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ドッペル!  作者: 吹岡龍
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〔與-yo〕⑤ 復讐の物語

 立ち込めた暗雲が、およそ半日ぶりに輝きを得た月の光さえも遮った。背の高いビルディング同士が(せめ)ぎ合ってできた細い路地は全くの闇に包まれていた。銅鑼(どら)を鳴らしたように轟く稲光と明滅するネオンがなければ、彼らの姿を確認することはできなかったかもしれない。何故なら、路地裏の袋小路に追いやられた黒ネコはすっかり怯えきっていて、精一杯の強がりから発した威嚇の息遣いも長い逃亡劇で絶え絶えになっていたからだ。

 右前足だけが白い黒ネコ。ハテナが追いかけ、アンナが巻き添えを食ったネコはあれで間違いない。そうだ、懸命に総毛立たせ、尻尾をピンと奮い立たせつつ耳を後ろにやって、歯を剥き出しにする黒ネコを(ちり)あくたで汚れきった壁際まで追い詰める、もう一匹の右前足だけが白い黒ネコ。悠然と、一歩一歩前進するその(いや)らしさは、ドッペルゲンガーに間違いない。

 ミチヒデは生唾を飲み下した。彼は路地裏を形成する五階建てのビルの屋上からその光景を目の当たりにしている。次元の違いで掴めない縁のあたりに手をやり、止めなければという思いで身体を乗り出そうとした。それを阻んだのは、やはりハナだった。

 雨粒ではない。無言で首を横に振る彼女の額や首筋には汗が滲んでいた。その理由はよく解る。ドッペルゲンガーに殺された本人だから余計に解ってしまう。あの怪物は、遭遇しただけで人の動きを制御できる、得体の知れない力を持っているのだ。


「アンタは分かってへん」


 ハナはまた勝手にミチヒデの思考を読み取ったようだった。おちおちモノローグもできないなんてプライバシーもへったくれもないものだ。これではまるで“サトラレ”ではないか。

 何がと不機嫌に問う彼に、彼女は寒さに凍えるように片腕を抱き、おずおずとした視線を小さな〈異物〉に向けた。


「見えへんか、アレの中で“何か”がぎょうさん(うごめ)いとる」


 ミチヒデは目を凝らし、ファンタジーのキャラクターがそうするように意識を研ぎ澄ますような努力もしてみた。しかしネコの姿以外の何も見えないし、“何か”の存在など感じられなかった。

 ハナはハリセンを持ち出し、彼の頭を小突いた。すると霧が晴れたように彼の視界がクリアになって、途端名状しがたい音と悪寒が全身を震え上がらせた。霊落というとても短く限られた制限時間内に仇敵を見つけることができた幸運と、早々に復讐を果たせるという高揚感、武者震い、さらに相手は怪物だという予想もできないリスク。そんな様々な状況や条件がごった煮になっている現状に緊張する傍ら、今も尚あんなに小さな動物にまで悲しみを広げている怪物に対する途方もない怒りが、彼の目を、魂を曇らせていたようだった。

 竦む身体は指先一つ、睫毛一本動かない。ドッペルゲンガーを捉える瞳は、怪物の身体から噴き出る赤黒い(もや)と、小さな身体の中に確かに潜んでいる“何か”の姿を克明に刻んだ。呪詛を繰り返しているようなおどろおどろしい怨嗟の言葉が鼓膜に牙を立てるや、三半規管の名残さえも狂わせ、脳を掻き混ぜては跡形もなく磨り潰しているようだった。

 眩暈(めまい)が思考回路に踏切を下ろす中、ついに黒ネコは威嚇を諦めたようだった。開いていた四肢(しし)を閉じ、その場に(うずくま)った。身体を可能な限り小さくして、後ろに傾けた。耳も(すぼ)め、怯えた瞳を(たた)え、許しと助けを乞うみすぼらしい声を絞り出していた。

 もう我慢ならない、限界だ。ミチヒデはドッペルゲンガーから漂う強い圧迫感(プレッシャー)諸共、ハナの手を振り払った。しかし彼女も一筋縄ではいかなかった。彼らは屋上で取っ組み合いを演じた。

 うつ伏せに倒れ、路地裏に目を落とした。ドッペルゲンガーが、黒ネコの目と鼻の先まで肉薄していた。黒ネコの縦に長いスリット状の瞳孔は偽者の“本当の姿”を映していた。

 化物は左前足で黒ネコの頭を抑え、白い右前足を腹の辺りに押しやった。そして鼻先を近付けて、黒ネコの首の辺りに潜り込ませた。

 ミチヒデのこめかみで青筋がいきり立っていた。痛いほど脈打つそれは昨日彼の身に起きたばかりの光景をフラッシュバックさせていた。


「このまま黙って見ていろって言うのか……!?」


 押し殺した少年の怒りに、少女は拳を握った。脳裏に蘇るのだ。こんな子供に言われなくても、先輩に心配されなくても、あの日、あの時の、人生を変えてしまった自分の浅はかな行動が。

 ドッペルゲンガーから放たれる波動に身体が痺れる。怒りを訴える少年の視線に魂が揺さぶられる。

 ハナの額に真一文字の小さな傷が浮かび上がって、次第にこめかみまで広がった。垂れ流される血も痛みも熱さえも紛い物だったが、あの日を思い出すには充分だった。

 ミチヒデは愕然として動けなかった。彼女から滲み出た波動に意識を(さら)われてしまったからだ。

 視界がガラリと変わった。深夜の住宅地の路上に彼は立っているようだった。やがては蟲霊になるのであろう羽虫が集る街灯の下で呆然としていると、目の前を少女が横切った。

 その見覚えのある容姿に目を奪われていると、また視界が歪んで別の場所に移っていた。先程の少女がブロック塀に半身をピタリとくっつけ、曲がり角の先にある一軒の廃屋の様子を窺っていた。ミチヒデも同様に廃屋の引き戸の玄関に目をやった。赤い何かが引き戸の擦りガラスに映ったように見えた。

 瞬きの後に見えた世界は真っ暗だった。ガクガクと上下に小刻みに揺れていて、何か液体らしいものが視界を塞ぐ度に赤く滲んでいった。

 視界の上から何か大きなものがぬっと現れた。大きな目だった。瞳孔も虹彩も人間の、知りうる限りの動物のそれですらなかったが、それは確かに大きな目玉だった。一つ目でひょろりと背が高い、真っ赤な怪物だった。

 視界が戻った頃にはミチヒデは冷汗に塗れていた。


「お前……」


 座り込むハナは、焦点の合わない虚ろな目で膝の先辺りを眺めている。ミチヒデは彼女の肩を揺さぶろうとしたが、寸前で止めた。今の彼女に触れると、さっきは感じなかった痛みさえもこちらにフィードバックされるのではと考えたからだ。

 少年は混乱する頭を抱えて振り返った。途端、赤黒いオーロラのような光の波が足下から吹き上がった。

 深い闇の底に目を凝らすと、黒ネコが静かに横たわっていた。雨に濡れ、泥で汚れたぬいぐるみのようにピクリとも動かなくなっていた。

 守れなかった。

 絶望が殺意へと変わるのに一秒もいらなかった。未だ座り込んで微動だにしないハナには悪いが、ここで逢ったが百年目というやつだ、この絶好の復讐の機会を逃すわけにはいかなかった。

 身を乗り出し、ジッとネコの死骸を見つめる小さな怪物に飛びかかろうと足に力を込めた。瞬間、赤黒い靄が怪物の中へとサッと引っ込んだ。ネコを模していた像は崩れ、暗色の何かよく分からないシルエットへと変わった。眉を顰めながらそれを注視していると、けたたましいサイレンが鳴った。聞いたこともないその音に頭を擡げても、雨の中を行き交う人々にはまるで聞こえていないようだった。

 爆音が鼓膜を破った。何も聞こえなくなったと思いきや、全身が一息に焼き(ただ)れた。ミチヒデは仰向けに倒れ、身を包む炎を振り払おうと必死にもがいた。水、水を求めた。顕界で降りしきる雨に、すっかり炭のように焼け焦げた手を伸ばした。

 目の前が青白く染まった。伸ばした手の先に船があった。それは傾き、黒煙を青い空に立ち昇らせていた。溺れる、このままでは溺れてしまう。船の破片でも流木でもなんでもいい、掴まれる物が欲しかった。流れてきた白い物に飛びついた。あとは救助を待てば。そう思って自分の命を預けている物をよく見ると、それは人だった。体内のガスで膨張して生前の姿など見る影もない、真っ白にふやけた水死体だった。うわと声を上げて離れると周囲に同じようなものが無数に浮かんでいた。自分さえもそうなっていて、目玉が腐り、陥没するまで燦々(さんさん)と降り注ぐ陽光をぼんやり眺めることしかできなかった。

 真っ暗になった世界で、ミチヒデは何かを握っているようだった。木でできた柄のような物だと分かったが、それを胸のすぐ傍まで持っていき、振り下ろすまで、それが包丁だということに気付かなかった。

 ぎゃあという悲鳴が木霊する。それはとても複数で、数百から数千の、人間だけでなく声帯などの発声器官を持つ様々なものが声を荒げる阿鼻叫喚の坩堝にいるようだった。次第にただの叫びに混じって言葉を聞き取れるようになった。

 死ね消えろ失せろ呪う死ねぇ潰す生かしておけぬ死ね死ね死ね返せ呪ってやる命よこせ奪え殺して奪え殺して奪え欲しい命返して死ね見るな死んでくれ欲しいよこせ喰わせろ喰わせろ喰わせろっ俺のものだ死ね呪う呪う消えろ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ死ね奪えぇ奪えぇ。

 生きるもの全ての命を喰らい奪え。そして――。

 我に返ったミチヒデは網膜に焼きつけた。純粋なまでに殺意に満ち満ちた怨念の姿を見た。

 闇だった。路地裏をぎっしりと埋め尽くし、稲光やネオンの光さえ通さない、漆黒の闇だった。

 気付いた頃には尻餅をついていて、身体をひねって()(つくば)ると、ハナの脱力した細い腕を掴んで走り出していた。

 古城ミチヒデは、仇敵に怖気づき、逃げ出したのだ。

 何処を目指し、どれだけの時間や距離を走ったのか分からない。疲れ知らずの足は自意識が止まれと命じるまで、魂という無限のエネルギーを糧に自動で回転を繰り返した。ただ一つ言えるのは、ネコの皮を被ったドッペルゲンガーなる怪物の気配が感じられなくなるまで逃げ続けたということだ。

 そこはデパートの立体駐車場のようだ。運営しているデパートが閉店時間に達したためか、駐車スペースはがらんどうで、節電を理由に蛍光灯も電源が切られている。目につく光源と言えば、非常口を示すピクトグラムの誘導灯や、壁や天井に設置された火災報知機の赤い光くらいのものだ。

 ミチヒデは抜け殻のようになってしまった少女を、ピクトグラムの下に座らせた。扉を塞ぐような格好だったが、もはや死人である彼らにマナーなど関係はない。

 逃げ出したときは額の真一文字の傷口より下が真っ赤に染まっていたハナの顔もすっかり元の肌色に戻っていて、額もトップレベルの形成外科手術を施されたように傷跡がなくなっていた。ミチヒデは虚ろなままの彼女の目を見つめ、深く目蓋を閉じた。


「ゴメン。本当にゴメン。お前の言うとおり、オレは無謀なことをしようとしていたみたいだ。あんな奴には敵いっこない……!」


 ミチヒデは床に額をこすりつけた。感情に任せるばかりで、現実を知る彼女の言葉に耳を貸さなかった。自分よりも長く、この怒りという両刃の剣に苦しんできた彼女の言葉を素直に聞き入れておくべきだったのだ。


「……せやから、言うたやないの。できるわけあらへんて」


 正気に返った彼女の目にはまだ力強さが戻っていないが、現状は把握しているようだ。


「やるんだって啖呵切ったんは嘘やったん?」

「う、嘘なんかじゃない。嘘じゃないけど、現実が見えてなかったんだ」

「そうか。ほな、諦めるんか」


 不意に閉じた目蓋の裏に、在りし日のワンシーンが走馬灯のように駆け抜けた。

 ミチヒデは両親に愛されていた。彼が何かをする度、何かを覚える度、何かを学んで成長していく度に、ときには笑顔で見守り、ときには躾け、ときには諭してきた。そこには愛ばかり先行していた。それが親というものだった。

 幼稚園に通いはじめると、はじめての友達ができた。喜怒哀楽の情操が施されていく中、人との関わりを肌で覚えるようになっていった。小学生になると判断力が強化され、物事の是非を自分で決めることができるようになった。

 引っ越しの日、そんな彼らに初めて途方もない怒りを覚えた少年だったが、この地で出逢った少女――来宮ユウミに救われた。(いさか)いが付きまとい、腐る一方だった人生が変わったのだ。

 それからは来宮との日々ばかりが光の泡となってミチヒデの記憶を潤した。彼女の笑顔、落ち込んだ顔、涙、真剣な眼差し。一緒に帰る放課後、涼やかな横顔、風に遊ばれる絹のようになめらかな長い髪、不意に触れ合った手の温もり。それでも繋げなかった臆病な自分。そして昨日、差し出された彼女の手を取らなかった後悔。彼女の誘いに真剣に向き合わなかった、後悔。自分の気持ちに向き合い、彼女に伝えるべきことを伝えなかった、後悔……。


「なぁ、人生は一回しかないのか」

「そうや」

「生き返ることはできないのか」

「できひん」

「オレはもう、あの日々には帰れないのか」

「そうや、アンタも、私も、もう二度と楽しいことも苦しいことも心ゆくまで味わい尽くすことなんてできへんの。死んでもうたから……!!」


 顔を上げたミチヒデが見たのは、自分と同じく大粒の涙を垂れ流す赤らんだ瞳だった。


「私もアンタとおんなじや。異物に殺されてん」


 震える声で、彼女は訥々(とつとつ)と告白した。


「〈紅い影〉言うてな。真っ赤な人影を見たら死ぬ言う、都市伝説のバケモンや。私は友達と遊び半分でそのバケモンを召喚してもうた。先に友達が赤い影を見て殺されて、次に私も赤い影を見てもうた。道端に現れたそれはすぐに逃げたから、私は友達の仇、復讐や思うて追いかけた。見つけたらどんな手を使ってでも殺したろうてな」

「ど、どうなったんだ」

「見ての通り、返り討ちや」


 今にも潰れそうな廃屋に姿を隠した紅い影を追いかけた彼女は、廃屋の中で男と対峙した。彼は巷を騒がす連続殺人犯で、彼女はその男に出会いがしらに腹部を刺されてしまった。しかしそれはもはや男の意思ではなかった。突然の衝撃に痛みよりも先に脱力した彼女は、怯えて廃屋から逃げ出す男の影から剥がれる紅い怪物の姿を捉えた。

 紅い影は異様な形の指先で、ハナの眉毛から上の頭部をスッパリ切り落とすと、血飛沫が噴水のように噴き上がる頭蓋から脳味噌だけを綺麗にくり抜いた。そのとき彼女は気付いた。紅い影とはつまり、この足下にできた血溜りのことをも指しているのだと。激痛を抱く彼女は苦しみを声に出すこともなく、呆然としたまま息絶えた。死に際、誰かの姿が見えたので逃げろと伝えたが、そこで意識が途絶えた。

 気付いた頃には全てが終わっていた。廃屋から運び出される自分の遺体を俯瞰し、救急車の傍で泣き崩れる友人の妹を見つけた。彼女の衣服は真っ赤に染まっていた。死に際に目の前にいたのが彼女だと分かるや、ひどく冷静になり、自分が死んだことを理解した。


「死んですぐ、私は天顕疆界で友達と再会した。でも友達は怒りや悲しみを抑えきれんで霊落してもうた。それに巻き込まれそうになった私を救うてくれたんが先輩やった」

「日吉ヒヨコさん、だな」


 友人は生き返りたいと願っていた。死んでも尚、死にたくないと叫んでいた。未練に苛まれた彼女はハナの腕を掴んで離さなかった。死にたくないよ、一人にしないでよと懇願していた。

 日吉ヒヨコは彼女を押し退け、ハナを抱いてその場から離脱した。待ってよと絶叫する友人は天顕疆界から顕界へと転送されるや、白衣に身を包んだ集団に取り囲まれ、顕界からもあっという間に姿を消した。それが獄界の使者だということを後になって聞かされた。


「あの人は私の恩人や。今日まで色んなことを教えてくれた。私はあの人の背中に憧れてガイドになって、あの人の教えに従ってガイドとしての職務を全うしてきた。せやのにあの人はそれを間違いやったって言う。アンタの復讐の手伝いまでしろて言う。異物に敵うはずなんてないのに……」


 ヒヨコさん。

 二言は無いなと問いただす彼女の鋭い瞳が浮かび上がり、ミチヒデはおもむろにハナの肩に手を置いた。

 何やと目を丸くする彼女は、先輩の声を聞いた。


『アイツは人であった頃の心を失くしている。死物だからと言ってそれが不要なわけじゃないんだ。ハナはお前の怒りを共感できる唯一の女だ。頼む、アイツの心を救ってくれ。怒りを思い出させて、アイツの中で止まっている時計の針を動かしてやってくれ』


 実際にはそんな素振りを見せていないヒヨコが、意識の中では出逢ったばかりの少年に頭を下げていた。

 ハナは両手で顔を覆った。

 死後、神野ハナの思考は異常を来たした。異物への恐怖心が霊落への嫌悪感を増大させたのだ。未練を咎めるようになった彼女は、一時は日吉ヒヨコの庇護の下、天界で穏やかな日々を過ごした。しかしヒヨコの姿に憧れ、また怪物の存在を知りつつも敢然(かんぜん)と立ち向かうほどの他者への愛情の深さを下地に、天界送迎センター・ガイドへの道を歩むことになった。

 未練を良しとしない彼女はその誓いを糧に、ある才能を開花させた。何百時間も天顕疆界に滞在しても霊落しないという、死物としては常軌を逸した能力だ。ある種天職を得たのである。

 疲れ知らずの身体を最大限利用し、死んだ者達を片っ端から天界へ送った。未練を覚えさせる暇なんて与えない。持ち前の人当たりの良さで相手の警戒心を丁寧に取り除き、決して顕界の姿を注視させない立ち居振る舞いで天へと案内してきた。霊落しようものならあらゆる手段を使ってでも食い止めてきた。その方法が一時問題となるや、日吉ヒヨコの弟子だということも手伝って、彼女の名声、もとい悪名が瞬く間に広まった。

 社の一部から問題視されながらも、人助けを全うできる喜びを、神野ハナは今日まで噛み締めてきた。死んでも、生き甲斐のようなものを見つけて喜んでいた。

 日吉ヒヨコはそれをずっと異常だと思ってきたという。死物のくせに、生き生きしている――と。


「なぁ、ミチヒデ君。叩いて」

「え?」

「このハリセンで、私をどついて」


 彼女は愛刀を差し出して懇願した。


「未練が、未練がな、私にもあったみたいやねん」


 彼女は声を震わせた。止まりかけていた涙がまた溢れ出し、額に薄い傷が入った。傷口から溢れ出した血の一滴が眉間を経て横鼻を掠め、唇にまで達した。


「生きたかった。もっと生きて、色んなことやりたかった。あんな風には死にたくなんてなかった……!!」


 ミチヒデはハリセンを振らなかった。「オレもだよ」と、彼女の頭を撫でて同調した。


「ヒヨコさんが言っていた、“死せずして、生を知るに及ばず”だったか、その本当の意味が解った気がするんだ」

「へ?」

「後悔、未練。オレ達はそれをこの先ずっと抱えていくべきなんじゃないのかな」

「……そうか、私は友達も軽蔑してもうてたんや。あんな風になりたくないて。でも友達のあの感情はとても当然なことで、そんな彼女に寄り添わず目を背けた私のほうが卑劣やったんや」

「ヒヨコさんを恨むなよ」

「アホ。そんなことするわけないやないの。恨むんは、今日までの私や。私は霊を軽蔑しとった。あの子みたいにしたくなくて、死物から未練を断ち切ろうと必死にやってきた。でもそれは間違いやった。人でなしの考えやった」

「ハナ……」

「私らは後悔とか未練にこそ寄り添って、その人の苦しみを受け入れながら天へ連れていくのが使命なんや。私が縋ってたあの格言にポジティブな意味なんてなかったんやな。“生こそが価値あるものの全て”、死んだ私らは自らの無価値、無意味さを悔いながら昇滅までの一〇〇〇年間を過ごしていかなアカンのや」


 ハナは目を閉じた。パックリ空いていた額の傷もやがて閉じ、口まで達していた血の筋も消えた。


「なぁ、一つ言いたいことがあるんやけど、驚かんで聞いてくれる?」

「奇遇だな、オレもお前に話があるんだ」


 二人は顔を突き合わせて口を開いた。


「「復讐しよう」」


 人であったことを証明しなければならなかった。

 そうやって未練と向き合わなければ、当たり前の感情を受け入れなければ、死を認めていないのと同じだと思った。

 とどのつまり――“死せずして、生を知るに及ばず”。

 立ち上がった二人の膝は笑っていたが、瞳の輝きは生物のそれに劣らなかった。

 彼らは互いの胸に灯る炎を分かち合い、歩き出した。

 これはきっと、復讐の物語だ。

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