女王の昔語り 2
戻らなきゃ、と咄嗟に思った。
私がここにいることは、決して誰にも知られてはならないから。
でも、出来なかった。
……何故なら、久しぶりだったのだ。
既に城内で『心域』が知れ渡っているせいで、お父様とお母様以外に、ちゃんと私と話してくれる人はいなかったから。
それから私たちは、敷地内の森を回った。
実はあまり外に出たことがなかったから、始めて見る景色ばかりだった。
中でも印象的だったのは、小川だ。
敷地の中に川が流れているなんて、流石王城……どれだけ広いのだか。
と、つい前世の感覚で、そんな感想を抱いた。
遠目からも分かるほど、澄み切った川。
サラサラと流れていくその中には、可愛らしい魚がいた。
……こんな澄んだ川、前世では中々見ることはできなかったな。
『気をつけろよ』
小川に点在していた石を渡りつつ、彼は私に注意を促してくれた。
それなのに……私は、その綺麗な川を眺めるのに夢中になっていたせいで躓いて、一直線に川に落ちそうになった。
『危ない!』
彼は咄嗟に私を引っ張りあげようとしてくれたけれども、私を支え切れず、二人揃って真っ逆さまに川に落ちた。
『怪我はないか?』
私の下敷きになった彼が、真っ先にそう問いかける。
……私のせいで、川に落ちてしまったのに。
それでも、一番に私のことを心配してくれた。
そのことに、ホッと心に灯が灯った心地がした。
『だ、大丈夫……庇ってくれて、ありがとう』
二人揃って、びちょびちょ。
綺麗な服も、台無し。
何だかその状況におかしくなって、つい、噴き出してしまった。
彼もまた、同時に噴き出してしていた。
キラキラ、日の光が眩しい。
『見事な転びっぷりだな!』
『ふふ、うん。見事に、びちょびちょね。でも、冷たくて気持ち良いわ』
それから暫くして、少しでも服を乾かそうと日の当たる川べりに座った。
『……悪かった。私に付き合わせて、こんな目に遭わせた』
『ううん! ヴィルヘルムは、ちゃんと注意をしてくれたもの。悪いのは、ボーっとしていた私。それにね、とっても楽しかった……! 私、あまり外に出たことがなかったから』
『あまり外に出たことがない? ああ……まあ、それもそうか』
一瞬、彼は首を傾げた……けれども、すぐに納得したように頷いた。
『セリアの家は、厳しいのか。家によっては、子どもを全く外に出さないところもあると聞く』
そうか。貴族の子どもたちも、私と同じように外に出れないということがあるのか。
『……ううん。私、魔力が強いから、出ちゃダメなの。だから今日は、特別』
『魔力が強い? 俺からしたら、羨ましいけど。力は、無いより有る方が良い』
『……そんなこと、ないよ。魔力は人を傷つけることもある。だから……本当はヴィルヘルムともこうして、遊ぶべきじゃなかった。ごめんなさい』
『何で謝るんだ? 私から誘ったんだぞ? それに、今まで一緒にいて大丈夫だったんだから、問題無いだろう。仮に私が怪我したとしても、それは自己責任だ。私は今日、セリアと遊べたこと、後悔しないぞ』
『でも……』
『んー……どう言ったら、信じてくれるんだろうな?』
信じるも何も、知っていた。
だって、彼の心の声は彼の口から出たそれと全く同じ言葉だったから。
けれども、それ以前の問題だ。
私は、彼の心の声が聞こえてしまうことが嫌だった。
彼の心はとても真っさらで、だからこそ心の声が聞こえることに苦はない。
けれども仲良くなればなるほど、気を許せれば許せるほど、心の声が聞こえていることを黙っていることが心苦しい。
とは言え、魔力が高いということたけでもギリギリのラインだった。
心の声が聞こえるだなんて言ってしまえば、流石に王女だと露見するだろう。
お父様とお母様に迷惑をかけないよう、流石に露見することだけは防がなければならない。
『魔力が制御できない、か。……同じ壁にぶつかり続けると、人は自分を信じられなくなる。だけど、昔聞いたんだ。神さまは、その人に乗り越えられない試練は与えないと。だからきっと、その強大な魔力もセリアが乗り越えられるからなんだろうな』
『……乗り越えられる、か』
全く自信が沸かないけれども。
……でも、素敵な言葉だと思った。
ふと、視線を感じて俯いていた顔を上げる。
その視線の主は、隣に座っていたヴィルヘルムだ。
『……ヴィルヘルム? 私の顔に、何か付いてる?』
『うーん、納得したなって』
『納得?』
『セリアの白い肌だよ。初めて見たときから、気になっていたんだ。金髪がよく映えていて、まるで月のように綺麗だなって思ったんだ』
……き、綺麗?
彼の言葉に、顔が火を噴くように熱くなった。
お、落ち着け……別に、顔が綺麗だと言われた訳ではないのだ。
化粧品販売員の人が『肌が綺麗ですね。何か特別な美容液でも使っているのですか? とても当社のファンデーションが映えます!』と言うのと、ニュアンスは一緒だ……!
……なんて、混乱した頭が必死に言い訳をする。
『ヴィ……ヴィルヘルムは、よく出かけるの?』
とにかく話題を変えなければと、私は慌てて口を開いた。
『頻繁ではないけど。父上や兄上に付いて出かけることは、結構あるかな』
おかげで、少しだけ冷静になれた。
『そう……良いな。私も、行ってみたい。色んなところに』
一度、外で思いっきり羽を伸ばしたい。
折角違う世界に生まれたんだ……色んなものを、見て回りたいと。
でも……街になんて行ったら、『心域』のせいで心の声に押し潰されてしまうのは目に見えている。
『……いつか、私が連れて行くよ。セリアの行きたいところ、どこへでも』
またもや彼の言葉に、顔から火を噴きそうになった。
でも、彼のその心からの言葉がとても嬉しくて。
『うん……楽しみに、しているわ』
そして、私と彼の短い逢瀬に幕を閉じたのだった。