。そなたが悔やむ必要はない。俺は生きているし、後遺症もない。
必要ではないかもしれない、思い過ごしかもしれない。それならそれでいい、一度己の無事を、伝えなければならないのではないか。
早速その日、父に相談し、諸々の準備を済ませて翌日に出発することにした。
「なぜお前がここにいる」
「護衛だよ護衛。お前、都に行くまでに賊にでも襲われたらどうするんだよ、丸腰でいくんだろ」
「うっ それを言われると耳が痛い。お前が居てくれると心強い」
玄関の前には荷物をもったガーベラが居た。重い剣は旅路には持っていけない。三日の道程も五日になりそうだ。ガーベラなら腕も立つし気心も知れている。本当にありがたいことだった。そしてもう一人。
「そして、何故フクオカもつれて来た」
「つれて来たつーか、無理やりついてきたというか、ほら、解るだろ? 察しろ」
「皆目解らん。短い旅路とはいえ、お主の言うように賊などの危険がないわけでもない。フクオカ、俺は遊びで行くわけではないのだ、家でおとなしくはしてくれぬか?」
前半はガーベラに、後半はフクオカに問いかけた。
その問いに、いつになく真剣な目でフクオカが答える。
「むしろ遊びではないから着いていこうというのよ。あの女に会いに行くのでしょう? あんな目にあったのに」
「いかにも、不安な日々を送られているやもしれぬからな、杞憂であればよいが、顔を見せて安心させてやろうかと」
「そんな義理ない、といいたいとこだけど水かけ論になりそうだから止めるわ。その代わり私もつれていってお兄様」
己も意思は固いほうだが、フクオカも一度決めると頑固な性格である。そのことを知っているからガーベラも連れてきたのだろう。ライガーとしても説得する自信がない。
「はぁ 仕方ない。俺達から離れるなよ」
「はーい、お兄様大好き」
ころっと表情をやわらかくしたフクオカが、腕にしがみ付く。
ガーベラが肩をすくめてみせる。そのこころは、すまんなと、よろしく頼むの意が込められていた。承知とばかりにライガーも肩を上下させた。
あれから、変身は一度も試していない。
次回予告
あるものは恐れ、あるものは挑み、あるものは嗤う。
あるものは過去を見て、あるものは未来を見る。
おびえるな、魂を振るわせろ。
第9羽「とっておかなくちゃ」
恐怖は勝機の中に生まれる。