第28羽 理想
世界が音を立てて崩れていた。
気づけば足元を支える地面は崩落し、底なしの闇にすいこまれた。
無限に落ちる無明の世界。
いつから? 気づかなかっただけで崩壊はずっと前から起きていた気がする。
アヤカシを倒したとき?
大名になったとき?
死んだとき?
それともそれ以前――。
レオナの紹介で泊まった宿、どこをどう歩いてきたのか。チェックインをいつしたのか、バニラは覚えていない。
ライガーとフクオカが色々してくれたのだろうとバニラは思う。
情けない気持ち。
庭先の何処かにあるのだろう。ししおどしが控えめに石を叩いた。
バニラなりに覚悟はあった。……あるつもりだった。
ヒーローとして、人を喰らう怪物であるアヤカシを倒す。
遊びのつもりはない、自身の生命を省みずに闘う。
痛みは受け入れた。血に汚れても平和を造りたかった。
「……さん、……ラさん! バニラさん!」
再度、内なる世界に意識を支配されていたバニラが、ハッと外界を認識する。
「!! あ、ごめんなさい、なんだっけ」
「もう、しっかりして下さいよ。灯り消しますからね、布団に入って横になってください」
バニラは畳の上で立ち尽くしており、足元には布団が用意されていた。
いつのまに着替えたのだろうか、自分もフクオカも浴衣を着ている。
髪もとかれていてまだいくらか湿り気がある。風呂に入った記憶が抜け落ちていた。このぶんだと御飯も終わったのだろう、もったいないことをした、胃には入っているのかもしれないが。
良かった。髪飾りはテーブルの目立つ場所に置かれてある。フクオカの配慮がありがたい。ライガーはどこだろうか、別部屋にされたのかもしれない。少し寂しいがそれも配慮というやつだろう。
旅館……じゃない、きっとレオナ大名の、だろう。
ほらほらと急かされるまま、布団にもぞもぞと入った。
畳と布団の匂い、目をつぶれば暗くなり、目を開ければ世界が見える。やがてフクオカの寝息が聞こえてくる。
布団が暖かい。
五感が無いってどんな感覚なのだろう、物凄く怖い。
どこか遠くから、ししおどしの音が聞こえる。
惨劇は翌日襲来した。
「昨日はごめんね。もう大丈夫だから」
朝食の席で二人に頭を下げるバニラ。
二人からは気にするなといわれ。これからどうしていいかわからないという弱気には「これまでどおりでいい」とライガーから返された。
「お食事中のところ失礼します!」
女中がふすまを勢いよくあけて、これまた頭を勢いよくさげた。後ろで束ねた髪が頭の動きに従った。この朝食を配膳してくれた人の一人であった。
「あ、アヤカシが……」
頭をあげた女中が言い切らぬうちに、ライガーは立ち上がって、大剣をとった。
「どこに?」
「えっと、あちらです。大通りから左、東方向です」
ライガーは女中の案内を聞くと旅館を出て行ってしまった。
「バニラさんはいかなくていいの?」
刺身を箸でつまみながらフクオカが問うた。
「私は……」
バニラはアヤカシの被害者に心を痛めた。ライガーに殺されるであろうアヤカシにも心を痛めた。バニラにとってアヤカシはもう人になってしまっていた。
「…………」
自分はこの世界の人間と、元の世界の人間を天秤にかけているのだろうか。
バニラは自身に問いかける。
どちらの命を重んじるべきなのか。
学友同士で殺し合いなんてしたくないわ――。
レオナの言葉は自分の言葉でもあった。人を手にかけることは出来ない。それはヒーローのすべきことではなかった。悪は殺せても人殺しをする覚悟はバニラにはなかった。
ライガーにはその覚悟があるのだろうか? それとも単にアヤカシを人だと看做していないのか。
「私は……」
誰にも死んでほしくない。しかしアヤカシが人を害するするのなら退治するしかないのだ。頭ではわかっている。
アヤカシのしての戦闘力を消され、人の尊厳ももがれたヒトを見た。こんなわけのわからない世界に来て、人ではなくなって、獣ですらなくなって、あのままあのヒトは生き続けるのだろうか?
ライガーを止めて、アヤカシも止めたい。
やっぱり、誰にも死んでほしくない。
●
ライガーは表の通りまで出ると、走りながら変身した。
踏みしめた地面を焦がしながら、通りを走りぬける。
家の並びが途切れ、見晴らしがよくなる。
田畑の中にぽつんとアヤカシが立っていた。
巨体の右腕は鞭のように伸びていて、全身は黒い衣装につつまれている。ゼンライガーの知らぬことではあるが、大名達の世界でいうSMの女王様のような格好ではある。中身が醜悪であることを除けばだが。
走り来るゼンライガーに気づいたアヤカシは、一歩動いて向き直る。正対したアヤカシに対し、立ち止まったゼンライガーは大剣の切っ先をむけた。
「貴様は人を食うか?」
アヤカシが獣の叫び声で答える。獰猛な、人とは決して共に歩めないであろう声、口からはみ出た牙、人を食事としかみていない瞳だった。
「わかった……貴様は有害だ。処分するッ!」
ゼンライガーが火の粉をとばし、マントをなびかせながら切りかかる。アヤカシは極太の鞭の腕を振り払う、ゼンライガーの大剣よりもずっと長い鞭は音速を超えてバチン、バチンと大気を叩き割る。
火薬のない爆発音。
その音に小さく混じって斬撃音。
ズザンッという音を圧縮したような、早く鋭い斬撃。
かすか音がする度に鞭は短くなり、爆発音は小さくなる。相対的に、しっかり聴こえてくる大剣が肉を断つ音。離れていた両者の距離は次第に近くなってゆく。
「ハアァッ!」
裂帛の気合とともに鞭を両断する。
「この距離、とった!」
残りの距離を、雄叫びを発しながらゼンライガーがつめよる。
アヤカシが太い右腕を引きながら、左腕を突き出す。するとそれまで体なりのサイズだった左腕が、急速に伸びながら枝分かれした。
枝分かれしたした腕がそれぞれ別々に躍動した、ゼンライガーを拘束しようとする動きだ。
「ふんッ」
跳躍。逃げ場のない中空で独楽のように回転する。
一文字流剣舞“回身”
追ってきた左腕の鞭を、細切れにしたゼンライガーは自由落下。
かかげた大剣の刀身から湧き出た炎が爆発したことで、自由落下は一瞬で終わり、真下に向かって加速した。アヤカシのいる真下へ。
一文字流の基本理念、一太刀。その一太刀に繋げるための数々の技法。
「はぁぁぁーッ!」
左右真っ二つにアヤカシを切り裂いた。
一文字流剣殺剣、鎬割り。
受け手の、剣ごと切り裂く一文字流の技だ。
構えた剣ごと、身につけた鎧すらも両断することから、剣ごと殺す剣。すなわち剣殺剣に分類される技法である。
「ふん」
べったりとした血を、剣を払って落とす。
血も死体も、白くぼろぼろになって消えていく――。
バニラはアヤカシの死を悲しむだろうか、やはり悲しむだろう。しかし嘘は言うまい。退治したと報告しよう。
旅館に戻ってきたとき、ライガーの思案はかき消えた。アヤカシが出たというのに、女中が門の前でせわしなく左右を見ていたからだ。
ライガーの姿を認めた女中がその場で泣き崩れる。ライガーは整えられた中庭を走りぬけ、庭先から借りている部屋に入る。
ししおどしの音は聞こえない。




