第三十六話 お仕置きビンタ
さらに二十日が経った。
相変わらず暇であるが、人間はなんだかんだで慣れる動物だ。暇な時は何かに打ち込めばいい。そんな時はギターに限る。
おれはギターも中々上手く弾けるようになっていた。
ギターを弾いてる時は、周りがどんちゃん騒ぎでもあまり気にならない。
耳コピならぬ思い出しコピで、元の世界の曲とかも沢山弾いた。
楽しいぜ、ギター!
それでも退屈な時は、訓練の一環として、馬車に並走して走った。
始めたばかりの頃は、30分も走ると息ぎれしていたが、今はどんなに走っても大して疲れなくなってきた。
やっぱりおれの素質半端ない感じ?
これなら、元の世界でマラソン世界記録も夢じゃないだろう。
体を動かすのも良いが、頭を動かすのも重要だ。
ということでジェフの持ってる専門書を眺めてみたが、どうも難し過ぎる。
素人のおれが見たところで、何もわからない。
おれが難しい顔で専門書を「むむむ」と唸りながら眺めていると、「解説してやろうか」と、若干ドヤ顔のジェフが来るパターンが多い。
その都度「間に合ってまーす」と言って逃げる。
一回ジェフの解説を聞いた事があったんだが、クソ難しくて全く興味が湧かなかったのだ。
得意げに解説してくれたジェフには悪いが、ぶっちゃけ右から左だった。
まあ、ジェフは天才ってヤツだな。
前に読んだ『魔神大戦記』は面白かったが、専門書は全く受け付けない。
今度街に着いたら、こういうおとぎ話系の本を買っても良いかも知れないな。
暇つぶしにもなるしな。
その天才ジェフだが、旅の間に厨二ネーミング魔道具「朧月」の改良を行っていた。
いつもみたいに一人でこそこそするわけじゃなくて、モリスに色々と協力を仰いでいた。
「どこまで見える?」
「毛穴までバッチリっす」
「じゃあこれはどうだ?」
「あ、見えなくなったっす!」
と、こんなやり取りがあった。
要は最新バージョンでは、魔力を介した察知に対して絶対的なステルス性を発揮するそうだ。
モリスは気配察知や視力、聴覚、嗅覚等は魔力強化によって向上させてるため、この朧月があれば察知出来ないらしい。
周囲がジャミングされてぼやけるイメージだろうか。
つまり、この世界の全員が朧月を持っていたら、モリスは普通の人になるということだ。
といっても、一般人のおれにはどんな感覚なのかわからないが。
ジェフはまたしても「やはりボクは天才だな!」とふんぞり返っていた。
ジャノバスからの襲撃は、やはり無かった。
みんな(おれも含めて)緊張感ゼロだから、このタイミングで襲撃に来られたら困るんだが、本当に毎日が平和で助かっている。
サイババの情報はかなり信用度の高いということになる。
流石は大陸一の情報通だ。
魔物の襲撃は、あの後一回だけあった。
まあ、またしてもジュピターワームだったが、今回はおれじゃなくてセレシアがやってくれた。
ジュピターワームが出てきた瞬間に、地面からデカい岩の手が生えてきて、ジュピターワームを掴むと地面にビタンと叩き付けて終わった。
血も出さないで綺麗に殺した。
流石はSSランクサーチャーだぜ。
もちろんホワイト大先生は馬車の中でガクブルだったが。
そして今日、バエカトリぶりとなる次の補給地に到着する予定だ。
そう。
あくまで予定である。
なぜなら、もう既に日が落ちそうなのだ。
「ちょっとジェフ。今日中に着かないの?」
「距離的にはもう少しなんだけど、どっかで時間を食ったようだな」
と、大分暗くなってきた馬車の中で、アカネとジェフが話していた。
おれはベッドに寝転びながら、二人の話をぼんやり聞いていた。
今日中の到着は無理だろう。
ガタガタと揺れる馬車の窓からは、地平線に落ちようとしている真っ赤な太陽が見える。
それは世界を真っ赤に染めて、夜の闇が赤く燃える太陽に引導を渡す神秘的な瞬間である。
手持ち無沙汰のおれはむくっと立ち上がり、そのまま馬車の屋根に上がった。
屋根の特等席では、相も変わらずソルダットがいる。
彼はギターを抱えて、今まさに沈む夕日を眺めていた。
その表情は普段あまり見ない、寂しそうな表情だ。
彼と駄弁ろうかと思ったが、この表情を見たら、そんな気じゃなくなってしまった。
仕方なく、おれも腰を下ろして、一緒に太陽が眠る瞬間を見届ける事にした。
御者台にはホワイトが座っている。
彼も今はラッパを吹いていない。
そういえば、ソルダットもホワイトも、この世界に出現してかなりの年月が経過している。
今までそれなりに色んな事があったのだろう。
そんな彼らが、夕焼けを見ながら感傷に浸っているのを邪魔したりはしないさ。
おれは空気を読める男なのだ。
静かに没してゆく夕日はついに地平線に到達し、間もなく見えなくなってしまった。
後ろからでよく分からなかったが、ソルダットが涙を拭ったような気がした。
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その日の夜、夕飯を済ますとアカネはソッコーで寝ると言いだした。
どうやら今日は宿に泊まれると期待していたのに、到着出来なかったので、さっさと眠って明日になって欲しいんだとか。
まあ、その気持ちはよく分かるな。運動会前の小学生の心理だ。
飯を食い終わると、アカネはさっさと馬車の中に入って行った。
「え!? アカネ寝ちゃったの!?」
ここで突然驚いた声を上げたのはセレシアだ。
何故驚いたのかは、おれにも分からない。
彼女は飯の後に、少し馬車から離れた場所でエレメントと会話してたから、アカネが寝てしまったのを知らなかったのだ。
会話と言っても何を話してるのかはわからない。
「参ったわね……」
腕を組みながら「うーん」と唸ってる。
何が参ったのかも分からないので、彼女を見てると目が合った。
「じゃあシゲル、お願い!」
「え? 何を」
「シャワーよ」
シャ、シャワーだと!?
どういう事だ!?
実はセレシアは生活魔法が使えないのだ。
何故使えないのかはわからないが、使えないものは使えないと胸を張っていうセレシアは堂々としていた。
誰にでも向き不向きはある。
いつもはアカネが温水を出してやっているらしい。
アカネは偉い!
「わかった」
おれは「まあ温水を出すくらい別にいいか」と、特に考えもなく頷いてしまった。
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生活魔法は基本的に手の先から出る。
魔法が器用に使えるヤツは、任意の場所から出せるらしいが、おれには出来ない。
つまり、おれは基本通りの手から放出なのだ。
シャワーは簡易的な更衣室みたいなカーテンの中で行う。
前に紹介したと思うが、フラフープにカーテンがついてるみたいなヤツの中でシャワーをするのだ。
フラフープがカーテンレールだ。
そのカーテンレールは馬車の側面に取り付ける。
取り付け場所はソルダットの特等席のやや下。
背伸びしても届かないような高さだ。
思い出して欲しい。
温水はおれの手から出る。
背伸びしても届かないのであれば、おれは必然的に馬車の上にあるのだが、そうするとシャワールームの中のセレシアが丸見えなのだ。
非常に悩ましいポジショニングだ。
もちろん見ないがね。
おれは目を瞑り、片手を下にいるセレシアに向けている。
「お、おい! 準備はいいか?」
「いいわよ!」
いいわよって事は、もう全裸ってことか……ブーッ!!
ちょっと手とか目とか滑って見てしまうとかあるかもしれないぞ。
いやいやいや、それはダメだ。
ダメ、ゼッタイ。
おれは温水を発生させる。
「キャー!!」
「ど、どうした!?」
「冷たすぎよ! バカ!」
「す、すまん!」
精神が乱れて水温が安定しない。
だって、今おれの下には全裸のセレシアだぞ?
あのSSランクの最強お嬢様がすっぽんぽんだぞ!?
普段は強烈な美少女が一糸纏わぬ姿でおれの温水を待っているのだ。
言い表せない高揚感に包まれるのは男の悲しいサガだ。
「あっつーいッ!!」
「わわわ、すまん!」
「ちょっと! いい加減にしてよ!」
「ごめん! 慣れてなくて」
何とか気を紛らわせなければいけない。
よーし。
今シャワーしてるのはホワイト今シャワーしてるのはホワイト……
ホワイトが荒々しくシャワーを浴びている。
ホワイトがごしごし体を洗っている。
ホワイトの裸体には、おれの生成した水が滴っている。
ホワイトの……おえっ。
ふう、落ち着いてきた。
自己暗示成功だ。
温度もちょうど良くなったらしい。
ホワイト(本当はセレシア)も何も言わずにシャワーを浴びている。
シャーという水の心地よい音をBGMに、夜空の星を見上げた。
地球では見れないような、透明な星空が広がっている。
この世界に来てしばらく経つので、既に見慣れているが。
それでもやはり綺麗だと思う。
星座も何となく地球のそれに似ている気がするな。
おれが唯一知っていた北斗七星を探し始める。
でも、星が鮮明に見え過ぎてて、しばらく探してもどれがどれだか区別がつかなかった。
時間も結構経ったようだ。
「ホワイトー。そろそろいいか?」
「何がだ?」
「うおっ!!!」
突然、背後からホワイトがびょーんとジャンプしながら現れた。
暗示の効果で、下にいるのがホワイトだと思い込んでいたおれは、突然あらぬ所から出た声に飛び跳ねた。
そのせいで、シャワーを放出していた手がぶれて、水がおれにかかる。
それに更にビックリしてまた飛び跳ねた。
飛び跳ねてばかりいたので、バランスを崩す。
馬車の縁でバランスを崩せば、落下は免れない。
「おわわわ!」
もちろん落下地点はセレシアのシャワーカーテンの中。
ふわりと自由落下が始まり、フラフープの中に突入。
どすんと尻から落ちて、内蔵に衝撃が伝わる。
「うげ」と踏んづけられたカエルのような声が出た。
そして……
「シゲルが降ってきた!」
尻餅の体勢から見上げれば、何故か大事な部分を隠そうともしないセレシアが……
少年漫画によくある「泡」とか「湯気」で隠されてるわけでもない。
ありのままのセレシアが仁王立ちだ。
堂々とし過ぎている。
む、胸は思ったよりちいさい!
そしてやっぱ結構細いんだな!
肌は白く、馬車の外に吊るされたランタンの明かりと、月明かりによって、完全に見えてしまっている。
もちろん、下の方もバッチリ見てしまった。
この角度から見上げるセレシアの姿が、脳裏に永久保存された瞬間だった。
んなことより……
メイデー! メイデー!
岩石の手が出てきて、握り潰されちまう!
あの手にやられたら、おれは間違いなくトマトになる!
と思いきや。
「なによ! 早く出なさいよ!」
セレシアは至って普通だ。
怒るでもなく、恥ずかしそうにするでもなく、ただおれの退去を命じるだけだった。
ちなみにその時だけタオルを取るためにフラフープの上に手を伸ばしていたので、彼女の側面の曲線が見えて、もう卑猥とかそういうのじゃなくて美しく感じた。
「は、はひ!!」
おれはシャワーで水浸しになった地面から尻を上げ、ささっとダンゴムシみたいに這いながらカーテンを飛び出した。
尻はずぶ濡れだ。
カーテンから出た所で、何かに額をごつんとぶつける。
堅い。
前を見ると、そこには見た事のある寝間着があった。
これは……アカネの寝間着だ。
ごつんとぶつかったって事は、膝か。
顔を上げると、満面の笑みを顔に貼付けたアカネがいた。
ただ目は笑ってない。
まずい……
「ね、寝たんじゃないの?」
「あんなにキャーキャー聞こえて寝れると思う?」
アカネはその笑顔のまま首を傾ける。
「た、確かに……!」
「今シゲル何処から出てきたのかしら」
ニコッと目を細めるアカネだが、殺気をビリビリと感じる。
これは、本格的にまずい……
「じ、事故なんだ! 本当だ! 落っこちて丁度セレシ……」
「へぇ、事故ねぇ。でも見ちゃったのかしら、セレシアの大きい胸を」
「え? 大きいか? むしろ小さめ……はっ!?」
カマをかけられた!
そう言えば、アカネってこういうの得意だったな!
アカネの顔は既に笑ってない。
額に青筋まで浮かんでいる。
お、終わった……
「この変態ッ!!」
「ぶへぁ!!」
アカネの張り手(おそらく威力的に魔撃)を喰らったおれは、サヤバーンの夜空を見上げながらそのまましばらく地面に転がった。
星空はさっきと変わらず綺麗だった。




