〔彼-hi〕④ 来宮ユウミ
リーフ柄のレースカーテンをすり抜けた光の筋が、厚い掛け布団の中まで潜り込む。
ほのかに照らされた視界は荒んでいた。乾いた瞳では、目に見える全てが無駄に映った。
来宮ユウミは布団の中で丸くなり、投げ出した手の平を照らす光をジッと見つめていた。視線をわずかに動かすと、頭を乗せている枕が見える。布地はずいぶん湿っていて、モノトーンの痕を残している。
一つ瞬きして、身動ぎする。両腕で身体を抱き締めるようにした。すると指先に硬い物が当たった。スマートフォンだった。電源を切り、あらゆる干渉を拒絶したそれはただの鉄屑だ。
もう誰とも話したくなかったし、誰とも会いたくなかった。誰も自分の悲しみの深さを真実理解できないからだ。
「古城君……」
凝り固まった唇を動かしても、涙一つ流れなかった。けれども脳裏に、網膜に貼りついて剥がれない。万華鏡のように変わりゆく彼の様々な表情と、物言わぬ骸となった彼の姿が入り乱れると、全身が、心が、途方もなく苦しくなり、落ち着きを失っていった。
それはただの思いつきだった。彼の残り香に触れたかったのかもしれない。スマートフォンの封を切り、回路に熱を走らせた。深夜まで引っ切りなしにかかっていたらしい電話やメール、インスタントメッセンジャー型アプリケーション〈リンカ〉のあらゆる着信履歴を無視して、過去の履歴だけを掘り返した。
古城ミチヒデとは味気も色気もなく実りのない話ばかりをしてきたのが分かる。もっと具体的な言葉を交わしてくれば良かったと後悔してしまう。勇気を出して愛を告白しておけばとさえ。
今思えば、一目ぼれだった。彼が東京からこちら大阪に越してきたのが三年前、中学二年生。同じクラスになり、ふとしたことをきっかけに話をするようになった。外見だけの恋だったが、見知らぬ土地での暮らしや人間関係の世話を焼いているうちに、素朴な彼への確かな愛情へと変わっていった。
同じ目標を掲げてこの高校を目指すようになるとラブストーリーを予感したし、危なげなく合格して一年、二年と同じクラスになったことには運命の赤い糸の存在を確信した。中学時代から数えれば四学年続けてなのだから、その興奮は一入だった。
そんなことを友人達に話せばノロケだメルヘンだと馬鹿にされたが、日々募る悦びの前では褒め言葉以外の何ものでもなかった。
そうやって漫然として、一向に成就しない、させようとしない恋愛ごっこを続けている最中に訪れたこの結末に、来宮ユウミは泣き寝入りするほかになかった。
「ミチヒデ君……!」
冷えきったはずの目頭が熱くなった。そこへ〈リンカ〉に一件の着信が入った。クラス委員長の村木レンからクラス全員に対してのグループ・メッセージだ。古城ミチヒデの通夜が明日の夕刻行なわれるので、制服を着用して参列しろという。
何とも素っ気ないメッセージに、まるで学校行事のような事務的な感情を覚えた。
どうやら、私達の、私の嘆きは、形式の中に閉じ込められるべきものらしい。
人の死。祖父母さえも健在の彼女には初めての経験だった。
もうイヤだ。何も考えたくない。
スマートフォンに再び錠をかけ、固く目を閉じた。それでも朝日が目蓋の奥にさえも滑り込む。煩わしく思っていると、光が揺らめいた。人影のようなものが踊っていた。
我ながらメルヘンだと来宮は思いつつも、その人影にミチヒデの姿を重ねずにはいられなかった。それでも恐る恐る布団から抜け出し、心を静めながらカーテンをゆっくりと開けたのは、彼女がまだ正常な証拠だったのかもしれない。
彼女の部屋は一軒家の二階にある。窓の外は斜めになった屋根があり、人が上れるだけのスペースは充分ある。今のご時勢、泥棒が侵入することを危惧しているならば有り得ない構造だったが、築五〇年の古い家屋では致し方ない。
屋根の上にいたのは人ではなかった。ミチヒデの亡霊ですらなかった。
ただのネコ。右前足だけ白い靴下を履いたような模様の黒ネコだった。尻尾を振って飛び退いたそれは、窓を隔てた先にいる来宮に向かってフーッと威嚇した。耳を後ろにし、総毛立たせ、背筋を山なりにし、歯を剥き出しにして睨んでいた。
来宮が一歩下がると、ネコはそっぽ向くような気位の高い素振りをしてから隣家の塀へと飛び移り、家の死角へと消えていった。
ベッドに座り込んだ来宮は、仰向けになって天井を見つめた。
「会いたいよ、ミチヒデ君」
言葉の儚さに腕で視界を封じた。決して思ってはならぬことを口にせぬために唇を噛んだ。




