第4羽 いつか見た人のように
「外装――覚醒!!」
膝や肘といった主要な関節部、そして四肢を包むように、超硬質の金属装甲がまたたく間に物質化して噛み合っていく。首元からは、烈風を孕んで純白のマフラーが鮮やかになびいた。
肥大化したあの鳥の羽の髪飾りは、強固なヘルメットへとその姿を変え、彼女の黒髪を完全に覆い隠す。
最後に、顔面を保護する漆黒のバイザーが「シャキンッ」と硬質な音を立ててスライドダウンした。システムの全てが牙を剥く、彼女の準備が整った。
その姿は、かつて彼女が「あっちの世界」で憧れ、救いを求めていた、あの変身ヒーローの姿そのものだった。
「キシャァァァァァアアアアアア――ッ!!」
林の奥から、ついに怪物がその全貌を現した。
白と黒の斑模様がのたうつ、モザイクアートじみた異形の人型。人間の部位を無理やり引き延ばしたような両腕は地面に届くほどに長く、その先端にある凶悪な爪は、鋼鉄の鎧ごと、もう一人の騎士の胸を無造作に貫いていた。
「キシュアァ!」
百人が一斉に歯軋りを合唱したかのような、鼓膜を引っ掻く奇声を上げ、アヤカシは腕を大きく振り払った。
貫かれていた騎士の身体が、ゴミのように放り出される。その無慈悲な仕草は、次の玩具を手にするために、今持っている玩具を乱暴に投げ捨てる幼い子供のそれだった。
肉塊となった騎士が地面に叩きつけられた音が、まるで開戦の合図となったかのように、逃げ遅れていた里の大人たちが一斉に蜘蛛の子を散らすように走り出した。
恐怖で腰を抜かしていた男も、遅れ馳せながら悲鳴を上げて自力で地を蹴る。生きるための本能が、熊狩りで鍛え上げられたその俊足を限界まで駆動させていた。
アヤカシ、地方によっては物の怪などとも呼ばれる、おとぎ話ではなく、実在する化け物がそこに居た。いつからいたのか、歴史に興味のないライガーは詳しくは知らないが、少なくとも自分が生まれるよりずっと前からいたことだけは間違いない。なにせ祖父、タイガー・虎徹の死因として聞かされている。
そしてアヤカシの跳梁を許さなかった、ときの朝廷によって講じられたあらゆる対抗策。
その中で、もっとも苛烈な成果を上げ続けてきた最大最高の兵器が、まさに目の前にいる存在だった。
あちらの世界から拉致され、便宜上“勇者”と呼ばれ、この世界で「大名」という最高位の役職を与えられた異界の戦士たち。
首を失った騎士の骸に一瞥したバニラが、地を爆ぜさせて突進した。居合いの達人すら凌駕する驚異的な初速。彼女は一瞬でアヤカシの懐へと潜り込み、その勢いのまま、超硬合金の拳を容赦なく叩きつける。
ドンッ、と大気が爆発したような重低音が響いた。
交差させた長い両腕で拳を受け止めたアヤカシ。その、顔の半分まで大きく裂けた口が、ニィっと三日月のように薄汚く嗤った。
「た、助けなきゃ」
発した言葉は意識よりも早い。遅れてその言葉の意味を脳が自覚した瞬間、全身に猛烈な身震いが走る。
(正気か? 相手はあの騎士を一撃で肉塊にする化け物だぞ!?)
だが、彼の意志は、口から出た言葉を裏切ることを拒否した。
闘うには、まず武器が必要だ。一度、家に戻って準備をしなければならない。
混乱し、沸騰しかけている頭を必死に宥めながら、ライガーはバニラとアヤカシの凄まじい攻防から目を離さぬよう、背中を向けて自宅へと走ろうとした。
「……どうするつもりだ?」
行く手を遮るように、まだその場に残っていたガーベラが声をかけてきた。
「お前、まだ逃げてなかったのか!?」
「どうするのかと聞いている、ライガー」
「どけッ!」
冷徹な目を向けてくるガーベラを力任せに押し退け、ライガーは我が家へと駆け込んだ。ガーベラは立ち塞がるようなことはしなかったが、積極的に道を譲ることもせず、ただライガーの背中を冷たく見つめていた。
薄暗い床の間に、無造作に放置されていた巨大な鉄の塊――虎徹の大剣。
ライガーはその柄に手をかけ、息を荒げながら、その横に鎮座する古びた鎧を見つめた。
年代物の、厳つい武者鎧。名刀『虎徹』を失った当家における、唯一の家宝。
これを着るべきか、否か。
アヤカシと対峙するのなら、少しでも身の安全を確保したい。それが普通の考えだ。だが――ただでさえ、この剣は異常に重い。これ以上、重苦しい武者鎧まで身に纏えば、まともに動くことすらできなくなる。攻撃を当てることなど夢のまた夢だ。
いや、それ以前の問題だ。そもそも、この時代の鎧に、あの化け物相手の防御力など期待できるのか?
この甲冑がどれほど名工の作であり、刀や矢を防げたとしても、あの凄まじい大名直属の重装騎士の鉄鎧が、やすやすと爪一本で貫かれていたではないか。素人目に見ても、騎士の鎧の方が遥かに硬く、頑丈そうだった。普通の戦士なら鎧の隙間や薄い箇所を狙うのが定石。それをあの化け物は、一番分厚い装甲の上から、腹の真ん中を易々とブチ抜いていた。
ぬらりと返り血に染まっていた、アヤカシの長い腕。
考えたくない、意識したくもない鮮烈な「赤」が、ライガーの網膜の裏でやけにチラつく。激しくチラついて消えない。
「早く、戻らねば……」
自分の口から出たはずの言葉が、やけに遠く、ひどく乾燥して聞こえた。
まるで自分が幽霊になって、一歩引いた天井から、自分の哀れな肉体を見下ろしているかのような酷い錯覚。そして、この先に確実に訪れるであろう「死」の、冷たい予感。
「――ざけんな」
一瞬にして、脳の芯で灼熱の感情が爆発した。
恐怖を燃料にして、黒く、赤く、そして白い怒りが全身の血管を駆け巡る。
ライガーは床の間に飾られた甲冑の面頬――そこに二つ、ぽっかりと開いた暗黒の空洞を睨みつけた。何もかもを吸い込んでしまいそうな、虚無の空洞。
(こんな死に装束、着てたまるか……!)
結局、ライガーは鎧を身につけなかった。
限界を超えて肩に食い込む、重い大剣だけを強引に担ぎ上げ、修羅場の待つ屋外へと飛び出す。この呪わしい重さから解放されるためには、あの化け物の頭に強烈な一撃をお見舞いしてやる他ない。ライガーは己の思考を、恐怖を殺すために、極限まで単純化しようとした。
そして、外の戦場を目撃した。
「うりゃああああああァッ!!」
凄まじい気合いとともに猛攻を仕掛けているのは、バニラだった。一方的、とすら言える手数の多さ。
超高速で繰り出される拳や蹴りの嵐を、アヤカシが長い腕を盾にして防ぎ続けている。ガァン! ガァン! と、比喩ではなく、肉体と肉体が激突するたびに周囲へ激しい火花が飛び散っていた。
ただ速いだけではない。バニラが放つ一撃一撃には、周囲の空間を歪ませ、大気を爆ぜさせるほどの圧倒的な質量と「生命を絶命せしめる威」が宿っていた。
だが、ライガーはその光景に圧倒される間も無く、別の違和感に気づいた。
激しい騒ぎを聞きつけて丘の上から駆け下りてきたのだろう。呆然と立ち尽くすガーベラのすぐ傍に、ライガーがよく知る、一人の少女の姿があった。
彼女はライガーの姿を認めると、不安げに駆け寄ってきた。
「お兄様、……あれと、闘うのですか?」
次回予告
剣の進化、我等の真価
俺達には、俺達のやりかたがある。
光を放ち、影を払う。
四人の男女が胸を打つ。敵を撃つ。アヤカシを討つ。
第5羽「兄様と兄貴と私とアイツ」
稲妻が、大地から空を目指す。




