第1羽 熊狩りの里
虹徹剣羽は『こうてつけんう』とお読みください。
鳥は高く、雲は尚も高く。
巨大な木々に覆われた、古い古い山。
空から見れば、秋色の美しい山も、木々の下は薄暗い。
木の根は見ることができない。積み重なった落ち葉が大きく、多すぎるからだ。
その落ち葉が舞う。赤と黄と茶色の落ち葉が、踏み潰され、蹴飛ばされる。和装の男達が駆けてゆく。
男達は隠れた木の根に足を取られることもなく、機敏に走り、時に跳躍。それぞれ得物を持ち、目には殺気と興奮と恐怖があった。
走っているのは男達だけではない。大きく、太く、毛むくじゃらの四足歩行動物。
熊。
彼等の殺気と興奮と恐怖は、熊に向けられていた。熊を取り囲みながら、逃げようと走り回る熊の、すきをみて、矢を放ち、槍を投げ、刃を突き立てた。
誰かが走る度、落ち葉が舞う。誰もが傷つき、されどそれを気に留めず、落ち葉を蹴散らす。山里の季節は秋。熊狩りの季節。
「おい、虎徹の小倅そっちに行ったぞ!」
背中に何本かの矢が刺さり、四肢と脇腹に刀傷を負った熊は一人の若者に接近する。血を流しながらもその動きは衰える様子がない。
四つ足で走る熊は人間よりもずっと速い。包囲から脱出され、山奥に逃げられたら今年の冬は厳しくなる。せっかく手負いにしたのだ、今日こそ仕留めたい。男達は皆そう思っていた。
虎徹の小倅、そう呼ばれた若者も気持ちは同じ。いやそれ以上に強く想う。いつまでも小倅とは呼ばせない。その為にはこの剣で証を立てなければならない。自らの“強さ”という証を。
「うおおぉぉぉ!!!」
裂帛の気合を発し、剣を横薙ぎに振る。低く構えた剣の刀身は落ち葉に埋まっており、その間合いを計ることは出来ない。この里では古くから伝えられている熊狩りの業。
熊が若者の横を通り過ぎる。強風とともに舞った落ち葉が若者を嘲笑った。走り去る足にも、前だけを見すえていた顔にも、その刀身が触れることは無かった。間合いは十分だった。完全な振り遅れ。
刀身の半分ほどを、ようやく持ち上げた若者は、持っている柄を離す。こうすると剣の全身が落ち葉に埋まり、その場を離れると剣を見つけるのに苦労する。ゆえに里ではこの季節、得物を手放すのは好ましくないのだが若者の疲労は限界だった。
「重い」
一言つぶやくと、その場で大の字になり自身も落ち葉に埋まる。
無理もなかった。彼の剣は重い。この里の誰の武器よりも重い。力自慢のクリデンの大槍よりも重い。
暗い落ち葉の中で目をつぶる。ここに来るまでに酷使した四肢が棒のようだ。腰にも疲労が蓄積している。――――
「おかあさん! おかあさん!」
子供が泣き叫んでいる。
――嗚呼、夢だ。いつもの夢。
母は目尻に涙を浮かべながら子供をおいてゆく。
後ろでは父が下唇を噛み、両の拳を膝の上で震わせている。その首には大名直属の騎士が刃を当てている。――
――「おふくろ」
ぼさぼさの髪が落ち葉の海から突き出す。
その目尻には、うすくひかる水のたま。
どれぐらい寝ていたのか、そう長くはなかったはずだが辺りは静かだ。他の者には置いていかれたか、無理もない、最後の大事なところでヘマをした、いつも足をひっぱるだけだ。また、村正あたりにお前は畑仕事だけして、狩りは任せろと言われてしまう。
「おう、ライガー帰ったか」
「はい只今、帰りました。今度もだめだったよ。……親父」
「だろうな。もう諦めろライガー、その剣じゃ無理がある」
「刀が……虎徹さえあれば……」
二人の間ではもう幾度も繰り返されたやりとり、祖先のどこかまでは他の家と同じように、家宝伝来の得物があったはず、それがいつからか刀を失い、代わりにこの“大剣”が伝えられてきた。それからというもの、この虎徹家では熊狩りで活躍した例がない。古い文献では確かに業物の刀『虎徹』をふるい、熊を狩っていた、嘘か誠か単独で熊を倒した記録もある。なのになぜ、こんな大きく重いばかりの剣を。
御先祖様は、何か考えがあってのことだとライガーも信じたかったが、最近では父親と同じように諦観を纏いつつあった。
すなわち、狩は諦めて、農作業に専念するかと。
この里では農業と熊狩りで生計を立てている。別の里。海が近い里ならそれに漁業が加わるが、どこも似たようなものであった。
それももう昔のことである。
今では昔ながらの暮らしを続ける里も減った。大名の統治下に置かれた里は、近代化やら文明化やら大名の命令で暮らしも様変わりしているらしかった。
「……ふーん、なるほど」
里に近い小高い丘から、虎徹家を眺める者の姿があった。
今年の大名召喚から十の月が流れていた。
次回予告
死んで、死んで、また死んで。
虹は夢の中で空を見る。
目覚めた視界には闇の中。己を見るのはあの世か来世か。
虹徹剣羽ゼンライガー第2羽「虚空」
なまぬるい現実は終わり。