ものすごい厄日 前
「小春う、お客さん」
花屋の裏でゴミ処理をしていたら、表から茉莉香がひょいと顔を覗かせて言った。
「え? 混んできちゃいました?」
今日は特に近くで開催されるイベント等もないし、事前の予約等もないからそんなに混むとは思わなかった。意外な気持ちで小春が言うと、茉莉香は苦笑して首をふる。
「違う違う。小春に用事があるってお客さん」
とりあえずおいで、とちょっと含みのある笑顔で言われて、小春は首をかしげながら手を洗って表に出て行く。
出て、一瞬だけ「げ」っと思ってしまったのはナイショだ。
店先にはいつぞやと同じく高本が立っていた。
「あ。どうも」
小春はちょっと気まずい思いながら挨拶する。
「こんにちは。今って大丈夫かな?」
「いや、今バイト中なんだけど……」
と言ったら隣で茉莉香がにやにやしながら「いいわよ少しくらい。今日忙しくないし。私、奥やってるから」と余計な気を利かして奥にひっこんでしまった。
立ちすくむ小春と高本との間に気まずい沈黙が下りる。
(ちょっとぉ、用事があって来たなら用事早く言ってよぉ)
と心の中だけで主張する。なかなかこれは、いたたまれないものがある。しかも柏木が先日変な事言ったものだから、罪悪感がある。視線を直接向けられなくて、斜め下45度前の地面を見つめるしかない。
「あの」
たっぷり5分くらい黙ってから、ようやく高本は意を決したように切り出した。それで、小春は顔を上げて高本を見る。
「やっぱり、諦めきれないんだ」
(へ!?)
予想外の発言に、小春は目が点になる。理解できない。
「友達からでもいいから。……時々会ってくれないかな?」
「あの、私、高本君と今までそんなに親しくなかったよね?」
思わず問いかけたら高本は言葉に詰まってしまった。小春は続ける。
「正直、わからないんだよね、私。高本君が私のどこがいいって言うのか。全然意味のある会話した覚えないし。見た目だけで好みだと思われても、ちょっと困惑しちゃうよ。好意を持ってくれるのはありがとうなんだけど、多分私は高本君の期待に添えないと思う」
「そんなこと……」
「そんなことない、とか。根拠ないからやめてね?」
高本が納得できないというように眉を顰めるので、ああ伝わっていないなと思う。小春の言いたいことは、何一つ伝わらないで、ただ自分の気持ちを押し通したがっているな。
だったら、小春もこんなに正直に自分の気持ちを伝える必要はなかった。もっとシンプルに簡単に、断る理由はあるのだ。今の小春には。
「それに私、彼ができたから」
不本意ながら。
向こうも、何の目的か知らないけど小春を偽彼女にして利用しているから、小春のほうもその設定を利用してもバチはあたらないだろう。
「え? そんなこと、井上は……」
「井上にもまだ言ってないよ」
「そっか」
高本はそれでもまだ少し迷うようにしばしそこに立ちすくんでいて。
それから、頭を項垂れて去って行った。
花屋のアルバイトを中断してレストランを手伝う際、休憩室に鍵をかけて他の人が入ってこないようにしてからロッカーの中に入れっぱなしにしてある制服に着替える。ブラウスは換えを3着、エプロンとパンツは2着ずつ用意されていて、洗濯は定休日に紺野がごっそり持って帰って奥さんにやってもらうらしい。
そういうわけで、小春は自分専用のロッカーから制服を取り出して、ちゃくちゃくと着替え始めた。
(あれ。ボールペンとメモ帳なくなってるなー。また無くしたかな?)
花屋のアルバイトにしても、レストランのアルバイトにしても、覚える事はたくさんある。一度説明されただけだと忘れてしまうし覚えきれないから、花屋分はエプロンのポケットに、レストラン分は制服のポケットにそれぞれメモ帳とボールペンを一対ずついれておいている。特に、レストランの方は入りたてで覚える事がたくさんあるから結構重要なのに。
嫌な事というのは立て続けに起こるものだとため息交じりに思いながら、着替えを終えて厨房に行く。
「おはようございまーす」
この店は、基本朝でも昼でも夜でもスタッフ間は「おはようございます」だ。
「おう。来たか」
ドア付近で何かの処理をしていたらしい翔人が軽く手を上げて答えてくれた。奥では紺野が小春が来たのも気づかないくらいの火力で何かを作っている。来るべきランチタイムへの下準備だろう。
「あ。三崎さん。丁度良いところに来た」
猫を被った柏木がにっこりと笑ってゴミ袋を手渡してくれた。ちなみに「彼氏彼女でも仕事中は苗字でさん付け」、なんだそうだ。公私混同しないようにとの紺野命令により。
「たくさんあって一人じゃ運びきれなくて」
「……さいですか」
小春はさっそく両手にゴミ袋を持つ。もっともその脇で柏木は空き瓶の入ったすごく重いラックを持ってくれているのだから文句は言えないのだけど。
「しかし、二度も告白してくれた奇特な人間をよくもあそこまでフルボッコにできるなあ。ちょっと俺、鳥肌立っちゃった」
裏口から出て、外に置いてあるゴミ箱まで運ぶ途中、柏木がいきなり言い出した。
「……か、清って盗み聞きが趣味なの?」
柏木君、といまだに咄嗟に言いそうになる。軽蔑した調子を出そうと思ったのにちょっとカッコがつかない。
「趣味じゃねえよ。しかも俺は面倒くさかった。だけど茉莉香さんが彼女が告白されてるわよ! 彼氏として見守ってあげなさい、とか言ってわざわざ呼びに来た」
「何やってんの茉莉香さん……」
「そして俺は自分の彼女の恐い一面を見た。口調とかも結構恐かったし」
いやな話題に加えて非難の言葉。
カチンと来て、小春は乱暴な口調で返答する。
「うるさいなあ」
「珍しく機嫌悪いな? 女子の日?」
「さいてー。紺ちゃんに次ぐセクハラ」
言っておくが別に女子の日ではない。けれど、小春にだって気分が悪いときだってあるのだ。高本との会話以来、久しぶりに忘れていた事を思い出したからかもしれない。
嫌な事がある日はとことん嫌な事があるものだ。
まず最初に、大忙しのランチタイムで柏木のファンの女性たちにからまれた。これはいつもの事で慣れているはずなのだが、今日はすごかった。というのは紺野が言いふらしたのか、あの柏木清の彼女が同じバイト先で働いているらしい、という噂が流れたためだ。現在このレストランで勤務している性別女性未婚な人物は小春一人しかいない。
「大体アンタ、臨時職員って話だったよね? なに居座ってんの?」
「みんなの清君たぶらかしてどういうつもり? 身の程を知れば?」
「どうせアンタが言いふらしてるだけだと思うけど。清君が迷惑してるってわかんないの?」
「貧乳」
最後のが一番辛い。
そして、数人の客に仄めかされた「もし噂が事実だったら、もうこんな店来ないんだから」。
言うに事欠いて、こんな店?
小春は内心でむっとする。それが、珍しく隠し切れないで顔に出ていたのか「なあに、その顔。サービス業としてなくない?」等と非難された。
そして、本日一番の「悪い事」が起きた。行く先々のテーブルで繰り返されるうんざりするような会話で気が散っていたのか、ひどい失敗を犯したのだ。
皿を片付ける際、足元がふらついて転びそうになった。なんとか転ぶのは免れたが、ふらついた拍子に皿が傾いて乗っけていた食器類が床に落ち、そのうちの一つが落下する際お客さんの服について汚してしまったのだ。
「ちょっとぉ、なにこれ。服汚れちゃったじゃない。どうすんの?」
「も、申し訳ありません!」
慌てて謝ったけれどお客さんは怒っているし、どうしたら良いか分からない。おろおろと立ち往生していたら、柏木がそれを見つけてくれて応急措置の濡れタオルを持ってきて、丁寧に「申し訳ありません。店長の方から謝罪させます」と言って紺野を呼びに行くように小春に言った。大慌てで厨房に走って、紺野が来てくれて、クリーニング代を払います、とかそういう話をしてくれてどうにかなったけれど、一番忙しいこの時間帯に忙しい紺野に足を運ばせて、柏木の時間を割いて、しかも自分でどうすることもできなかった自分の未熟さに自己嫌悪で落ち込む。
ランチタイムがなんとか終わった後、紺野のところに真っ先に謝りに走った。
「ごめんなさい。クリーニング代、給料から引いといてください」
でも、紺野は大きな手で軽くぽんぽんと小春の頭を叩いて「新人だし、一度はやることだよ。気にしない気にしない」と大らかに笑っただけだった。
「給料天引きは三度目からねー。初犯二回までは免除。さ、まかない食ってきて花屋に帰りな。茉莉香が待ってるよ。ディナーもよろしくな?」
すごすごと小さくなって控え室に戻ると、柏木がまかないの豚肉ののった丼を差し出す。
「はい。三崎さんの分。豚の甘辛丼」
「食欲ない」
「折角翔人さんが作ったのに?」
「……いただきます」
良い匂いが漂ってくるそれを小春は受取って、テーブルにつきながら言う。
「柏木君も、忙しいのにご迷惑をお掛けしてごめんね」
「何言ってるの? 誰だってミスはあるものだよ?」
(ああ。これ今猫かぶりモードだから優しいんだろうな)
本性ではなんと思ってるのやら。
思いながら言葉少なにまかないを平らげて、食器を食洗器に持っていく。ディナーの準備時間までしばし花屋に戻るので、側にいた翔人に挨拶ついでに「今日は迷惑かけてごめんなさい」とこちらにも挨拶したら「反省してんなら、それでいい」と言われた。




