第14羽 トきめく時は唐突に止められる
水飛沫が心地いい。
うだるような暑さの季節。
里の人間が、涼を求めて人が集まるのがこの滝だ。
程よい日陰と、落下した水が起こす涼しい風。
流れゆく川に木漏れ日がキラキラ反射するのを、ひかえめな橋の上からフクオカは見ていた。
幼いころから大好きな場所。里では和装の人ばかりで、フクオカも地味な着物ぐらいしか持っていないのだが、今日は何故か、ブラウスとスカートだ。
まるで都の人のような装いだが気にする者はいない。
いつもなら誰かしらいるはずのこの場所に、今は一人だ。
「やぁ待たせたかな?」
あらわれたのは、大好きなお兄様だ。名をライガー虎徹。物心ついたころよりずっと見てきた。いつのまにか好きになっていた。
里には同年代の人は多くないし、将来はライガーと結ばれる。フクオカの未来予定は、分析と願望が入り混じっていた。
「そんなことありませんわ」
いつからいたのは定かではないが、待たされた感覚はなく、自然と言葉が出る。
「はい、これ」
渡されたのは、フクオカの好きな白い花。里のある山でも、山頂の限られた場所にしか生えない、誇り高き花。
「まぁ、ありがとうお兄様。大事にするわ」
二人は並んで滝を見て、アイスクリームを食べた。甘くておいしい。
それからクッキーに飴玉を。甘くて、おだやかな時間。
ときめく時は唐突に止められる。
「ちょっとライガーここにいたのね。さぁパトロールの時間よ」
「ああ、いまいく」
姿を表したのはバニラだ。せっかく二人っきりなのに、ライガーを引っ張ってどこかに行こうとしている。フクオカにめらめらと嫉妬の炎が燃えた。
「ちょっと待った。お兄様は私のお兄様よ!」
「え? なにいたの? 小さくて見えなかったわ。あのねフクオカちゃん、ライガーはヒーローなの。ヒーローには相応しい相棒ってのがいるのよ、貴方じゃ務まらないわ」
「相棒じゃなくて妹よ、私は!」
フクオカが胸を張って宣言する。
「そうね、所詮は妹ね。私はヒロイン、さらに相棒も私、博士も私、喫茶店のマスターポジションも私、師匠も私。ライバルも私。正妻は私。フクオカさんは妹が関の山。これじゃ勝負にならないわね。オホホホホ」
バニラも胸を張って宣言した。バニラの言っていることの半分もフクオカは解らないが、解っていることもある。こいつは敵だ。自分からライガーを奪う、恋敵である。にしても変な笑い方だ。こんなだっただろうかと違和感を覚える。
「おほ! オホホホホ! オーホッホッホ……」
目を覚ます。夢だ。「変な笑い方」
つぶやいたフクオカは慣れない寝具から降りる。
ベッドとかいうらしい。大名風の寝具だそうだ。
部屋にもう一つあるベッドでは、バニラがすやすやと寝息を立てている。
もう外が明るくなっているというのに、良く寝る女だ。別室で寝ているライガーもまだ起きてはいないだろう。二人は連日の疲れも、あるのかもしれないが、こう毎日自分が一番最初に起きていると、自分のほうがおかしいような気がしてくる。
いや、なにも可笑しくはない。人は朝に目覚めるものだ。放っておいたら昼まで寝ている二人がおかしいのだ。
一人で納得する結論を出したフクオカは、家主を起こさぬようにそっと部屋を出る。愛しの兄の部屋へ行きたい気持ちを抑え、階段を降りてリビング、そこから続くキッチンへと向かう。
『男は胃袋をつかめ』母から教わった格言が、このところ真実味を帯びてきている。直近の課題であり、切迫した現実でもある。今日のような夢を見てしまうのは、ライガーの胃袋、そして男心を少し、ほんのちょびっとだけに違いない。まだ大丈夫。そう、ほんの少しだけ。
ともかく、掴んでいるのが、ここの家主だからということを、いい加減認めねばならない。
まだ間に合う、そう己に言い聞かせたフクオカが、三人分の朝食をつくる。
バニラの作る食事を食べているときのような、ライガーのがっつき。
それを再現せねばならない、ゆくゆくは「フクオカのつくる御飯を食べるから、バニラは料理しなくていいよ」とライガーに言わしめるのがフクオカの目標であった。
二人が起きてきたのは、四枚目のトーストが暗黒物質になって異臭をはなった後、フクオカの目論見が達成されることは、当面ない。
「じゃあ行って来るね、留守番よろしく」
明るくそう言ってバニラはライガーを連れて行く。
最初は毎日ついていったフクオカだが、思うところがあって最近はついていくのを止めた。「ヒーローが遅れてやってくる時代はもう古い、地道なパトロールこそヒーローの基本」とはバニラの弁、いざという時に足手まといになっていては、地道な努力に付き合わされるお兄様に申し訳ない。それに料理の研究もしたい。
自分がついていくのはバニラが里に訪れた時のように、誰かに謝りに行くときだけでいい、あれならば力になりたい。
フクオカとてバニラのことを、能天気なだけの女とは思っていない、尊敬すべき心の持ち主であり、ライガーの件さえなければもっと仲良くしたいとも思っていた。
フクオカがひとりキッチンで奮闘していると玄関のチャイムが押された。ピンポーンと間の抜けた音がする。なんでこの家はこんなものが付いているのだろう、「御免下さい」で良いではないか。家主は「そういうものよ」と言っていたが釈然としない。
ともかく客人だ、鍵をあけて戸を開く。そこにはぴかぴかと汚れの無い鎧の騎士達がいた。
「確認する。娘よ、貴様がフクオカ則宗だな?」
瞬時にフクオカは理解した、これは兄が口語でよく使う、ヤバイ事態だと。そして考える、どうするのがライガーにとって最善かを。
「隊長、手配書と顔が同じですしコイツでしょう」
フクオカが何も言わないでいると、部下らしき騎士が、大柄の騎士に進言した。それを聞いた隊長と呼ばれた騎士も納得した様子だ。
「こたびは吉報をもってきた、喜べ則宗女史よ。貴殿は大名の后に選ばれた」
「……わかりました。出立はすぐですか?」
「いかにも、大名が待っておられる」
「書置きぐらいはいいですか? ご存知だとは思いますが、この家は大名バニラの邸宅で、私は食客です」
「かまわん、こちらも封書を持って来たので、一緒に置いておくがよかろう、ただし書置きはこちらでも、一度確認させていただく」
「わかりました」
そしてフクオカは騎士達の見やすいように、玄関で書をしたため、封書と一緒にその場の置いた。
夕暮れ時、異変を察知したライガーが、鍵のかかっていない扉を開けた。
「え? なに?」と覗き込むバニラに、封の開いていない書類を渡す。
ライガーはフクオカが書いたメモを握り締めている。そこには簡潔にこう記してあった。
《親愛なるライガー様へ、封書をバニラ様に読んでもらって下さい。ジュズ様はわたしに、お任せ下さい。》
次回予告
人は捨てることが出来る生き物だ。
忘れることで前を向くこともある。
何を捨て何を手にするのか、それが人生を決めると言ってもいい。
「第15羽 悲しみが、彼の中から溢れ出た。」
悲しみを拾う覚悟があるか?