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白紙婚の監査令嬢は、帳簿魔法で辺境を黒字にする  作者: 小竹X


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第三十一話 私の居場所、あなたの机

 押収した川図の先印は五つあるのに、朝の執務室へ戻った水運受渡札は四枚しかなかった。


 同じ窓の下へ並んだ机のあいだで、私は札を順に開いた。南棚三番の押収控え。北門裏の閉鎖札。河岸路灰札の見回り控え。白尾見張小屋の灯り確認。足りないのは北西砦へ回した分だ。


「昨夜の北西砦ぶん、どこへ置かれました」


 私が言うと、ミレイユが受け盆を見直し、それから気まずそうに目を伏せた。


「夜明け前の走り書きは、まだ旧監査室へ入る癖が残っています。帳場補助のひとりが、そちらの盆へ」


 旧監査室。


 王都査察を捌いていた頃の部屋だ。婚姻書類の線が切れた日に机ごと執務室へ移ってから、私はもうほとんど戻っていない。けれど夜の札だけは、急ぐほど古い導線へ戻るらしい。


 廊下の角を曲がると、扉の銘板はまだそのままだった。監査室。火の落ちた室内は冷えきり、窓辺の机だけが白く明るい。受け盆には、探していた北西砦の水運受渡札のほかに、余剰還元帳の願い札が三枚、暮刻売上帳の写しが一枚、筆算工房向けの紙代控えまで混じっていた。


 流れが、割れている。


 私は北西砦の札を開いた。夜明け前一刻。北門裏から来たと称する浅車一台。荷はなし。御者は「南棚の差し替え便だから、灰札の番号だけ先に知りたい」と言ったらしい。


 だが水運受渡札の番号も、在庫札の紐色も答えられず、兵に止められて引き返した。


 帳簿魔法を薄く通す。札の刻限欄は青い。御者の口上を書きつけた余白だけが黒い。昨夜の密輸船で押さえた手口を、もう陸へずらそうとしている。


 私は受け盆の中身を机へ広げた。余剰還元帳には共同竈前の鍋蓋替え願い。暮刻売上帳の写しには、昨夜の黒パン台の売れ行き。筆算工房の紙代控えには、契約印紙の追加清書十二組。


 どれも別の紙に見えて、流れている先は同じだった。共同竈前も、河岸路も、北門裏も、北西砦も、押収した川図の墨とつながっている。相手が欲しがっているのは矢そのものではない。表へ戻した荷の渡り方だ。


 扉の向こうで靴音が止まった。レオンハルトだった。彼は受け盆の中身と、私の袖へついた古い机の埃を一度に見た。


「戻っていたか」


「戻っていました。河岸の札だけではありません」


 私は北西砦の報告と、混じっていた紙を順に見せた。


「夜の札、余剰還元帳、暮刻売上帳、筆算工房の控え。全部、旧監査室へ割れて入っています。このままだと、河岸で止めた話と町の売上が同じ朝に繋がりません」


 彼は報告札の黒い余白を黙って読み、短く言った。


「その部屋は、もう使わない」


「私もそのつもりでした。ですが、盆と銘板が残っているせいで」


 そこで彼は扉脇の呼び鈴を一度だけ鳴らした。入ってきた若い書記へ、旧監査室の銘板と受け盆を外し、窓際の執務室へ移せと命じる。続けて、夜の札、余剰還元帳、暮刻売上帳、工房控え、水運受渡札はすべてこの部屋で受ける、と区分まで口にした。


 書記が戸口でうなずいたあと、まだ確認するように私を見た。置き場を決める最後の一拍だ。


「窓際の二つ、どちらへ」


 レオンハルトは私ではなく、机のあいだへ視線を落とした。彼の机の右端にいつもあった封蝋箱と軍靴用の油布が、いつの間にか壁棚へ移っている。その空いた場所へ、川図を広げられるだけの幅ができていた。


「河岸と町の札は、こっちだ」


 そう言って、彼は自分の机の右二段の抽斗を開けた。中には空の仕切り箱が入っている。青糸紙、麻紐、替えの炭筆、小さな温石。印を押す前の紙が冷えないように、布まで敷いてあった。


「昨夜のうちに?」


「南棚のあとの朝は、紙が増える」


 それだけだった。けれど、査察受渡帳の厚みも、水運受渡札の湿り気も、彼は最初からここへ来るものとして測っていたのだと分かる。


 私は受け盆から札を持ち上げ、ひとまず彼の机の右端へ置いた。私の机へ置くより、火鉢に近くて紙が反らない。


「では、こちらを河岸と町の受けにします」


「ああ」


 彼はうなずき、空いた左手で私の古い受け盆を受け取った。木の縁が欠けていたので、指先で軽く撫でてから机のあいだへ置き直す。


 午前のうちに、押収した川図の横へ五つの札を並べた。北門裏。北西砦。共同竈前。河岸路灰札。白尾見張小屋。ひとつずつ読み上げるたび、ミレイユが新しい綴りへ転記していく。


「印は荷の置き場ではなく、継ぎ目です」


 私は北西砦の札を指で押さえた。


「河岸で止めたあと、今度は灰札の番号だけ先に聞きに来た。表の荷に紛れ込むなら、壊したいのは倉庫ではなく、受け渡しの節目です」


 ガレスが呼ばれて入ってきた時には、もう五枚の札のあいだへ細い線が引かれていた。彼は川図を見下ろし、北門裏と共同竈前のあいだへ指を置く。


「ここは今、夜の売り台帰りと河岸見回りが重なる」


「ええ。だから灰札の番号を探りに来たのでしょう」


 私は暮刻売上帳の写しを横へ置いた。


「黒パン台の灯りが伸びた夜ほど、人の出入りへ紛れやすい」


 ガレスはすぐにうなずいた。


「北門裏は札読み上げを二人に増やす。共同竈前は、暮れ後の戻り荷を一度止めて番号を呼ばせる」


「北西砦向けは、河岸経由の口上が出た時点でこの部屋へ走らせてください」


「分かった」


 話が終わるころには、旧監査室から運ばれた銘板は外され、代わりに執務室の扉脇へ小さな札が増えていた。


 夜札受け。


 文字はミレイユの筆だ。下へ、ごく小さく「河岸・町・工房」と追記がある。私が頼んだわけではない。けれど、今朝まで割れていた紙の行き先が、その四文字でひとつになった。


 昼過ぎ、筆算工房の娘が新しい契約印紙束を抱えて戸口へ現れた。いったん扉脇の札を見てから、迷わずこちらへ歩いてくる。受け盆へ紙束を置き、今度は確かめるように私ではなくレオンハルトを見る。


「大公閣下、こちらでよろしいですか」


「その机で受ける」


 短い返事だったが、娘はもう迷わなかった。紙束の下へ、共同竈前の黒字祝い招き状を一枚滑り込ませる。


 余剰還元帳の十日締めで、共同竈と夜市の収支が揃って青に立ったらしい。今夜、共同竈前でささやかな祝いをする、とある。ここまでは分かる。その次の一行で、私の指が止まった。


 最初の一曲は、大公閣下と大公妃様へお願い申し上げます。


 紙の端がやけに白かった。売上も契約も水運も、数字ならすぐ読めるのに、この一文だけ置き場が見えない。


 横から覗いたミレイユが、声を殺しきれずに息を呑む。ガレスは読まないふりで窓の外を向き、リゼットなら絶対に笑っただろう場面なのに、今いるのはレオンハルトだけだった。


 彼は招き状を私の手元で読み、ほんの少し黙ったあとで言った。


「帳面確認だけで帰る、とは書いていないな」


「……ええ」


「断るなら、今だ」


 断る、と口にしかけて、私は机のあいだへ置かれた受け盆を見た。河岸の札も、夜市の売上も、工房の紙代も、今はもう同じ場所へ戻ってくる。その置き場を作った朝のあとで、祝いだけ机の下へ隠すのも、たぶん違う。


 招き状を閉じると、紙の向こうで共同竈前の灯り数が思い浮かんだ。今夜はたぶん、いつもより多い。


「帳面は持って行きます」


 私が言うと、レオンハルトの指が招き状の端を一度だけ叩いた。


「なら、行くか」


 窓の外では、共同竈前へ増し灯りを運ぶ荷車がちょうど中庭を曲がっていくところだった。受け盆のいちばん上には、もう新しい水運受渡札が一枚乗っている。


 私の居場所は、たぶんもう古い銘板の部屋には戻らない。


 その代わり今夜は、帳面の外で並ぶ段取りまで増えてしまったらしい。

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