第13羽 モーニンググローリー
一同がバニラ邸にて、あの刺激的で美味なカレーライスをこれでもかと平らげた、翌日の朝のこと。
「……という訳でね。今の私には、護衛の騎士が一人も付いていない状態なの。朝廷側としては、事態が収拾するまでの当面の間、私に活動を自粛するようにって通達してきたみたいなんだけど」
豪奢なダイニングテーブルで朝食を終えたあと、一同は互いの近況について、より踏み込んだ情報交換を行っていた。なお、フクオカの凄まじい食い意地により、昨夜まであれほど詰まっていたバニラ邸のアイスクリームの貯蔵は、この朝を以て完全に「ゼロ」になっていた。
「まー、朝廷の判断もそりゃ無理はねえよな。騎士が何人いようと、あのアヤカシ相手じゃ逆立ちしたって役に立ちやしねえ。足手まといになって無駄死にされるくらいなら、同行を拒否されるのも仕方ねえんじゃねえの」
盾としての実用性や、囮としての肉壁の価値をあえて意図的に無視しながら、ガーベラが身も蓋もない現実を口にする。
それを聞いたフクオカは、不満げにキュッと腰に手を当てた。
「でも、あなた、今後も続けるんでしょ。アヤカシ狩り」
「ええ、当然です。私は大名であり、……そして、彼らを救う『ヒーロー』なのですから。だから、その……」
バニラの歯切れが急に悪くなる。モジモジと視線を彷徨わせる彼女に対し、最後のアイスの空カップをテーブルに小気味よく置いたフクオカが、ビシッと鋭い指先を突きつけた。
「あなた! 最初からそのつもりで、お兄様をここに誘い込んだのね!?」
「い、いえ! 決してそういう邪な訳では……っ! ……うーん、でも、まあ、そうなったらいいな、くらいには心のどこかで思っていましたけれど……」
確信犯的なバニラの態度に、ほら見なさい、とフクオカが追及を重ねようとした、その時。二人の言葉を遮るようにして、静かに席を立ったライガーが口を開いた。
「バニラ。――俺からも、話がある」
「え……あ、はい。何でしょうか?」
ライガーはその場に静かに歩み出ると、フローリングの床の上で、音もなくスッと片膝を突き、固い拳を床へと置いた。
武家としての正しい臣下の作法など、山奥の里育ちのライガーが知るはずもない。ただ、彼は自分の拙い知識の中で、目の前の少女に対して最大級の敬意を示したかったのだ。これが、自分たち二人にとって、これからの運命を決定づける極めて大事な『儀式』になるのだと、本能で悟っていたから。
「この不肖の身は、他ならぬあなた様によって救われました。もしあの日、あなたが里へ現れてくださらなければ、私は一生、自分の不甲斐なさに絶望したまま里で腐り続けていたでしょう。あなた様からすれば、この俺が剣を振るえるか、振るえないかなど、あるいは瑣末な事なのかもしれません。……ですが、俺にとっては、失った生きる理由を再び得たに等しいのです」
ライガーは頭を垂れたまま、一言一言に己の魂を込めるように言葉を紡ぐ。
「どうか、この身と、この身に宿ったゼンライガーの力が必要であるならば――ただ一言、『来い』と仰ってください。さすればこのライガー、誠心誠意、バニラ様のお命を護る剣として、生涯お仕え致す所存です」
「ライガー様……」
バニラは、その胸を穿つような真摯な誓いに、思わず息を呑んだ。
「……俺に『様』は不要です。俺は、あなたの臣下なのですから」
「――解りました」
バニラは表情を引き締めると、大名としての気高き姿勢を正し、凛とした声で眼前の戦士を見下ろした。
「大名バニラが命ずる。――ライガー・虎徹よ。我が盾となり、理不尽を叩き斬る、私の『剣』となれ!」
「ははッ……!」
固く結ばれた、少年と少女の、英雄と主君の契約。
朝日がリビングの窓から差し込み、二人を神々しく照らし出していた。
◇
「おう、話は綺麗にまとまったか? じゃー、俺は一足先に里へ帰るぞ」
感動的な主従の儀式の余韻を完全に無視して、ソファからひょいと立ち上がったガーベラは、一人でのんきに玄関へと歩いていった。
そして、玄関ホールで熊の革でできた自慢の旅靴を履き始める。この靴、異常に頑丈なのは良いのだが、分厚すぎるせいで脱ぐのも履くのも、とにかく馬鹿みたいに時間がかかるのが最大の難点だった。
玄関先で「ぬぐぐ……」と靴の紐と格闘しているガーベラの広い背中に向けて、ライガーがリビングから声をかける。
「ガーベラ。ここまで付いてきてくれて、本当にありがとな。それと……親父にはよろしく言っておいてくれ」
「へいへい、伝えておきまーす。――おい、フクオカ。お前はどうするよ? 一緒に里へ帰るか?」
ガーベラはいつものおどけた調子のまま、リビングに残っているフクオカへ声を振った。フクオカは盛大にため息をつくと、兄をキッと睨みつける。
「バカ兄貴。ホント、あんたって莫迦じゃないの? ……こんな、お兄様に盛大に色目を使ってる女と、お兄様を二人きりにしておける訳がないじゃない。……バカ」
「あー、だよなぁ。そりゃそうだ」
ガーベラはニヤニヤと笑いながら、ようやく履き終えた靴で地面をトントンと叩くと、そのまま一人、賑やかな朝の都の街路へと歩き出していった。
その背中が見えなくなるまで、残された三人は玄関先で見送った。
そして――ガーベラの姿が完全に雑踏へと消えた瞬間、第二の戦いの火蓋が切って落とされた。
「……あの、わたくし、フクオカさんまで我が家に居候させてあげるだなんて、一言も言っていませんけれど?」
バニラがジロリとフクオカを睨む。
「ちょっ……!? あんたねぇ! そこは話の流れと空気で察しなさいよ! ……まぁ、本意ではないけれど、そこまで言うなら、この私が特別にあなたの『家来』になってあげてもいいわよ。それなら文句ないでしょ!」
「言葉遣いが、根本的に家来のそれじゃないわ。全然気に入らない」
二人の間で早くも火花が散り始めるのを見て、ライガーはおずおずと尋ねた。
「あの……俺も普段から、常にその『丁寧語』というやつにした方がいいだろうか?」
「ライガー様、コホン……ライガーは普段通りの口調でいいわよ。私のことも、どうかこれからは遠慮なく呼び捨てで呼んでちょうだい。……ネッ♪ らいがー?」
バニラは不意に声を甘く弾ませると、小悪魔のようにライガーの顔を覗き込む。
「ちょっと! あんた、本当にさっきからお兄様に対して馴れ馴れしすぎるんじゃありませんことォ!?」
怒りのあまり、フクオカの言葉遣いがいよいよ怪しくなっていく。
「別にいいじゃありませんか。私とライガーは今、正式に臣下の契りを結んだ唯一無二の存在であり、力を分け与え、分け合っている関係。……それこそ、血の繋がった兄妹なんかよりも、遥かに深い絆で結ばれている関係ですわ!」
「な、なんですってぇ!?」
半ば予想できていたこととはいえ、これから先、このじゃじゃ馬な二人を四六時中なだめすかしながら大名の家臣をやっていかねばならぬのかと思うと、ライガーは早くも遥かなる故郷の里での静かな暮らしが恋しくなってくるのを感じていた。
同時に、彼は深く理解した。この世には、ただアヤカシの前で剣を振り回していれば済むような、そんな単純で簡単な仕事など一つも存在しないのだ、と。
「はいはい、二人ともその辺でやめておけ。……特にフクオカ、これ以上おとなしくしないお転婆大王には、今日のアイスクリームは『抜き』にするからな」
「アイ、アイス……っ!?」
ライガーの的確すぎる人質(物質)の提示に、フクオカの動きがピタリと止まる。
「バニラ。今日は都の案内をお願いできるか? 道中で、その……新しいアイスというやつも買ってみたい」
「ええ、もちろん! そうしましょう、ライガー!」
バニラは満面の笑みで答え、フクオカはぐぬぬ、と悔しそうに拳を握りしめながらも、アイスの誘惑には勝てず大人しく従うのだった。
◇
一歩、そのころ。
都の中心部。
この国において『朝廷』と呼ばれる最高権力機関の、そのさらに中心。すべての権力の頂点に君臨する、最高権力者。
国のトップであり、君主であり、王であり、天子――古今東西、あらゆる世界で様々な呼び名が存在するが、この日ノ本の国において、その人物は畏怖と敬意を込めてこう呼ばれていた。
『帝』。
帝は、己に課せられた絶対の使命を「国家の永続的な繁栄」であると定め、そのためだけに、冷徹にその生涯のすべてを邁進させていた。
「…………」
広大な執務室の中で、帝はたった一人、窓の外に広がる巨大な都の景色を見下ろしながら、ぽつりと呟いた。
歴史に名を残す多くの権力者がそうであったように、玉座に座る彼もまた、誰とも心を分かつことのできない、絶対の孤独の中にあった。
「――あと、一体か二体もあれば、十全かのう」
その冷ややかな呟きは、誰の耳に届くこともなく、そして、その言葉が意味する真の悍ましさを理解できる者など、今のこの世界には誰一人として存在しなかった。
次回予告
時に幸せは、個人の努力ではどうにもならぬことがある。
抗えぬ濁流の中でもがき、あがく、右も左も上も下もわからぬ暗い暗い水の底が、口を開ける。
「第14羽 トきめく時は唐突に止められる」
手招きをする悪魔が、想い人の母を連れてくる




