〔溢-itsu〕③ 友
「なぁ、こんなことして本当に見つかるのか」
「シッ! しょうもない疑問浮かべんでエエから集中しい」
腑に落ちないと思いつつも、古城ミチヒデは神野ハナに言われたとおりに続けた。
二人は背中合わせになって突っ立っている。無論、例によって例のごとく、天と地の狭間――空中にだ。目蓋は閉じるが決して俯かず、正面を向く。口は余計なことを語らず、考えることも禁止。雑念を捨て去るために視覚情報はシャットアウトし、坐禅を組む要領で意識を“無”へと近づけていく。あとはただひたすらに意識をかつて脳があった辺りに収束し、全方位に拡散させるイメージを延々繰り返す。そうすることで天顕疆界だけでなく顕界のあらゆる波動をも把握できるとハナは言うのだ。
眉唾にもほどがあるとミチヒデは思った。もういっそ眉が唾液で異臭を放っているくらいに臭い話だった。魂の波動、それがあるから肉体を失くしても死物は会話を成立させている――それは解る。しかし意識を拡散させてレーダーのように用いるということがどうにもピンと来なかったのだ。しかもこうして背中合わせにして、お互いに視界一八〇度だけに意識を凝らせばいくらか負担も軽減されて、索敵距離も伸びるはずだとまで言う。こうして突っ立っているくらいなら足を使い、目を皿のようにしてあの忌々しい偽者を探しているほうが時間を無駄にせずに済むと思った。
そうだ、オレにはもう時間がない。
霊落までのタイムリミットがミチヒデを焦らせていた。
少年は集中を継続しているフリをして、背後の少女をチラリと見た。バスガイド服に身を包むあどけない彼女はそっと目を閉じ、真剣にレーダー波を周囲に送り出していた。もしかすると自分よりも必死になっているんじゃないかとミチヒデは思わざるを得なかった。
神野ハナ。彼女もまた、異物に殺されたという。しかも先んじて同様に殺された友人が、目の前で霊落するところに立ち会ってしまったようだ。霊落に巻き込まれそうになった彼女は日吉ヒヨコに救われ、未練を悪と決めつけるようになった。
それなのに今、彼女はその未練に囚われている少年の宿願、復讐の片棒を担いでいる。理由は解る。ヒヨコが波動を通じてミチヒデに人知れず送ったメッセージを知ったから――そうじゃない。彼女の本質に類稀な優しさがあるからだ。無謀にも友人の仇を討つために異物に挑むほどの無鉄砲な優しさが、再び彼女の中で花を咲かしているからだ。
ミチヒデは少しばかり俯くと、正面に向き直り、目を閉じた。この復讐は、もはや自分だけのものではなくなっているのだ。立ち止まることも、後戻りもできない。彼女の知恵を借りて、何としてでも果たし通さなければならない。
「もう一度、見つけてやる」
独り言ちる彼の背中の熱がむず痒く、ハナはひっそりと笑みを浮かべた。
同刻、顕界。
〈清泉館〉という葬儀会館ではスタッフに紛れて学生服を着た数名の若者達が準備の手伝いをしている。東奔西走、男子は重たい物を率先して持ち運び、女子は事務的な作業を分担して行なっている。いくつかの葬儀が重なっていることもあり、彼らの助力にはスタッフも喜んでいた。
昼前になり、古城家の両親が出前を取ろうと言った。お気遣いなくと一同が断ったものの、彼らはこうして申し出てくれたこと、それに何より息子を心から想ってくれたことに少しでも感謝したいのだと言った。この程度のこともしなければ、きっとミチヒデに怒られてしまうからと。
昼食は近場のコンビニにでも行って済ませようと考えていた少年少女達だったが、結局彼らの厚意に甘え、今では出前のチラシを眺めている。一番安いのはどれだ。派手なのはダメだからね。ドリンクなんて頼まないように。そんなことを両親に聞かれないように細々と話していると、宗田ナミが気付いた。来宮ユウミの姿がないのだ。
周囲を見渡しても、ホールのどこにも彼女の姿は見当たらなかった。代わりに岡田ハルコがハンカチで手を拭きながらホールに戻ってきた。
「ハル、キノ知らん?」
「お手洗いやと思うで」
「思うって。アンタもトイレ行ってたんやろ、見てへんの」
「個室に入るところは見たよ。多分ユウちゃんやった」
ハルコのマイペースで曖昧な物言いには随分慣れてきたが、ナミはどうにも苛立ちを隠せなかった。来宮のことが心配で堪らない。恋人になるべきだった男が死に、今はきっと失意のどん底にある。自分達は葦原タクの呼びかけに応じて葬儀の手伝いを買って出たが、来宮はそれをたった一人で決めたのだ。それがどれだけ辛く悲しいことか誰にも想像などできようもない。今の彼女は目一杯張り詰めた糸だ。どんな拍子で切れるか分かったものじゃない。彼女が間違いを起こさぬよう、何としてでも支えにならなければ。
「大丈夫やで、きっと」
そう言ってハルコはナミの手を取った。ハルコも来宮を想っているようだった。ナミとは別の角度から、別の方法で彼女を見守ろうとしているようだった。だからトイレの個室に入っていこうとする来宮に声をかけず、ただ話しかけやすいようにいつものマイペースな自分であり続けようとしていた。
ナミはそのことを手の温もりからすぐに知ることができた。彼女の来宮に対しての距離感も理解できた。来宮だって、集団の中で一人になりたいこともあるだろうと。彼女が輪の中に戻ってきたら、いつもと変わらぬ距離感で接することが、真の友人というものかもしれないと。だが、ナミにはそれがどうにも性に合わなかった。
「ゴメン、ハル。解るけど、あの子本気やったやろ。ホンマの本気やったやん。せやから今は、こうやって手繋いで、少しでも痛みを知ってあげたいねん」
チラシに夢中だった生徒達もいつしか彼女らのやり取りに聞き入っていた。ミチヒデに対してやれることはもう限られている。今日の通夜が終われば、あとは毎年の墓参りくらいしか彼に関わってやることができない。死後の世界のことなんて分からないから、また会えるとは思えない。おそらく今日以上に彼のために何かができる日は来ないだろう。
一方来宮はどうだ。彼女はまだ生きている。自分達と同じ世界で、同じ学校で、同じ教室で過ごしている。夏休みが終わればミチヒデの机の上には花瓶に挿した花が手向けられているだろう。その光景を見ても彼女が心を痛めないようにするくらいの手伝いはしてやれるのではないだろうか。女が男を勝手に好いただけ、好かれた男が死んだだけの話だが、それでも放っておこうなんてできるわけがない。友達なのだ、親友なのだ、彼女の傷ついた心を癒すためのアクションを何だっていいから起こすべきではないのだろうか。
それが彼女にとってお節介なことであろうとも、友の自己満足であったとしても、傍にいることを示してやれるのではないだろうか。
「迎えに行ってあげてくれへんかな」
目を丸くするナミに葦原は続けた。
「口惜しいことに俺は彼女のことをあんまり知らんねん。ミチと一緒に少し喋ったことがあるくらいや。せやから何て言えばいいか分からん。でも、キミやったらできると思うんやけど、どうかな」
「アンタ……」
「何?」
「空気読まれへんアホやと思ってたけど違うたみたいやな」
まさかの暴言に葦原は苦笑した。何の話だと田山ソウスケに目を向けると、彼には思い当たる節があったようだった。彼の肩を叩いて、「ドンマイ」とだけ伝えた。
困惑する葦原を残し、ナミはホールを後にした。
来宮は会館の外にいた。まもなくあの時間だと思い、会館前のロータリーに立てられた時計をぼんやりと眺めた。
蝉が鳴いている。昨夜の雨が嘘のように澄み渡った空が一面に広がっている。日差しは厳しく、とても暑い。漂う風が髪を撫でるたび、気だるい熱が身体を重くする。
秒針が右回りに時を刻む。おそらく、この時間だ。
一一時三七分。
詳しい秒数までは分からない。警察が両親に教えたという死亡推定時刻もこの時間を示していたらしい。
アレから、古城ミチヒデがあの世に旅立ってから、四八時間が経過した。
もう二日も経ってしまった。こんな風に明日、明後日と、時は残酷に過ぎていき、いつかは彼のことを忘れてしまうのだろうか。忘れなくても、断片的な思い出となって、今こうして抱える熱も失せてしまうのだろうか。目蓋など閉じなくても鮮明に、あの時の光景がフラッシュバックされるのに。
分針が動いて、来宮は頭を振った。忘れるわけがない、忘れられるわけが、忘れたくなんかない。彼との出逢い、彼との日々、彼と交わした言葉の数々をつまらない日常の一ページなどと一緒くたにしたくない。
でもと、来宮は拳を握った。
「お別れはしなきゃダメ、やんな」
大きく鼻から息を吸った。炙られたアスファルト、夏の陽気、心の痛み、それらを決して忘れぬように身体に受け入れた。涙腺が緩みかけたが唇を噛んで耐え忍んだ。鼻を啜って、口で息を吐いた。
戻ろう。そう思って踵を返すと、「キノ!」とハツラツとした声が耳朶に触れた。
「何してたん、探したんやで。トイレ行ってたんちゃうの」
「え、トイレ?」
ナミは彼女の右手を両手で強く掴んだ。急な圧力に来宮は顔を顰めたが、ナミの目を見て痛みなど忘れてしまった。
彼女は真剣な眼差しを湛え、いつになく沈着した声音で紡いだ。
「キノ、今何考えてる」
「え、何って」
「無理しようとしてんちゃうか」
心臓が跳ねた。来宮は自分の身体が何に反応したのか分からなかった。
「格好なんてつけたらアカンで。昨日の夜、みんながアンタの気持ちを知ったんや。みんながアンタの心の傷を自分と重ねたんや。みんな、解ったんやで」
「そ、それが、何」
「私らはアンタがどれだけ泣こうが喚こうが軽蔑したりせえへん。日本は恥の文化やから、そういうのはみっともないて、アンタのこと知らん人は思うかも知れへん。でも、私らはアンタのこと知ってる。せやからな、頼ってよ、私らのこと……!」
来宮はナミの肩に顔を埋めた。耳に落ちる暖かいものは、親友の真心だと解った。
「女の子やねんから、すぐにシャキっとなんてせんでええねん」
「うん」
「でもいつかでええから、アンタのホンマの笑顔、もう一回見せてな」
「うん。ありがとう、ナミ。大好き」
「アホ……」




