嵐のような女の子 後
「牛フィレ肉のグリエでございます」
小春は言って、注意深く皿をテーブルに置く。給仕中、仕草の一つ一つに視線が注がれていて、皮膚にちくちく刺さるかのようだ。その視線は、決して好意的なものではない。かといって、前ほど敵意むき出しでもないのが不思議なのだけど……。
(そして、何故一人なんだろう)
以前一緒にいたお供のような女の子はどこに? しかも、柏木と小春の噂が本当ならもう来ないと言っていたのではなかったのだろうか? 実際、あの日小春を裏で待ち構えていた人間は、彼女以外誰一人来ていない。それについて、店の売り上げに影響するか心配した小春を、翔人は「でかした」と誉めた。ちなみにランチではあまり利益が上がらないので数人の常連客が減るのは、寂しい事ではあるがあまり問題ないそうだ。特に、その客たちが若干迷惑な存在であった場合は逆にありがたい、と言うのは紺野の談。
とにかく、彼女がここに来ている事には、疑問が色々とある。もう二度と来ないどころか、小春を殴ったあの翌日から、この女の子は毎日一人でこのレストランに通い続けているし。一人だから、いつもカウンター席。以前と同じく、髪の毛は綺麗にセットされているし、服装も以前と同じ一分の隙もないイマドキのお嬢様風フェミニン。そのままコーディネートが雑誌に載っていそうだ。持っている鞄は小春がどんなにアルバイトをしたところで手の届かない有名な高級ブランドのものだと一目で分かるモノグラムの模様が入っている。ちなみに小春はよく会計もするので知っている。彼女の財布も同じブランドのものだ。更に言うならば、彼女の左腕にのぞくきらきらと輝く腕時計にはたくさんの宝石がちりばめられている。こちらも超有名ブランドのものだ。小春には社会人になっても買える自信がない。
小春を殴った翌日に現れた時は流石に小春もぎょっとしたけれど、別に特に小春にからむわけでもなく、話を蒸し返すわけでもないので放っておいた。謝りもされなかったけれど。そして同じ状態のまま、翌日も、その翌日も、彼女はこの店に通ってくる。無言で来て、無言で食べて、無言で帰って行く。小春が給仕をしても、柏木が給仕をしても、だ。以前なら柏木が給仕をするとそれはしつこく色々話しかけて、少し迷惑だったのだけど。柏木も面食らうくらいに大人しくなった。新しいこの状態に、小春も慣れてきたものの、やはり少しだけ緊張する。
いつも通り無言の彼女に軽く会釈して、すぐに次の料理を取りに行こうと踵を返しかけた時、一人で通い始めた時から初めて、彼女が口を開いた。
「ねえ」
小春はぴたりと足を止めて、緊張の面持ちで彼女の表情を伺う。店内で働いている限り、小春は店員だし、店の顔だ。下手な行動はできない。
「いかがされましたか?」
「あんた、休憩とかあるの?」
「え?……はい。一応」
「何時から?」
「3時半からです」
その後、まかないを食べて、花屋の方に戻ってぼちぼち閉店準備を始めるのが日課だ。
「じゃあ、3時半になったらこの前のドアの前に来て」
「え?」
「待ってるから」
(やばい、また殴られるかな……?)
とは思ったものの、特に彼女の口調から悪意のようなものを感じなかったから、小春は訝しげな顔をしながらも、頷いてしまった。
そして、約束どおり向かった裏口ドアの外で、小春は面倒くさい事に巻き込まれることになる。
「色々聞きたいんだけど、まず最初に、あの料理人の見習いの男、彼女とかいんの!?」
「はあ!?」
小春がやってきて開口一番、彼女は囁くように低い声でそう言った。声が小さいのは、前回翔人が聞こえた、と言っていたので学習したのかもしれない。
小春がぽかんとしていると、彼女は小春の両肩をがしりと掴んで顔を近づけてくる。真剣な顔に凄味がある。
「いるの!?」
「……い、いないと思います」
料理人見習、というのは翔人の事だろう。柏木は、一応簡単な盛り付け等はやるけれど、やはりウェイターのくくりだ。この前なんか、生意気にもソムリエの試験受けようかなあとか言っていたけど。
小春の答えを聞いて、とりあえず彼女は両手は放してくれた。
「そう」
表情が、ちょっと緩む。
「で? 彼の名前は?」
「あの、直接本人に聞けばいいじゃないですか」
言ってしまってから、まずいまた恐い顔になるかも、と思ったのだけど意外なことにそうはならなかった。怒られたは怒られたけど。
「聞ける訳ないでしょー!」
顔が真っ赤になっている。こういう顔をすると、普段澄ましている分なんだか可愛らしく見える。
「ここ最近毎日話しかけたいって思ってるけど、口が開かなくなっちゃうんだから。大体、厨房から滅多に出て来ないから、そんなチャンスだってないし!」
(なに? つまり、そういう事!?)
小春はようやく、驚愕とともにだけども、事情を把握した。つまり、彼女はあの日から翔人に恋をしてしまったのだ。柏木に対して抱いていたようなミーハー的なものではなく、普通の女の子がするような。毎日一人で、厨房の中が良く見えるカウンター席に敢えて通っていたのもこの為かと、ようやく納得できた。
何故それで小春に相談するのか。そもそもあの日の謝罪はしてくれないのか、とか色々思うところはあるものの、なんとなく見ていて微笑ましくなってしまう。だって、あんなに恐くて暴君のような女の子が話しかけること一つできずにこうやって真っ赤になっているだなんて!
「名前は、林田翔人さんです。木が二つの林に田んぼの田、空を翔ぶの翔にヒトって書きます」
言ったら、彼女はまるで一言一句を暗記するように、小春の顔をじっと見つめて、口の中で何度かその名前を唱えた。
「分かったわ。……ところであんた、赤外線できる?」
「は!?」
話が突然飛んで、小春はまたきょとんとする。彼女は構わず鞄の中から自分の携帯電話電話を取り出した。ショッキングピンクのそれには、可愛らしいストラップがじゃらじゃらとたくさんついている。
「携帯、今もってない?」
「……もってますけど」
茉莉香から急用があるといけないので、レストランバイトの時はいつも制服のポケットに忍ばせている。
「じゃ、出して? 私受信するから」
「え、でも」
「何よ!?」
強く言われて、なんとなく断るにもどう断るか咄嗟に理由が見つからなくて。小春は携帯電話を取り出して、赤外線送信の設定をする。
「……送ります」
数秒後に、彼女は満足気に携帯電話の画面を見る。
「ふうん、あんた、三崎小春って言うのね。じゃあ、小春って呼ぶわ。……今度は私が送るから」
「はあ」
今度は受信設定。
小春のライトグリーンの携帯電話の画面に「受信中」の文字が出る。
「受信し終わりました」
「そう。登録しといてね。じゃあ、また何か聞きたい事あったらメールか電話するから」
一方的に言って、彼女は携帯電話をしまって背を向ける。そのままつかつかと去ってしまった彼女を、小春は唖然として見送った。
(……あ。しまった。翔人さんは茉莉香さんに夢中だったんだ)
彼女いないって言っちゃったよ。
はっと気づいた時には、既に彼女の姿はない。
(まあいいか。あの子、攻撃的だし。茉莉香さんに何か危害加えられても困るしね)
思いながら、小春はたった今アドレスと番号を交換したばかりの携帯電話を見る。
『蔦ケ谷 綾音』
彼女の名前は本人からの自己紹介からではなく、携帯電話の赤外線通信から得た。
(でもまあ、こんな堂々と行動してくるって事は、サドル生首事件の犯人ではないな)
小春は自分の中でそう結論付ける。ここ数日感じる誰かの視線を感じるような違和感は、今も時々感じていた……。




