第20羽 ア イ シ テ ル の文字
「なるほど、だいたい解った」
口の中だけでつぶやかれる言葉を聞き取った者は誰もいない。
一部始終を見ていた透明人間がその場を立ち去る。
ねぐらに帰った透明人間は考える。
ゼンライガーだったか? 強いな。たしかにあれならば普通のアヤカシを殺せるだろう。
もったいない。
ただ殺すだけではもったいない。
“変化”の副産物。もしくは本来の使い方、どちらでもどうでもいいことだ。己の糧になるらなそれでいい。ならぬなら処分するだけ、これまでと同じ。なにも変わらない。
これまでと同じ、なにも変わらない。
全ては国のため、大儀のため。
――男には国を治める役割があった。
それは世襲であり、よほどの無能でない限りは議会からの弾劾もない。
男の父は今際のきわまで、いつもと同じことを言った。
「いいかザキエルよ。これからはお前が帝だ。皆と強力し、豊かな国をつくれ、諸外国に気をつけろ、国力を上げろ、軍事力を上げろ、宝具は慎重に使え」
いつものの言い草だ。
より大きく、より強く。
ああ解ってる。お父様よりずっと上手くやるさ。
国を肥らせればいいんだろ?
お父様みたいにさ。
でもな、知ってるか? 門の向こうの連中は肥らせすぎるのは良くないって言うんだぜ。
ダイエットって言うらしい。
オレもそう思う。横にばかり太くすればいいってもんじゃない。国も人も高さが大事だ。デカさが必要だ。
無駄なものは削ぎ落とそう。力は内に蓄えるのだ。喰って強くする。
強いものを喰う。
そしてより強く。誰よりも強く。
高いものはより高く。低いものはより低く。
大丈夫、この六十年でかなり進んだ。
小さな異分子も準備が済み次第、すぐに糧にしてやる。
――
暗がりの中で咀嚼音が聞こえる。
ボリボリ、ガリガリ、ゴキュ。
人の形をした者が、人の形の一部に喰らい付いている。
ソアラは恋人の食事風景を眺める。姿は人間だったころのまま、大人になって以前より美しくなったかもしれない。
肩にふれる程度で切りそろえられた髪が、食べ物から飛び散る血で赤く染まる。
髪だけではない、形のいい唇も、細工師につくらせたネックレスも、つけることを嫌がる指輪も、いっぱいに開けた口を中心に上半身が真っ赤かだ。
「おいリラ、だめじゃないか」
汚れた口の周りを丹念に拭いてやる。
無駄なことをしている自覚はある。食事が終わらない限りはどうせまた汚すのだ。子供か痴呆相手をしているかのようだ。
それでも、それならばまだマシ。だいぶマシだ。人間なのだから。
ソアラもリラも大名だ。もう十年にもなるだろうか。領地内の人をさらっては秘密裏にリラに与えている。
昔は、人の言葉を忘れ、記憶も失ってゆくリラのことを哀れにも想い、恐ろしくも感じたソアラだが、いまだ自身を食べようとはしないリラとは心が通じているのだと思った。
食事が終わったら掃除をして湯に入れて、髪を乾かして櫛で梳いてやらねばならない。
子供はつくらない。考えたくも無いことだが、リラが自身の子供を食事とみなすようなことがあってはソアラ自身の心が壊れかねない。
隣り合った二つの里を治める、二人の大名。
滅多に民衆の前に出ることはない。
炎のソアラと水のリラ。
どんな世界だろうと二人なら大丈夫。前世では辛いことが多かったけど今度こそ二人で幸せになろう。
異世界で明主となる。大事な人も一緒だ。
希望に満ちたリスタートだった。
大名となり、かつては栄えた里。
近年は影が増すばかり。
――かぎなれた、焼けた人の肉の匂いが消える。
己が焼いた肉だ。
己の治める里の子供だ。
かつて土地を与え、ともに開墾をした農夫の子供の、肉だ。
食事の為に焼いているのではない。リラは生のほうをより好む。
腐敗臭を消すため、あるいは、ばらした人体から流れる血を止めるのに、焼いて塞ぐのがもっとも簡単だから焼いているだけだ。
リラは信じられないくらい、よく食べる。
一度の食事で三キロは食べるんじゃなかろうか。
来週にはまた誰かを調達する必要がある。
次は誰にするか、特別な部屋で、車を洗うかのように水をかけながらそんなことをソアラは考える。食事に満足したのかリラは眠そうで、されるがままだ。
「なぁリラ、オマエ人間か? それともアヤカシになっちまったのか?」
つぶやく言葉にリラは反応しない。
ときおりその能力で水を操り、遊ぶだけだ。
それは、こちらにきたばかりに披露してくれた水文字ではなく、意味のわからない形ではあったが、ソアラも昔と同じように火でつくった文字をつくる。かつて創り、創ってもらった愛の言葉。
「けっこう練習したんだぜ? 操った水で文字を作るなんてよ。リラは器用だからさっと見せてくれたけど俺はゴォーと出すのが精一杯でよ。なんとか形を作ろうとしたら滅茶苦茶大きな火になってさ。里の人もビックリしてたよな。見てくれよホラ、今じゃこんなコンパクトでもしっかり安定した形をつくれるんだぜ?」
ホースをもった手と、逆の手の平から昇った炎が意味のある形をつくる。
ここではない、二人が少年少女時代を過ごした世界の文字。
頭を振ったリラの髪から水滴が飛び散り、ソアラの頬をつうっと流れた。
「くそがッ!」




