ごめんなさい 後
ランチタイムへのヘルプに早めに行ったのは、柏木が復帰したとはいえまだ包帯はついているから小春の手が必要だろう、と茉莉香が言ったからだ。早めに行ったはいいけれど、休憩室には先客がいた。小春はまたもやドアの前で立ち止まってしまう。
「翔人さんって、茉莉香さんの事好きなんですよね?」
よりによってそんな話をしているのは柏木だ。相手は当然、名前を呼ばれた翔人。
「なんだよ、急に?」
翔人は不機嫌に言葉を返す。相変わらず、柏木に対しては冷たい言葉づかい。
「いえ。色々噂をお聞きするからてっきりそうだと思ってたんですけど。最近三崎さんと仲良いみたいだし、一応確認を」
「……お前には関係ない話だと思うんだが?」
「関係ないですかね?」
「そうだな。だってお前、別れたんだろ?」
柏木は、すこし黙ったようだった。沈黙が二人の間に一瞬だけ落ちる。でも、それは本当に一瞬だった。
「早速三崎さんに聞いたんですか? 本当に仲が良いですね」
「まあな」
「でもそれって、翔人さんにもしその気がないなら、三崎さん可哀相じゃないですか?」
「可哀相?」
「俺が思うに、三崎さん、翔人さんの事好きですもん」
「はあ!?」
という翔人の心底びっくりしたような言葉に小春は心から同意したい。本気で。まったく同じ事を小春も思った。もう少しで声に出してしまうところだったくらいだ。どこをどうとったらそんな勘違いを。
「お前、何考えてんだ?」
「だって俺、翔人さんの血液型と誕生日聞かれた事ありますし。恋愛相談の電話してるのも聞いちゃいましたし。翔人さんだって、結構何度か思わせぶりな態度とってたと、俺は思うんですけど」
「思わせぶり? 俺が?」
「頭を撫でたりとか。昨日だって、翔人さんと話して戻ってきたら目が赤かったですけど、三崎さん、泣いてたんじゃないですか?」
(それはお前に泣かされたからだ)
小春は心の中で強くそう思う。翔人もきっと思っている事だろう。
「お前、馬鹿か?」
声がその呆れを物語っている。
「馬鹿かもしれないですけど。余計なお世話かもしれないですけど、中途半端な事するのはやめてくださいよ」
「そんなに気になるんなら、三崎とより戻せよお前」
「今はその事を話してるわけじゃ……」
「昨日の朝」
言いかけた柏木の言葉を遮って、翔人は鋭く言う。
「携帯を休憩室に忘れて取りに行ったんだ。10時半ちょい前くらいだったかな? そこで、俺が何を見たか、お前、分かるよな?」
柏木はちょっと黙った。少しして、僅かに悪意を含んだ声で反論するように言う。
「……翔人さんだって、人の事非難できませんよね? ちょっと前、みんな揃って風邪引いてた日、俺、知ってますよ?」
二人の間に沈黙が落ちる。ピリピリと張詰めたその沈黙がいたたまれなくて、小春は覚悟を決めてドアをがらりと引いた。
「おはようございます!」
元気よく挨拶すると、二人は驚いたように小春を振り返る。面白くなるくらい同時の動作で。
「茉莉香さんが、柏木君はまだ手が完全に治ったわけじゃないから早めに行っていいとお許しが来たので早めに来たんですけど、休憩中ですか?」
「……いや、もう行くとこだ」
翔人が言って、柏木に同意を求める様に視線を送ったが、柏木はそれを無視してすたすたと休憩室を出て行ってしまう。
それが見えなくなるまで見送ってから翔人と小春は同時にため息をついて、そして翔人は小春をちょっと睨む。
「お前、聞いてたな」
「……何の事でしょう?」
「なんであいつあんな変な勘違いしてるんだよ」
「私の方が激しくそれを聞きたいです」
「おお聞いてやれ。早く誤解を解いてやれよ、俺が迷惑だから」
「でも、勇気が……」
言ったら、ぱこりと一つ頭を叩かれた。
「言ってる場合か馬鹿者。告白なんてしてみると大した事じゃねえよ」
「翔人さんが言うと重みが違いすぎるんでやめてください」
「お前、最近ホントに生意気だな」
ふう、と呆れた様なため息をつきながら、翔人も休憩室を出て行った。
仕事中は、柏木は普通の態度に戻っていたのでちょっと安心して小春は仕事をできた。厨房は既にランチの準備で忙しい。
「こはたん! ごめん、廊下の棚にあるガスバーナー用のボンベ取って来てもらっていい? ガス切れちゃったよ」
「了解!」
カウンター越しに紺野に頼まれて、小春はテーブルセットの手を止めて慌てて廊下に走る。廊下の棚は背が高くて届きにくいのだけど、ちゃんと踏み台が用意されている。
よいしょ、と言いながら踏み台に上ってそれでもちょっと背伸びをして目的のガスボンベに手を伸ばした時だった。みしみし、と変な音がするな、と思ったら小春は一瞬間だけ宙を浮いていた。そして、何が起きたか事態が掴めないうちに、すごい音をたてて地面に転がっていた。
「どうした!?」
大きな物音に、厨房にいた柏木と紺野、翔人が慌てて駆けてくる。小春は慌てて半身を起した。
「ごめん。なんか台から落ちちゃったみたい。お騒がせしまして」
照れ笑いしながら言うと、柏木は安心したようにほっと息を吐いて「なんだ」と言った。
「ストーカー事件が解決したからって気抜けちゃった?」
「そうかも。ごめんねー」
話している横で、紺野が床に屈み込んだと思ったら「違う」と呟いた。
「え?」
小春と柏木が見ると、紺野は料理をしている時以外には滅多に見せた事のない真剣な、強張った顔をしていた。手には、小春が落ちた台を持っている。台はばらばらに解体されていた。
「ネジが外れてる。しかも、一本じゃない。……人為的なものだ」
紺野の口調はとても苦々しくて、何故か、苦しそうだった。
その時、厨房で何かが焦げるような音がした。翔人が慌てたように「店長! 火」と言うと、紺野はハッと我に返った。
「ごめん、小春ちゃん! 後でちゃんとするから。今日の仕事終わったら」
そう言い残して、紺野は慌てて厨房に戻って行く。小春は何が何やらわからないままぽかんとそれを見送り、自分もぼうっとしている場合ではないと立ち上がろうとした。
「痛っ」
思わず叫んでしまったら、同じく厨房に戻ろうとしていた柏木と翔人が振り返る。
「どうした?」
翔人の問いかけに小春はちょっと青くなって答える。
「すいません、これから地獄のランチタイムだっていうのに、足、ひねっちゃったみたいです」
「は!? マジか? 折れてはないか?」
「わからないですけど、多分大丈夫じゃないかと。病院でテーピングとかしてもらったら働けますかね」
「どこの体育会系だ。いいからとりあえずタクシーで病院行け。歩けるか? ドアまで連れてくから腕、俺の肩にかけろ」
翔人が屈んで小春に肩を差し出すので小春がそれに手を伸ばそうとしたら、その手を掴まれた。
「俺が連れてく」
有無を言わせないような柏木の声。
(ちょっと、清! 翔人さんの前で猫かぶり忘れてるよ!?)
思って慌てて翔人の顔を窺うと、翔人はなぜか満足そうににやにやしていた。止めもしない。
清に運んでもらうのは嬉しいのだけど、目につくのは柏木の左手のぐるぐる巻きの包帯。
「清、だって怪我してるじゃん」
「うっせーよ、ごちゃごちゃ言ってねーで早くしろ」
「痛くても知らないよ?」
直接患部に触れるわけではないけれど、やはり変な力が入るのではないだろうか? 気遣って言ったのに柏木は聞く耳を持たないから、小春は恐る恐るその肩に手を回す。
「もうお前、背ぇ低くて面倒くさいから背負って行く」
言われたと思ったら回した手ともう片方も、ぐいっと引っ張られてその首に回された。
「ちゃんと掴まってろよ」
清の手が両足の膝の裏に回されて、なんとなく抵抗があるが我が侭は言っていられない。
清が立ち上がると、背がすごく高くなったようでちょっと新鮮で楽しかったのも確かだし。しかも足が長いから歩くのも早い。ずんずん進んで、すぐにドアまでついてしまった。ちょっと残念に思うくらい。
「翔人さんが電話してくれてると思うから、そこで待っとけ。病院まで付き添ってやれなくて悪いな」
小春を下しながら柏木が言う。小春は素直に下されながら、その手を柏木の首から放す直前、柏木の耳元で囁いた。
「ありがと清。あとさ、私の好きな人、翔人さんじゃないよ?」
柏木の背中がちょっとぶれる。思ったら、くるりと勢い良く小春を振り返った。
「は!?」
「それ、こっちのセリフだったんだけど」
小春が言うと柏木は珍しくちょっと色々飲み込めないように数秒間じっと小春を見つめて、小春もそれを真面目ぶって見つめ返して。
やがて柏木が溜息とともに言った。
「お前、また盗み聞きしたな?」
「休憩室でデリケートな話題を話してる方が悪いと思うんだ」
言ったら柏木は「生意気な」と小春の鼻をつまんだ。
「お前のせいで俺、翔人さんに本性晒しちまったじゃねーか」
「いんだよ、それで」
声が聞こえて振り返ったら、翔人が小春の鞄を片手に立っていた。
「長い付き合いなんだから、お前が猫かぶってた事くらい知ってるよ。俺の前でだけ変な演技してて、腹が立つったらないと思ってたんだずっと」
小春に鞄を差し出しながら淡々と言うその言い方は、満足げで、ちょっと嬉しそうだった。
「ようやく化けの皮を剥がせたよ」
絶句する柏木の前で、翔人は小春に病院代とタクシー代はあとで請求していいから領収書等を貰ってこいなどと指示して、何事もなかったように戻って行った。
「……翔人さん、絶対好青年系の方が好きかと思ったんだけど。真面目だから」
「よかったね。本性の方が好きだって」
言ったら、頭をぐい、と押された。顔が見えない。
それで、ふと気付く。
(清ってもしかして、照れくさいと手がでちゃうタイプ?)
嬉しい、と素直に言わない代わりに。まるで、子供のようだけど。
「なんだよ?」
思わず見上げてしまったら、ちょっと拗ねた様な顔の柏木と目が合った。
「なんでもないですー」
小春は笑いをこらえて慌てて下を向いた。




