第三章 禁書の導き
倉持賢作、15歳。年齢イコール彼女なし歴。今までどこにでも転がっているごくごく平凡な男子高校生だったと自負する、普通の申し子と言っても過言ではないほど没個性的な青年のはずだった。しかしそんな彼は、恐らく人生で……否、普通に生きていてはまずありえないだろう事態に見舞われていた。たまたま見つけた怪しい儀式の本を半信半疑で実行した所、夜になって倉庫に銀髪の少女と金髪の女性が突如出現したのだ。彼女らが出現してからもう一時間近く経っているが、その間彼は彼女らの電波じみた話を延々と聞かされていたのだった。
「…あのー、未だによくわからない事が多すぎるんですが」
「何度説明すればわかるのだ、主君は!おつむが悪いというレベルではないぞ!」
「いや、言葉としては理解してるんだよ。お前達がこの世界の人間じゃなくて…いや、それどころか人間ですらない、悪魔だってこと。特に君…リリスは魔界に住んでるお嬢様で、ペネロペはその従者だって」
賢作はこの一時間、聞かされ続けてきたその電波な話を要約する。するとリリスはその赤い瞳を満足げに細めて、黒い手袋に包まれた指を突き付けてくる。
「わかっているではないか。ならばなぜまだわからないなどと申す?」
「だからその前提となってる言葉が理解できてないって言ってるんだ」
賢作は自分の語彙力のなさを嘆きながら、その場で頭を掻き毟る。リリスは別段何食わぬ顔で言葉を続けた。
「だから、難しい話ではない。我とペネロペは主君の呼びかけに呼ばれて、ここへとやってきたというだけの話だ」
「強い魔力も感じた…。あれほどの力を有するのは、私達が仕えるバホメット様以来初のことだった」
「……ペネロペ。せっかくあのネグレクト親父から解放されたというのに、その名を口にするでない」
「失礼致しました」
積み重なった週刊誌の上に足を組みながら腰かけて、リリスは鋭い眼光をペネロペに飛ばす。軽く頭を下げたペネロペを横目に見ながら、賢作はやはり釈然としない気持ちのままだった。
「…ということは、この本は本当に悪魔を召喚するための本だったということになるんだよな」
「本?」
そのフレーズだけをぽつりと言ったリリスは、再び彼の前へと近づいてくる。陽気な季節とはいえ、上がビスチェ一枚ではこの夜を過ごすのはやや寒いと思うのだが、そんな感想を呑み込んで言葉を紡ぐ。
「あ、ああ。この倉で偶然見つけたんだよ。親父がオカルト好きだし、親父の物かなとは思ったんだけど…」
「何故それを先に言わない。見せてくれ」
リリスは俺が胸の前に抱いていた革表紙のそれをひったくると、ペネロペと幼い顔を突き合わせてそれをまじまじと見始めた。
「…ペネロペ。こいつは」
「はい。この国の言葉に翻訳されていますが、紛れもなく『禁書』です」
大真面目な顔で厨二的ワードを言うそのペネロペの姿を見て、賢作は思いがけず噴き出しそうになった。なぜなら、その金髪美少女が厨二病というのがあまりにもミスマッチで、おかしな気持ちになってしまったからである。
「…君、笑いごとではないぞ。もとよりこの『禁書』はこの世界の書物ではない。我ら魔族の者の世界の書物なのだ」
「じゃ、じゃあなんでこの世界の…それも、日本語なんかが書かれてるんだよ?」
世界は広い。世界で一番使われている言語は英語で、日本語などほんの一摘まみ程度でしか使われていないというのは賢作でも知ったることである。それがわざわざニッチな日本語で書かれているというのが、まだ彼にとっては不思議でならない事であったのだ。
「…この禁書は、我々魔の者が世界を渡る術を記した書物。この書物の中にも当然とてつもない魔力が含まれているが…。それでも、それ単体で我々をどこかへと運ぶことはできない。しかし書物単体でならどこへでも飛んでいくことができる。そこで、行き着いた先の世界で無作為に人間を選び、儀式を施してもらうことで転移の術式が完成し…こうして、その書物が導いた所へと我々がたどり着けるという訳だ。その行き着いた先の人間に魔力を供給してもらうのだから、その世界の人間が読める字に変化するのは当然だろう」
「魔力が…」
賢作はここで、普段ならば絶対にやらないであろう奇行に及んでしまったことに思い当った。まるで花粉を運ばせるために芳香を放つ花のように、その胡散臭い本は俺を魅了したのだ。リリス達魔の者を、この世界へと移動するために。
「じゃ、じゃあどうしてお前達はここにこれたんだ?別段この本が関係してるってことを、俺が見せるまで知らなかったみたいだし…」
「なかなか鋭い質問だな。答えは至極簡単。お嬢様がそう強く願ったからだ」
俺が半信半疑ながらも放った質問は、ペネロペの簡潔な答えで解決することとなった。
「魔の者にとって禁書の発動条件は結構いい加減でのー、『ここではないどこかに行きたい』と、そう願いさえすれば、自分の『血統』が最も近しい禁書が他人に拾われて儀式を施された時にこうして移動できるということなのだ。大方その本も、我の家の書斎にあったとか、そういうものなのだろう」
「そ、そうなのか…」
「しかし案ずるでない、主君」
いい加減電波発言にも慣れ始めた俺の肩に、リリスの小さな掌が乗せられる。その赤い瞳はどこか心を射抜くようで、ずっと見られると心が見透かされるような不思議な気持ちになってくる。これが、魔性という物なのだろうか。
「無作為とはいえ、召喚のための魔力を注いでくれたのは紛れもないお主。今の我の体内を巡る血潮と魔力には、微量ばかりといえど確かにお主のものも混ざっておる」
「そ、その言い方よせ! なんかやましい気分になるだろ!」
「これから先も、我は形式上はお主の使い魔だ。精々新たな小間使いとして我に尽くせること、光栄に思うが良いぞ、主君よ」
自信に溢れる幼い顔つきでそう言い放つリリスは、確かに冷静さを取り戻しかけている今の彼には、とてつもなく可愛らしく見えた。いや、ペネロペだって海外モデルのように美人でプロポーションが抜群だ。同じクラスの七瀬よりも凄いと、下劣だが思春期の男子ならば仕方がない比較を行うほどの余裕すら出てきている。そう、冷静になれば二人ともとんでもない美少女なのだ。しかし、賢作が心穏やかになりきれない理由が、そこにはもう一つ残っていた。
「…えーと、リリス?」
「なんだ」
「お前さ…さっきから俺のこと、お、お兄ちゃんって呼んでくれてるけど…なんで?」
俺は一人っ子だ。こんな絶世の美少女を妹に持った記憶などない。そんな疑問をぶつけてみると、当のリリスは何食わぬ顔を向けてくる。
「何でって、お主がそう望んだからに決まっていよう。召喚主が悪魔を召喚するため魔力を行使する代償に、その者が呼び出した悪魔に自分をどう呼ばせるか決定権が与えられるというのも契約の一つなのだから」
「そ、そうなのか…」
「おあつらえ向きに、供物として捧げた書物にもそれを反映し漫画を入れるくらいだしの」
「ぜ、絶対読むなよ!それは多分お子様には早い!」
賢作は動揺こそしたものの、ひとまず納得することにした。確かに「俺を兄と慕う、超可愛い女の子の悪魔を呼んでみろ」と、くだらない啖呵を切って召喚の儀式を行ったのは紛れもない自分だし、そこは契約通りだということで片づけることにしないと話が進みそうになかったからだ。
「…じゃ、じゃあさ。いちおう主からの命令なんだけど」
「なんだ」
「…その、魔界とか言う所に帰ってくれない?」
そう懇願すると、リリスの肩がピクリと跳ねて顔を下に向けた。その愛らしい顔が銀の前髪に隠れて窺えないが、賢作ははとりあえず話を進めることにする。
「まさかあれが本当のグリモアだかってやつだなんて知らなくて、この後のこと何も考えてなかったからさ…。こ、来れたってことは帰る手段もあるわけだろ?だったら」
「やだ!!」
面を上げたと思った次の瞬間、リリスの背後から何か黒い鞭のような物が伸びたのが見えて賢作は身をのけ反らせる。それが先端が刃物のような形をしている彼女の尻尾だとわかった瞬間には、彼が寝間着替わりにしていたジャージの胸の部分に真一文字の切れ込みが入っていた。
「ちょ、ちょっと待てって!」
「やだやだやだやだ!!」
凶刃と化した尻尾がリリスの背後から、鞭をくねらせるように賢作に襲い掛かる。ペネロペの剣も素早く威力があって捉えられるものではなかったが、リリスのそれも怒りでコントロールを乱してさえいなければ容易に人を殺せるものであった。駄々っ子のようにわめきちらしながら尻尾を振り回すリリスに追い詰められるように賢作は後退せざるを得なくなり、気づけば書斎の壁際まで追い詰められていた。
「絶っっっ対に!やだぁぁーーーーっ!!」
「どわぁぁぁっ!?」
顔面を狙った一突きを、賢作は偶然床に落ちていた分厚い漫画週刊誌を掴みあげて盾にした。電話帳もかくやという厚さのそれは、その悪魔の尻尾の切っ先を、その身を貫通させながらも、その勢いを相殺して押し留め、彼の鼻先を掻かせる程度に収めてくれた。神様、いや、紙様ありがとう。賢作は初めて紙の神に感謝を捧げる。
「こ、殺す気か!サソリみたいな攻撃しやがって!」
「サソリだってなんだっていい!我は絶対に…あんな、あんな所には…帰りたくない…のだ…」
顔を真っ赤にして尻尾を振り回していたリリスは、途端に声を震わせはじめた。風穴を空けた週刊誌から尻尾を引き抜くと、その場に女の子座りをしてめそめそと泣き始めたではないか。間髪入れずにペネロペがその横に跪き、その枝毛ひとつない銀色の頭を撫で始めた。賢作は言いようのない罪悪感と戸惑いのような物を感じ、たまらずペネロペに声をかける。
「…え、なに?俺が悪いの?」
「……人を頼ってやってきたのに、いきなり追い出すようなことを言われて傷つかない人などいるか?」
「えっと、それは…すんません」
しかしペネロペはそれ以上追及しようとはせず、むしろ静かに語りだした。
「…実は、リリス様は実の父に当たる我らが主人…バホメット様のことをお嫌いなのだ。我々使用人はそのバホメット様にリリス様に有事がないことを申し付けられているので些か複雑な心境ではあるのだが…。バホメット様には申し訳ないが、ここはお嬢様の意見を尊重し迂闊に帰れないことになる」
「あ、悪魔でも父と娘の仲って悪いもんなんだな」
賢作はそんな半ば家出のような理由に脱力しながらもそう相槌を打つと、それに、とペネロペが遮ってくる。
「……このようなこと、初対面の君に言うのは癪なのだが……。帰るに帰れないというのもある。むしろそちらの方が理由としては大きなウエイトを占めている」
「…というと」
「この世界に来るのに、私達は『禁書』の魔力に導かれてやってきたと言ったな。即ち、それは言うなれば『行き』の禁書というわけだ」
「うん」
「だが、私は『戻り』の禁書という物の存在を寡聞にして聞いたことがない。存在がなければ、帰る手段を立てる事など不可能だろう」
そう淡々と呟いた言葉に、賢作は嫌な予感を感じて問い直す。
「…それって、つまり」
「そうだな。現時点では自力で帰る手段は無い、ということだ。お嬢様にとっては好都合かもしれんが」
「ふ、ふんっ、あ、当たり前だ。あ、あんな所に帰るくらいなら、この狭い小屋の中で住んだ方が万倍マシだ」
「な、何だってーーーっ!?」
涙声で強がるリリスの声もかき消すように、賢作は天井に向かって咆哮する。まさかそんな片道切符のような転移魔法があって良いのだろうか。彼はそんな思いも胸に抱きながら、さらに問い正そうとする。しかし、その瞬間リリスはさっきまで涙で歪んでいた表情を一瞬で引き締めた。相変わらずその柔らかそうな白い頬はペネロペの豊かな胸に押し付けたままだが。
「…ペネロペ」
「はい、感じます。半径10m以内に他人の気配を。歩幅や温度から察するに、雄の人間…それも若くはない」
「えっ、それって」
そんなロボットのようなサーチ機能を発揮したペネロペにも驚いたが、賢作はそれよりもその近づいてくる人物の特徴に戦慄を覚えた。つまりそれって。
「おおーい、賢作ー。どこだー」
「や、やばっ!親父だ、二人とも隠れてくれ!」
倉持 賢造は、噂に聞く賢作の父である。少しオカルト趣味のある、しかし公務員としての職務は全うする父親の鑑とでも言うべき中年男性。賢作とて決して反抗期の頃のように嫌っている訳ではないが、今は状況が状況だ。一人息子が夜な夜な変な髪の色の女を二人、薄暗い倉に連れ込んでいるなどという状況に遭遇したとなれば、全うな人の親なら息子を問いただすに違いないだろう。それがわかっていたからこそ賢作は必死に二人に隠れる事を勧めるが、二人は別段焦りもせず、ただ賢作だけが取り乱していた。
「話聞いてたのかって!頼むからどっか隠れてくれ後生だから!」
もう土下座もしかねない勢いで賢作は必死に懇願したが、ようやくペネロペの胸から離れたリリスは先ほどまでの凛々しい表情を取り戻し、不遜な表情でその長いツインテールを指で捌く。
「何、その程度特に焦る必要もない。のうペネロペ」
「作用ですねお嬢様。『この場をしのげさえすれば良い』のですから」
「な、何する気だよ二人とも…」
そう俺が恐る恐る問うと、それを態度で示すように二人は自分の体に手をかける。リリスは自分のツインテールを結う、蝙蝠の羽を象った髪飾りを、ペネロペは真紅の宝石の両端にこれまた蝙蝠の羽を象ったアクセサリがあしらわれたチョーカーを握る。そしてそれを二人が取り外したその瞬間、倉の中は再び眩い光に包まれた。
~*~
「おおーい、賢作ー。どこだー」
倉に声をかける父・賢造。勿論丸腰で、その倉の中で何が起きているのかなど知る由もない。しかしあまりにも家を出たきり戻ってこないので、親として心配になり倉へと歩を向けたのだ。その薄明りが微かに洩れ出でる戸を見て、賢造はいつものようにその戸へと一歩ずつ歩み寄っていく。
「こらぁ賢作!いつまで倉に…!」
そして夜更かしを咎めようと怒声を挙げながら戸に手をかけたその瞬間であった。
「うおわぁぁぁぁぁっ!!」
「うっふ!?」
戸が突然弾けるように開き、中から悲鳴を挙げながらその実の息子が飛び出してきたではないか。その勢いのまま賢作の頭は賢造のどてっ腹に沈み、二人揃って倉に至る小階段を仲良く転げ落ちる羽目になった。
「あいたたた…。あ、危ないだろうがこのバカ息子が!」
「おおおおお親父ぃぃ…!」
「ど、どうした賢作?そんなに怯えて…?」
普段なら不注意に突っ込んできた息子を怒鳴り散らす所だったのだろうが、賢造の怒りはその怯えきった賢作の表情で鎮火してしまった。そのジャージ姿の肩に手をかけて落ち着かせようとすると、その賢作の姿を照らす暖色の明かりが何かによって遮られ影を落とした。そして賢造はその影の主を見て、眼鏡の奥の瞳をめ一杯に開き驚愕に慄いた。
「…!な、な、ななな…!」
猿や鼠とも形容しがたい何とも凶悪な顔つきをした獣の顔に焦茶色の体毛がびっしりと生え揃った腹。そしてなめし革のような表皮の質感が異質さを際立たせる黒翼。それらがまるで獲物を今か今かと待ち構えるかのように夜闇をも切り裂かんばかりに眩い白い牙をむき出しにして、その倉の軒先に逆さになってぶら下がりながら段下で震える親子を睥睨していた。
そう、都市部に住む人間ならまずお目にかかることはないだろう、吸血鬼のような容姿の空飛ぶ哺乳類、コウモリ。しかも想像よりもはるかに巨大なそれが、二匹揃ってこちらを見ているではないか。
「う、うわぁぁぁあああああっ!!アフールだぁぁぁぁーーーーっ!!逃げるぞ賢作ぅぅーーっ!」
「お、おう!」
賢造は耳慣れない単語を叫びながら、息子賢作の腕を掴んで我が家へと駆け戻っていく。賢作は後ろ目でそのこちらをじっと見続けている二匹の巨大コウモリを見ながら二つの感情が渦巻いていた。
まず一つは、リリスとペネロペと名乗った二人の悪魔の女性がいる所から父を引きはがせたこと。それもコウモリが住み着いたとなれば、そう簡単には近づかないだろう。
そして二つ目のそれとは、その二人の悪魔が悪魔たる所以……というより、「人間ではない所以」を見てしまったことによる恐怖と興奮が入り混じった奇妙な感情であった。内心で賢作は、声にならない声を今もなお喚き続ける父の声よりも上回る気持ちで大にして絶叫する。
(まさかアイツら、コウモリに変身できるだなんて……!本当にあいつら、悪魔だったんだ!俺のこれからの生活、一体どうなっちまうんだよぉぉぉっ!?)
こうして賢作は、運命の悪戯で出会ってしまったはた迷惑な片道切符の『禁書』に導かれ、リリスとペネロペという二人の悪魔少女と出会ってしまったのであった。賢作は鼓膜の奥底で、今まであったごく平凡な日々がガラスが粉砕でもするかのような音をたてて瓦解していくのが聞こえたような気がしていたという。




