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強がって行こう! 前

 任せろとか言っておきながら、柏木は柏木家に着いた途端に役目を放棄した。玄関で出迎えてくれた斎に、柏木は「じゃ、俺はちょっと寝て4限はサボれない授業だから学校いくから。あとはイっちゃんよろしく」と小春を引き渡したのだ。呆然と柏木家の玄関に取り残された小春に、斎は穏やかに笑いかける。

 「ありがとう三崎さん。早速見せてもらいたいから、お茶でもどうぞ」

 それからお洒落なリビングに通されて、自宅のリビングを柏木に公開してしまった事を軽く後悔しながらも美味しい紅茶とミルフィーユに舌鼓を打っている間に斎は天気の話などをしながらウェルカムボートを確認していた。小春が一通り食べ終わるのを確認すると、斎はお茶のお代わりを注いでくれながら自然に話し出す。

 「僕の彼女の目は確かだったみたいだね。最初は怪しいものだと思ってたんだけど」

 小春が怪訝な顔をすると、斎は苦笑して説明をした。

 「本当は、パーティーのメニューと座席表のデザインも一緒に三崎さんに頼もうって彼女が言ってたんだ。だけど、僕はちょっと怪しんでて。……失礼な事を言うようだけど、君はまだ学生だし、素人だからね。だから、とりあえずウェルカムボードだけお願いして、満足いくものだったら、他のものもお願いしようって彼女を説得したんだ。そういうわけもあって、急いでウェルカムボードを持ってきてもらったんだよ」

 柔らかい口調だから一瞬そうは思わないのだけど、よく聞くと結構シビアな事を言われている。小春は身を硬くした。斎は、柔らかく微笑んで続ける。

 「でも、今回ばかりは彼女が正しかったみたいだ。三崎さん、もし僕の失礼な言い方に気を悪くしていなかったら。それに勿論余裕があったらだけど、メニュー表と座席表のデザインもお願いしたいのだけど、駄目かな?」

 「よ、喜んで!」

 考えるより先に言っていたのは、嬉しかったから。きちんと中身を見て、実力を測って満足して、また仕事をくれたのが。本当に嬉しかった。

 小春の返事を聞いて、斎は優しく微笑む。

 「ありがとう。彼女もきっと喜ぶよ」

 それから、具大抵な事や予算などを話し合って……予算は、ウェルカムボードの時と同じく大きな数字を提示されたのを辞退して値切った。とにかく具体的な話が終わると斎は立ち上がる。

 「色々ありがとう。よろしくね。……お家まで送っていくよ」

 「へ!? いや、そんな、斎さんに送って頂くなんて滅相も」

 言ったら斎はちょっと苦笑した。

 「清に厳命されてるんだ。きちんと帰りは送ってやれって」

 「でも……」

 「僕じゃ信用ならないかな?」

 「と、とんでもありません!」

 言ったら斎はにっこりと笑って「決まりだね」と言ったので、小春はついていくしかなくなった。

 斎の随分座り心地の良い車の助手席にちょこんと座って、小春はふと気になる。

 「そういえば、斎さん、お仕事は大丈夫なんですか?」

 前に会った時はスマートなスーツ姿だったのだけど、今日はシンプルな濃い青のVネックのセーターに黒いズボン。それはそれでカッコ良くきまっているけれど、普段着に見える。

 斎はエンジンをかけながら「んー」とちょっと誤魔化すように笑う。

 「僕、あまり有給使わなくて。上が使わなすぎると下が休みづらいって時々文句言われるからたまにはこうして休むんだよ」

 「そういえば、次期社長さんだとか」

 「……小夏だな」

 誰から聞いたか、斎は簡単に当ててしまう。柏木でも紺野でもなく、自分の婚約者だと。

 車は振動さえ感じさせず、滑り出すように走り出した。

 「社長って言っても、父親の跡を継ぐだけだよ? 自分で偉い事は何もしていないし。……それに、僕は本当は父親とは血が繋がってないからそういう権利もあまりないんだけど」

 (け、結構込み入った話……)

 それを、この人は何でもない事のようにさらりと話す。さっき天気の話をしていたのと同じ調子だ。

 「清はきちんと血が繋がってるんだから、もし清が継ぎたいと言えばすぐ譲るよ。彼女もそれで良いって言ってくれてるし。むしろその方が助かるとも言ってたけど」

 「え、譲るって、社長をですか?」

 「そう。社長の椅子もこの車も僕の持ってる何もかも譲ったって別に良いんだ。それは清が受け取る当然のものだしね。……1つ以外は、なんでも譲れる」

 「1つ以外?」

 不思議そうに首を傾げる小春とミラー越しに目を合わせて、斎はちょっと悪戯っぽく笑う。

 「彼女は流石に譲れないかな」

 (の、惚気られたー!)

 この人はそういう事をするように見えなかったのに、さり気なく、嫌味なくやってのけた。

 「ご、ご馳走様です……」

 小春が言うと、斎は声を立てて笑った。



 『お話があるんだけど、いつ大丈夫?』

 その日はいったん家に帰ってからまたバイトに来て、休憩室で休憩時間にメールをしたら数秒後に折り返し電話がかかってきた。それもそうかとも思う。昨日の夜から数十回の着信があったようだけど、小春は自覚してしまった気持ちとウェルカムボードに気を取られて携帯電話をろくに見ていなかった。着信の主は先ほどメールを送った相手だ。小春の携帯電話の画面には分かり易く『綾音お嬢様』と表示されている。

 「ちょっと、着信無視してんじゃないわよ!」

 着信ボタンを押した途端怒鳴り声だ。

 「ご、ごめん……」

 「もう。 早く報告してやろうと思ってたのに全然出ないし」

 「報告?」

 「そ、そうよ!」

 「誕生日プレゼントの?」

 「そうなの! 渡せたのよ! 私。ちょっと声が震えちゃったけど、話せたわ」

 声が弾んでうきうきと明るい声になっている。自分の成功を疑ってもいない声だ。これからする話が一段とし辛くなった。

 「彼、どうだった? 何か言ってた? 時計、してくれたかしら!?」

 期待に満ちた声に胃が痛い。

 「……あの、大変言いづらいんですが」

 「なによ?」

 「あんな高価なものは貰えないって困ってたよ?」

 電話の向こうに沈黙が落ちる。小春は耳に当てている携帯電話を強く握り締めて一気に続けた。

 「あと、ごめん。翔人さん、好きな人いるみたいなんだ」

 沈黙が重い。小春は息を詰めるようにして相手が何かを言うのを待った。

 と、がちゃりと休憩室のドアが開いて柏木が入ってくる。明日の休日から柏木はgrain de rizのアルバイト復帰だから、制服等の準備をするのだろう。まだ手は全快した訳ではないけれど、黒須に長く頼むのも申し訳ないし、無理をしなければなんとかなるから、という理由で柏木は気遣う紺野や小春を押し切って強引に決めてしまった。

 柏木は小春が電話しているのを見て、静かにはしてくれているようだけど、部屋から出て行く様子はない。こんなところで重要な電話はするものではないので小春の方がいけないのだけど、気まずい。

 「……付き合ってるの?」

 しばらくの沈黙の後、携帯電話の向こうから何かを押し殺すような声がようやく聞こえた。

 「へ?」

 「その女とは、付き合ってるのかって聞いてるのよ!」

 「え? ううん。片思いみたい」

 「じゃあ、問題ないわ」

 (強い……!)

 小春はびっくりして、一瞬絶句してしまった。

 「でも、翔人さん、その人の事すごく好きって……」

 小春が慌てて言うと、ぴしゃりとした声が聞こえて思わずその続きを飲み込む。

 「それがどうしたの!?」

 綾音の声は激しい調子だった。

 「それでもこっちは好きなんだから、いいじゃない。あっちに好きな人がいようがなんだろうが、奪ってみせるわよ。好きになる権利はこっちにだってあるんだから。こっちだって、生半端な気持ちで好きなんじゃないんだから」

 強がっている声が震えている。ようやくその事に気づいて、小春は胸が締め付けられた。思いやりのない事を言ってしまったと申し訳なく思う。そんな風に言ってしまったのは、自分と彼女を重ねたからだ。見込みのない恋をする彼女に、自分を重ねてしまった。

 (強いなあ)

 感嘆してそう思う。そうなんだ。相手にはまだ彼女はいないのだ。自分だって好きになる権利はあるのだ。たとえ相手にとっても好きな人がいようと、可能性はゼロじゃない。人生、どう転ぶか分からない。

 「……そっか」

 小春が言うと、電話の向こうで綾音は偉そうに「そうよ」と言い切った。

 「じゃあ、今度一緒にご飯でも食べに行こう。翔人さん、誘ってみるよ」

 「はあ!?」

 裏返った声が返ってきたのでちょっと笑ってしまう。

 「な、なんでそういう話になるのよ!?」

 「いつまでもこの距離じゃしょうがないでしょ?」

 「……うぅ」

 携帯電話の向こうから煩悶するような唸り声が聞こえてきた。先ほど啖呵を切った元気はどこへいったのやら。

 「ま、まだ早すぎないかしら? そういうの」

 「私も一緒だよ?」

 「でも……」

 「じゃあ、いいの? 行かない?」

 「ちょ、っと……待ちなさい。待って。い、いいわ。行きましょう。日にちは彼の都合の良い日に合わせるから。お、お願いね?」

 「了解っ!」

 小春は笑いを堪えて電話を切った。あんなにしどろもどろで、強気に啖呵を切ったのが嘘みたいだ。

 でも、綾音の啖呵を聞いていたら、自分の方まで気分が晴れた。自分も彼女みたいに強気で行ってみよう、自分の中をそういう風に整理できた。気が重かった電話だけど、大収穫だ。

 あとは、翔人に約束を取り付けなければ。どうせ翔人もどうやって時計を返せば良いか困っているところだろうから多分断られないだろう。

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