『第六章~インドラ・ファイブ』
ケイジのゲート正面でガンシップのパイロット、トップガンと意気投合していたマリーは、ブラックバードやスーパーコブラの話で盛り上がっていた。三十分ほどトップガンと喋り、お互いのマシンを自慢しあってから、マリーはリッパーとオズのいるラボに向かった。白いラボのクリーンルームを抜け、オズに一直線で病室に向かうと、入り口に大きなアサルトライフルを持った兵士二人がいた。正規の、武装した軍人を見るのは初めてだったので、マリーは緊張しつつ、入り口に近寄った。
「えっと……お仕事、ご苦労様です! 私はマリー……マルグリット・ビュヒナーです! コンボイのリーダーで、リッパーの、お友達で知り合いで仲良しです!」
マリーは慣れない手付きで敬礼して見せた。二人の兵士は笑顔でそれに応え、敬礼を返した。
「どうぞ、素敵なお嬢さん。お名前はリッパー大佐から伺っています。ミスター・コルトも中にいますよ、ご自由に入って下さい」
言われたマリーは、足と手が同時に出そうな勢いで歩き、オズの病室に入って、小さな悲鳴を挙げた。兵士が不思議そうな顔をしたが、マリーは慌てて手を振って「何でもないです!」と告げて、ドアを閉じた。
「リッパー! アナタ! 何て格好なの? 丸裸じゃない!」
マリーが叫んだが、リッパーは眉をひそめて、何とも難しい顔をした。コーヒーを飲んでいたコルトが吹き出して笑い、それを見たマリーがまた叫んだ。
「コルト! 何やってるのよ! ドクターはともかく、アナタ! 部屋から出なさい! リッパーは裸じゃないの!」
「ヘイヘイ、マリー。俺だって好きでストリップショウを見学に来たんじゃあないぜ? 話があってここに来て見たら、たまたまリッパーが素っ裸だったって、それだけだよ」
吹き出した分のコーヒーをマグカップから足して、コルトは笑い声で返した。
「それでも! 後ろを向いてなさいよ!」
「それじゃあ話がし辛い」
両手を水色のワンピースにばたばたさせて、マリーは抗議する。
「だったら……リッパー! シャツくらい着なさいよ! アナタ、スッポンポンよ?」
「マリー、言われなくても解ってるわよ? ドクターがイザナミとかの整備でそうしろって言ったからこんななの。ベッセルのガイドレールのところもいじるらしいから、上、着れないのよ」
「レールって、あのでっかいリボルバーがぴょんって飛び出す、あれ? 何だか知らないけど、胸くらい隠したら? コルト、いやらしい」
マリーはきつい目線をコルトに向けるが、コルトはコーヒーを飲みつつ、涼しそうな顔のままだった。
「別に胸くらい、構わないわよ。触ったら蹴り殺すけどね。まあ、座ったら?」
同じく涼しそうにリッパーは言った。ドクター・エラルドはマリーの抗議が自分に向かないよう、コンソールに顔を近付けて仕事を続けている。言われたマリーはぶつぶつと文句を吐きながら、コルトの座る長椅子に座った。コルトと二人分ほど距離を置いて。
「ヘイヘイ、マリー。何でそんな遠くに座るんだ? 何か勘違いしてねーか?」
「勘違い? コルト、ずーっとリッパー見てるじゃないの」
マリーの声は棘だらけだった。
「そりゃあ、まあ、グラマーな美人が裸で目の前にいりゃあ、男なら俺でなくてもこんなだよ」
「ダイゾウさんだったらそんな目、しないわよ。コルトと違って精神鍛錬してる紳士なんだから」
「ダイゾウはずっとサングラスだぜ? ここにあいつがいたら、サングラスで見えないだけで、俺と同じさ」
マリーはコルトに向けて舌を出して、べぇ、と一瞥した。
「コルト、いやらしい目」
「何だか散々だな。俺もサングラスしとけば良かった。それで? トップガンズとの愉快なコンサートは終わったのかい?」
「話をずらそうとしてる。まあ、リッパーがいいって言うんだから、いいわよ。大事なお話もあるし」
怖い顔のまま、マリーは続けた。
「リッパー、あのね。ダイゾウさん、消えちゃったの。これがバッグに入ってた」
マリーが持ち出したのは白い封筒で、中身は一枚の便箋だった。どこにでもあるレターセットだ。マリーは椅子から腰を浮かして、便箋をリッパーに見せた。
「ダイゾウが消えた? 何か用事でもあるのかしら? それで、これ、ダイゾウからの手紙よね? ギザギザの、雷{かみなり}マークのスタンプが隅にある。前にダイゾウから貰ったレターにも同じものがあったわ。彼が使ってるシノビスタンプよね? でも、これ、どこの言葉かしら? あたしじゃあ解らないわ。イザナミなら読めると思うんだけど、今はメインテナンス中なのよ。エラルド博士なら解るかしら?」
聞かれたドクター・エラルドが横から手紙らしき白い一枚を覗いたが、首を振った。
「すまないが、僕には読めないよ。確か東のほうでこんな言語を使っている国があったと思うが、専門外だ」
「読めない手紙を残すだなんて、いかにもダイゾウって感じね。彼って言ってることもやってることも全部難しくてデタラメだもの」
小さい溜息と共にリッパーは言い、コルトに煙草を出すように頼んだ。と、ドクター・アオイが手を差し出した。
「ちょいと見せてみー。お嬢ちゃん、お初やな? ウチはお医者さんのツユクサ・アオイ、やなかった、アオイ・ツユクサや。エラルド博士の助手みたいなモンで、リッパーちゃんのお友達や」
「ハロー、ミス・ツユクサ。私はマリー。マルグリット・ビュヒナー」
「ん? どっちやねん。ウチはツユクサやねんけどな、逆さまやからアオイや」
マリーが不思議そうな顔をして、リッパーとコルトを見た。
「どっちって何が? ミス・アオイ?」
「またかいな。ウチは名医やからミスはせーへんて。んで、せやから、マリーちゃんなんか、マルグリットちゃんなんか、どっちやねんて聞いてるねん。マリー・マルグリット・ビュヒナー言うんか? 長い名前やな?」
横長のシルバーフレームを掛けたロングヘアの女性、白衣のドクター・アオイが言うが、マリーは彼女が何を言っているのかサッパリだった。
「長い名前って? 私はマルグリット・ビュヒナーで、縮めてマリーって呼ばれてるの。ひょっとして、ミセス・アオイ?」
「マリーちゃんな? 最初からそう言うてーな、ややこしい。んで、ミセスって何やったっけ? エラルド博士」
「ドクター・アオイ、アナタが独身か既婚者か、マリーさんはそう尋ねているんですよ?」
「あー、そうなん? ウチは優雅な独身やで? 子供とかおらんし、当分、そんなつもりもないで?」
未だ不思議そうにドクター・アオイを見るマリーは、首をかしげながら尋ねた。
「だったら、ミス・アオイでしょう?」
「せやから、ウチはミスせーへんて。死神兄ちゃんもマリーちゃんも、何でウチをヤブ医者みたいに言うんや?」
「……アオイさん? アナタ、ひょっとして凄く遠いところから来たの? 海の向こうとか」
「おー、マリーちゃん、鋭いなー。せや、ウチはずーっと遠くの、静かな街でのんびりお医者さんやっとるねん。今はエラルド博士から手伝いしてや、言われたからここにおるけど、お家は海の向こうや」
不思議そうだった顔を今度は難しそうにして、マリーはコルトとリッパーを見た。コルトはコーヒー片手で含み笑いで、リッパーは我関せずといった風だった。
「ミス・マリー、僕はエラルド、エラルド・ワトソン。IZA社システム工学部の主任で、リッパーさんの扱っているNシステムの設計チームのサブです、よろしく。彼女、ドクター・アオイは僕が呼んだ医者ですよ。どこに住んでいるのかは聞いていないが、どうやら遠くらしい」
マリーはドクター・エラルドに、どうも、と頭を下げ、ドクター・アオイを見た。
「ミス……えっと、アオイさん? ミスって言うのはね、独身の女性に対する、こっちの方の敬称だし、発音が違うわよ? アナタはこの辺りだと、ミス・アオイなの」
各地を旅して回るジプシーのマリーは、言語にも詳しいらしかった。
「何や、発音やら、ややこしいなー。ミスしてへんのに、ミスて。都会はそんなやから苦手やねん。ミス言うんは縁起悪いから、アオイちゃんとかアオイ先生とか、そんなでどや?」
もう何が何だか解らないドクター・アオイの科白に、コルトは長椅子に沈んだ。マリーは何事かを考えているようで、リッパーは無関心だと煙草をぷかぷかさせている。
「都会って、ここ、砂漠の小さなケイジだけど? アオイさん? アナタ、訛りが酷いわよ?」
「ここな、ウチの街に比べたら、でっかい都会やで? こんな病院やら鉄砲売ってる店とかあらへんもん。訛りはしゃーない。こっちの言葉は半分くらい解るけど、喋るほうはアカンねん。まあそのうち慣れるやろうから、気にせんといて。それで、マリーちゃん。手紙言うんの、見せてーな。ウチ、外国語は幾らか解るから、読めると思うで?」
「ガイコクゴ? これが手紙。ダイゾウさんっていうシノビの人からの」
言いつつマリーは、シノビスタンプのある手紙をドクター・アオイに渡した。
「何なに? えーと……
『私は先に月に向かいます。それから火の星……火星やな、火星に向かいます。特殊な力を持った人たちを監視して、大地に、地球か、地球にその人達が降りないようにします。海兵隊は青年と旅の少女と鍛錬をしつつ、自分の意思で動いて下さい。インドラの矢は、旅の少女に渡して下さい。旅の少女は、黒い鳥と雷{いかずち}の力を持って、海兵隊の力になって下さい。
海兵隊と二つの銃と黒い鳥はとても強いです。私と雷は常に皆さんを守ります。再び会う日を楽しみにしています。上、宇宙で会いましょう。雷のシノビファイター、ダイゾウ』
……こんな感じやな?
インドラの矢言うんは、確か、地上を滅ぼす神様の武器とか、そんなやったっけ? こっちのほうの昔の宗教に出てくる奴やな。それをどうこうやから、ミサイルとか軍隊の武器とか、そーいう意味かいな。特殊な力の人は、エラルド博士が言うとった、サイキッカーとかいう連中かいな? 二つの銃と、旅の少女と、黒い鳥は、解らん。そのまんまの意味やろか? 海兵隊は、リッパーちゃんとかの軍隊の人やろ? これ書いた人、シノビさんのダイゾウはんは、月に行って火星に行ってサイキッカーを見張って、海兵さんとまた会うて、そーいう意味やな。大体解ったか?」
ドクター・アオイが病室の全員に言ったが、マリーは意味不明、コルトも似たようなもので、リッパーは何か考えている風だった。最初に口を開いたのは、コルトだった。
「青年、二つの銃ってのは、ひょっとして俺か? ミス・アオ……ドクター・アオイ、ほら、俺はダブルガン、二挺拳銃だ。リッパーもだが、海兵隊ってのはリッパーのことだろう。黒い鳥は、マリーのV8ブラックバードか。旅の少女ってのはマリーだな。ドクター・アオイ、マリーはジプシー、どう言うのか、旅ばっかしてる奴だ。インドラの矢ってのは、リッパーのバレットライフルだろ? インドラ・ファイブって名前だからな。インドラ・ファイブをマリーに渡して、ブラックバード走らせろってことか。で、俺とマリーとリッパーでつるんで、先行するダイゾウ目掛けて月だか火星に来いって、ところか?」
コルトをリッパーが次いだ
「まあ、そんな内容みたいね。ダイゾウは先に宇宙に上がって、サイキッカーに睨みを効かせる。その間にあたしは、コルトとマリーを連れて、ダイゾウに合流しろってことかしら? そこでブラックバードが出てくるのは解らないけど、インドラ・ファイブをマリーに渡せって? 元々ダイゾウのモノだからあたしは構わないけど……」
と、マリーが閃いたか思い出したか、声を挙げた。
「そう! ダイゾウさん、今朝、私にインドラ・ファイブを使えって言ってたわ! 無理だって言ったら、撃たなくてもいいから構えてろって。そうすれば、ブラックバードくらいに強くてリッパーの手助け出来るって言ってた! リッパーと一緒に行くならインドラ・ファイブを持てって! 大事な話っていうのはそのことなの。ねえ、リッパー? 私にインドラ・ファイブを貸してくれない? それで、一緒に行きたいの。無茶を言ってるのは解ってるけど――」
「別に構わないわよ?」
必死のマリーに対して、リッパーは軽く応えた。
ガンシップのパイロットと雑談をしつつ、色々と考えて自分なりに覚悟のようなものを持ってラボに来たマリーだったが、リッパーが簡単に言うので、ぽかんとした。
「……え? だって、その、リッパーはまた旅に出るんでしょう? ハイブが一杯いて、サイキッカーとかが出そうなところに。私は、ブラックバードを運転出来るけど、ライフル撃つくらいしか出来ないし……」
「まあ、ハイブと遭遇する可能性はあるでしょうし、サイキッカーもひょっとしたら出るかもしれないけど、あたしはハイブ工場を潰しに行くんじゃあなくて、宇宙に上がれる機体の残った基地、エア・ベースとかその辺りに向かうつもりよ? 敵に突撃じゃあなくて、軍の、仲間のいるところに行くの。こないだはハイブとサイキッカーに向かったけど、今回は味方のいる場所に向かうんだから、危険は少ないでしょう。途中で幾らかハイブに会う程度で済むかもしれない。危ないには違いないけど、コンボイでケイジからケイジに渡るよりは断然に安全でしょうし、一緒に行きたいのならあたしはいいわよ? ダイゾウがそうしろって言ってるんだし、彼は何か考えがあってマリーを連れていけって言ってるんでしょうよ。インドラ・ファイブを渡すのもオーケイよ? 強力だから扱いは難しいけど、マウントしてある光学スコープに搭載されたFCSがサポートしてくれるから、マグ一本も撃てばマリーでも扱えるでしょう。不安ならイザナギにサポートさせるし、そもそも撃たなくてもいいってダイゾウは言ってたんでしょう? 今朝あたしがやったみたいに、一発も撃たずで光学照準を向けるだけで、武装したガンシップ一機を無力化させるなんてのも、慣れれば出来るわよ? ハイブだって、インドラ・ファイブで狙われたら、少しは怯むだろうし。まあ、要は使い方次第よ。ライフルだからってバンバン撃てばいいって訳じゃあないし、インドラ・ファイブくらいの武器なら、色んな使い方が出来るわよ? 外で何発か撃っておけば、後はインドラ・ファイブのほうがサポートしてくれるから、多分マリーでも撃てるでしょうね」
特に声色を変えるでもなく、リッパーは説明した。聞いているマリーは頷いたりしつつ、半分呆けていた。マグカップを手にしたままのコルトが口を開いた。
「リッパー、俺はマリーにインドラ渡すのは、どうかと思うぜ? 高性能なFCSがあるっつっても、あんな大口径、訓練もせずに撃てるか? リコイルだって半端じゃあないし、マズルブラストで目がやられるかもしれん」
「それはまあ、確かにコルトの言う通りだけど、マリーは元々ライフル射撃が得意でしょう? リコイルを逃がすのはコツがいるけど、きちんと射撃姿勢で構えて、何発か撃てばどうにでもなるでしょう? さすがに、移動しながら移動目標を狙うなんてのは無理でしょうけど、そんなのはあたしくらいなもの。普通にスナイパーライフルみたいに扱えば、後は慣れよ。 マズルブラストはゴーグルかサングラスか何かを付ければいいし、マリーは千馬力のV8を足にしてるんだから、動体視力はかなりでしょう? 時速四百キロで走るマシンを操縦するほうがよっぽど難しいわよ。あんなゲテモノカーに比べたら、インドラ・ファイブなんて可愛いほうよ」
リッパーがコルトにざっくりと説明したが、マリーは今一つピンとこない。ただ、どうやら自分がインドラ・ファイブを持つことは構わない、そうリッパーが言っているとだけ理解出来た。コルトは渋い顔だったが、それ以上反論しなかった。
「ねえリッパー? もし、月を壊しちゃうくらいの武器とかがあったら、アナタ、どうする?」
マリーは、今朝、ラボの屋上でダイゾウが言っていたことを思い出して尋ねた。
「何だかアバウトな質問ね? どうするって言われても、そんな核ミサイルだか水爆だかを、個人の判断では使えないわよ? 月が壊れるって相当よ? 敵対勢力があったとして、それに対して、そんな武器を持ってますって伝えて牽制する、そんなところかしら? 実際に使うのは頭の悪い政治家とか、思想がかったテロリストとか、そういう連中くらいじゃあないかしら。まともな軍人だったら、多分使わないでしょうね。ハイブだのサイキッカーだのに向けるにしては威力がありすぎで、使ったほうだって只じゃあ済まないから、やっぱり威嚇するくらいしか使い道はないでしょうね。どう? 答えになってる?」
マリーは頷きつつ、難しい顔だった。
「力は所詮、力で、使う人次第って、どういう意味?」
「そのままの意味でしょう? 強力な武器があって、それをバカが使えば結果はバカみたいなもの。まともな奴が使えば、まともな結果が出る、そういう話よね?」
最後はコルトに向けられた言葉だった。少し唸ってからコルトが返した。
「まあそうだな。こいつ、俺の四十五口径は人一人殺せるくらいのパワーがある。アホがこいつを使ったら、そいつは只の犯罪者だが、ポリスマンが使えば、そのアホを逮捕出来るし撃ち殺すことだって出来る。ごく普通のリボルバーだが、まともで腕のある奴が使えば、アホ集団のハイブを蹴散らすくらいのことは出来るだろうし、何か企んでるサイキッカーだって始末できる。こいつをハイブが使ったらビリー・ボーイなんて蜂の巣だろうが、今は俺の腰に納まってる。俺はプロの傭兵で、犯罪者でも殺し屋でもないし、アホでもマヌケでもないつもりだよ」
「つまり、コルトっていい人ってこと?」
「いいか悪いかは知らんが、少なくともマリーの敵じゃあないぜ? テキーラ山ほど飲んでスピードなんかをかましてても、この部屋にいる誰にもトリガーを引かないさ」
「私がインドラ・ファイブを持ったら、私ってどうなのかしら?」
「どうもこうも、マリーの気分次第なんじゃねーか? ハイブを撃つのもアリだろうし、リッパーの背中狙うのも俺の頭狙うのも、マリー次第だろ? あんな化物にゃあ狙われたくないが、トリガー引くのがマリーだってんなら、そんな死に方も悪くはないかもな。ジョークだよ」
リッパーと同じく軽い調子で返すコルトに対して、マリーは未だ難しい顔だった。
「私がインドラ・ファイブ持って、暴れだしたら?」
リッパーが呆れて返す。
「マリー? アナタ、酔っ払ってるの? そんなことをされたら、インドラ・ファイブを取り上げるだけよ。何だか難しいことを考えてるみたいだけど、少しリラックスしたら?」
コルトがマグカップをマリーに渡した。マリーは煙草を吸わないので、コーヒーで落ち着けと、そういう意味だ。マリーはしばらくマグカップを眺めてから一口すすった。それを見て、リッパーが続けた。
「とりあえず、インドラ・ファイブはマリーに渡すわよ? 一緒に行くならそれでもいいし、移動にブラックバードを使うのも構わない。ドクター・エラルドとの約束でドクター・アオイとコルトが同行することになってるから、ブラックバードに乗せてあげたらいいわ。あたしは普段通り、バイクを使うから。ツーシーターで後ろは狭いでしょうけど、まあ一人くらいなら乗れるでしょう? 腕が元通りになって、支度が済んだら出るわよ? 少し急ぎたいから、準備があるなら今のうちにしておいてね。マリー? ダイゾウに何を言われたのかは知らないけど、余り難しく考えないほうがいいわ。彼は変わってるけど、間違ったことは言わない人よ? 言われたことはその言葉通りの意味で解釈すればいいし、解らないことがあったらコルトにでも聞けばいい、それだけ。出来るだけシンプルにね?」
口調を緩く、リッパーはマリーに言った。言われたマリーはまだ何かを考えている風だったが、こくこくと頷いた。
「インドラナンチャラやらナンチャラバードは何の話やよう解らんけど、マリーちゃんもリッパーちゃんと一緒なんやな? 死神兄ちゃんとウチも一緒に行けて、エラルド博士に言われたから、よろしゅうな?」
相変わらず深く座ったまま、ドクター・アオイが手を振った。
「コルトも? ミス……アオイさんも一緒? コルトは解るけど、アオイさんってお医者さんなんでしょう? リッパー、怪我でもしてるの?」
「怪我言うか、まー、看護師とかそんなモンやと思うてーな。マリーちゃん、旅するのが趣味なんかいな。ええなー。ウチも車とか運転出来たら、ぶらーっと旅したいなーて、思うてたねん」
ずっと軽い口調のドクター・アオイだったが、リッパーの体の状態は口に出さなかった。マリーがNデバイスのことなどを聞いたらかなり驚くだろうし、ドクター・エラルドよりも強く旅だのに反対し出すかもしれない。ドクター・アオイがそれを語らないのが医者なりの配慮なのか性格からなのかは解らないが、少し心配していたリッパーは安堵した。
「アオイさん、よろしくね。私のことはマリーって呼んで。私の車はね、ブラックバードっていうとっても凄い車なの。インドラ・ファイブっていうのは、あそこの壁のところに置いてある、大きなライフル。あれ、私が預かることになったの」
笑顔が戻ったマリーが改めて挨拶した。
「ああ、なるほどな。デッカイ鉄砲やからインドラの矢で、ブラックバードやから黒い鳥か。凄い車て、ええなー。早いんやろう?」
煙草を吹かしつつ、ドクター・アオイは尋ねた。
と、マリーの顔がぱっと明るくなった。スタードライヴ顔負けの、完全にマリーワールド突入開始である。
ブラックバード、スターティンググリット。カウント、ファイブ、フォー、スリー、ツー、レディ……ゴー!
「ブラックバードはね、ツインカムV8ユニットで千馬力なの!
ツインターボとスーパーチャージャーとナイトロを積んでて、メーター読みでの最高速度は時速六百キロ! 六速だけどトルクバンドを広くしてあるから、一速でもきちんと走るし、ハイパワーに耐えられるようにデフもミッションもドライブシャフトもブレーキも全部特注パーツなの。高剛性コンポジットチタンのライトウエイトモノコックフレームにハイパーカーバイドボディで、大きな鋳鉄ユニットを搭載してるけど車重は九百九十五キロ、一トン以下なの。
重量バランスはキッチリ五十対五十。アクセル感度を精密にしてて、FRだから走行中はリアに荷重を置いて、コーナーではフロントヘビーで、ちょっとリアを滑らすの。でも、基本はグリップ走行で、時速二百キロくらいで九十Rくらのコーナーなら、トルク重視でがっちり路面に張り付いてそのまま抜けられるのよ?」
時速四百キロでコーナー進入、ヒール・アンド・トゥー、減速! 六速から四速にマシンガンシフト!
「シートはフルバケットだし、使ったことは二回くらいだけど、後ろに減速用パラシュートも積んでるの。ツインターボならチャージャーなんて要らないと思うでしょうけど、低速でチャージャーを使って一気に加速して、それからツインターボを効かせるの。掘り出し物の古いV8をレストアしたんだけど燃費はまあまあで、でも、タンク容量を百リットルって大きいものにしてあるから大丈夫よ?
タイヤはすぐ減っちゃうけど柔らかいハイグリップを履かせてあって、ドライブシャフトとかの駆動系は強度と粘りのあるトライチタンの一点モノで、ブレーキパッドもブラックバード専用の特注なの。足回りは硬めにセッティングしてあって少し揺れがきついけど、ボディ剛性は元々のコンポジットチタンフレームでばっちしだから、ロールバーを組んでなくてタワーバーもナシで軽量化できたの」
コーナー出口でアクセル! 六速で加速! スーパーチャージャー、オン! シュゴー!
「旋回性能がもう少し欲しいからリアにウイングを取り付けようかどうか悩んでて、今は小さいリアスポイラーだけで、でもエアロでごてごてするのはキライだから、リアの底にカナードを付けてるだけ。エンジンルームの熱処理はセンターグリルとボンネットのダクトとフェンダーのサイドダクトで、水冷に空冷を足した感じ。
オーディオの類はないけど、シガーと、砂漠でも走れるようにキチンとエアコンは積んであって、バッテリーは電磁干渉を受けない旧式の大型MFバッテリーなの。ナビシートもフルバケットとフルハーネスで、ツーシーターで後ろは工具とライフルを積んでるから少し狭いけど、一応一人が楽に乗れるスペースは残してるわよ? 内装はシンプルなのが好きだから安いFRPで色だけ好みのダーク系をチョイスして、モバイルをマウントできるスタンド以外はインパネに全部かためてあるの」
チャージャー、オフ! ツインターボ、オン! フゴー!
「リッパーが防弾にしろってずーっと言ってるから拳銃弾対応の最低グレードっていう案もあるんだけど、車重を軽くしたいからまだやってないの。ドアと屋根だけハイパーカーバイドを重ねて装甲板にしてもいいんだけど、それだと重量バランスが狂うからどうしようかなーって悩んでるの。
もし防弾にするならフロントガラスも変えないといけないだろうし、そしたら折角一トン以下で押さえて軽量にしてるのに重くなっちゃうから、その分パワーを上乗せするためにタービンを変えるかして、ツインターボを最新のに変えちゃうっていうっていうのも案の一つなの。防弾グレードなんて上げだしたらキリがないし、個人的には防弾はナシでいきたいの。後ね、屋根には小さいけどサンルーフがあるの。こっちもライトウエイトのハイパーカーバイドで重いのはステンの枠だけよ?」
ストレート、時速三百五十キロのスーパーコブラが前方に! ゴゴゴゴゴ! 六速のままアクセル全開でナイトロ、オン! ゴワー! 一気に時速六百キロ! ヒューン!
「ガンシップのパイロットさんと話してて思いついたのがね、ボディはそのままで、私が防弾ベストを着たらいいんじゃあないかなって、どお? 意外といい案だと思わない? これなら撃たれても平気だし、ガンシップみたいにヘルメットをかぶれば頭も安全だし。フライトスーツには対Gっていうのがあるって言ってたから、それを着ればロケットスタートでも高速コーナーでも体への負担が減るかもって、あのパイロットさんって凄いわ。やっぱり本物の軍人さんであんな凄いガンシップに乗ってるだけあって、説得力があるわ。
ガンシップって操縦と武器を扱う人が別々なんだって、私、初めて聞いたの。どうして二人もパイロットがいるのかなって不思議だったんだけど、きちんと理由があるのね。ブラックバードのナビには今は灰皿以外何もないけど、ラリーカーみたいにナビがガイド役をやれる地図とかGPSとかを積んだら、私は運転に集中出来るし、いつも二人なら重量バランスも取れるからいい案でしょう?」
スーパーコブラをパス! トップガン、三十ミリチェーンガンでブラックバードをロック! トリガー! バババババ! マリー危ない! ブラックバード、左へ回避!
「電子機器は電磁干渉ですぐ故障するんじゃあないの? って聞いたら、あのガンシップは電磁波コートっていう特殊な塗料を使ってるんだって。しかもレーダー波を吸収するステルス仕様も兼ねてる、とっても高い塗料だって言ってたわ。何層も重ね塗りするから幾らか重くなるって言ってたけど、ブラックバードがステルス塗装だったら凄いかもってパイロットさんが言ってたわ。チャージャーユニットがボンネットに乗ってるから熱追尾のミサイルなんかだと意味がないって言われたけど、あのむき出しのユニットを吸気口だけ残して装甲板で覆えば大丈夫かもって。排熱がちょっと心配だけど、これなら防弾は無理でも立派なステルス仕様よね? レーダーに捕まらずに走れるんだったらとっても便利かもって言ったら、パイロットさんもそうだって言ってたわ」
スーパーコブラ、ヘルファイア発射! ズドン!
「ついでに武器とか付ければって言われたけど、あんな大きなチェーンガン付けたら重いし、それこそブラックバードにFCSっていう武器をコントロールする装置が必要になるんだって。そういうのを全部詰め込んだのがあのガンシップ、スーパーコブラだって、あれって物凄いヘリコプターよね。でもパイロットさんもV8が大好きだって言ってくれて、そういう軍隊みたいな仕様じゃあなくて、純粋にスピードカーを目指したほうがいいって。私もそう思うの。
軍隊だったらブラックバードの戦車版みたいな車両も幾らかあるって言ってたけど、プライベーターならそういうんじゃあなくって、今の方向性がいいよって言ってたから、やっぱりブラックバードは防弾とかはナシで走行性能を追求する方向で手を入れようって思ってるの。
今のブラックバードは一応あれで完成ってことにしてるけど、細かい部分はまだ幾らも調整するところはあるし、じっくり丁寧に仕上げるって言ったら、パイロットさんもそれがいいよって。でね、もし機会があったら、お互いのマシンに乗せあいっこしましょうって約束してくれたの。あんな凄いガンシップに乗れるかもって夢みたいって言ったら、ブラックバードも夢みたいだって凄く褒めてくれたの」
ブラックバード、ヘルファイアを右に回避! ズバーン! もう一発来た! トランクからコルト出現! ヘイ、マリー! 俺様に任せろ! ダブルハイパークイックドロウ! ババン! ヘルファイア爆発! ドカーン! ナイスだコルト! ヤーホー!
「コルトなんかはうるさいとかばっかししか言わないけど、やっぱり解る人には解るのよ。車なんてオーバースペックくらいに豪快なほうが気持ちいいって、私、凄く良く解る。あのスーパーコブラは戦闘用だけど、ヘリコプターにしてはオーバースペックだって言ってたわ。軍隊用ならバランスは大事でしょう? って聞いたら、ジェット戦闘機とでも戦えるって! ヘリコプターがジェット機とだって、凄いわよね? 空軍はとっても性能のいい戦闘機を持ってるらしいけど、あのスーパーコブラは陸軍のもので、あれだったら互角だってパイロットさん言ってたわ。ミサイルとかを一杯積んでて、それをコンピューターで誘導するんだって。軍隊ってやっぱり凄いのねって言ったら、プライベーターで今のブラックバードでも凄いって褒められたわ。ブラックバードは千馬力で、でもスーパーコブラは三千五百馬力だって!
そんな凄いエンジン、車用にはまずないわよ? タービンナントカエンジンを二つも積んでるんだって! あれをもしブラックバードに積んだら、時速千キロくらい出るかもって! そんな凄いスピード出したら体が潰れるって言ったら、そのために対Gスーツっていうのがあるんだって。ブラックバードとスーパーコブラで競争したら、ストレート勝負だったらブラックバードのほうが速いのよ? あんな凄いヘリコプターよりも速いんだから、今のままでも十分凄いって、パイロットさんも言ってたわ」
ブラックバード更に加速! フゴゴゴゴ! スーパーコブラ射程外! トップガン、ガッデムン! コルト、トップガンズに、あばよ! ヒーハー!
「コルトは車にあんまり興味がないからうるさいうるさいばっかりだけど、それにはそれなりの理由があるのよ。まあ、マフラーサウンドは好みで選んだものだけど、他は純粋に走りを追求した仕様だもの。ブラックバードが凄いんだって言って解ってくれるのはダイゾウさんだけだったけど、スーパーコブラなんて凄いヘリコプターのパイロットさんは解ってくれたわよ?
BBなんて車のことなんて全然知らないから、どうしてボンネットからエンジンが飛び出てるの? なんて言い出すのよ? あんなところにエンジンがある筈ないじゃないのって言っても、BBったら、解らないんだって。
ケイジにだって車は何台もあって、小さなモーターエンジンの車はあるけど、でも半分はレシプロなのに、ボンネットの中を見たことないだんて、BBはどこかで車がオーバーヒートでもしたら、そのまま立ち往生しちゃうじゃないの」
BBのマシンを前方に発見! 遅っ! ブラックバード、BBをパス! ボボボボボ! コルト、BBのマシンのボンネットにダブルトリガー! ババン! ミスター死神! 僕ですよ! 知ってるよ! ははははは!
「別に全部をブラックバードみたいにしろだなんて私は言わないわよ? でもね、車とかバイクとかヘリコプターとかに乗るんだったら、最低限のメインテナンスくらい出来なきゃあ、運転とか操縦とかしちゃ駄目よ。只でさえ砂漠でエンジントラブルが多い環境なんだから尚更よ」
前方にトレーラー! 危ない! 右にスペース発見! ズバー! リアトランクからコルトが再びファイア! ババン!
「コンボイでトレーラーとかを運転させる人には、きっちりそういうことを言い聞かせてるもの。自分の運転するマシンの簡単な手入れも出来ずにコンボイなんて危なくてやれないわよ。BBなんてずーっとケイジの狭いサーキットで、小さくて馬力のないマシンで遊んでればいいのよ。あの子、外に旅に出たら百メートルくらいで止まっちゃうわよ。コンボイもジプシーも、自分の足はきちんと自分で扱えなきゃ駄目なの。お散歩してるんじゃないんだから。ジプシーって、凄い昔は馬とかラクダで旅をしてて、その子たちの面倒、しっかり見てたって本に書いてあったもの。馬が何を食べるのか知らないで馬に乗って旅なんて出来ないわよ。そういうことをBBは全然解ってないのよ。だからスーパーチャージャーみて、それエンジンですよね? なーんて言い出すのよ? 呆れて笑っちゃったわよ」
何だ? 前方に馬の群れだー! ヒヒーン! コルトもビックリ! 何だありゃ?
「BBなんて絶対にブラックバードに乗せてあげないんだから。あの子乗せてアクセル踏んだら、きっと気絶しちゃうわよ……あれ? 何だっけ? ああ! アオイさんを、ブラックバードに乗せるって話だったかしら? 後ろは狭いからそっちにコルト乗せて、アオイさんがナビシートに座ったら楽チンかもね? コルトなんてリアトランクにでも積んでればいいわよ。そんないやらしい目でリッパー見てるコルトなんて、トランクでも贅沢よ。アオイさん、素敵な髪でスタイルもいいし美人だから、きっとコルト、いやらしいことしか考えてないわよ。そんな人はスペアタイアでも枕にしてたらいいの。ずーっとマフラーサウンド聞いてればいいのよ。スーパーコブラのパイロットさんと違って、どうせV8サウンドの良さなんて解らないでしょうから。ねえ?」
ブラックバード! 減速用パラシュート、オン! フルブレーキ! バン! ギャギャギャ! コルトがトランクから落ちた! うわー! ゴロゴロゴロ!
マリー! ゴール!
ねえ? とマリーはドクター・アオイに向けたが、軽く一分間ほど置いてから、ドクター・アオイが真顔で一言返した。
「ねえ? って……何がや?」
目を点にしたコルトのガンスピンは凍りつき、丸裸で両腕のないリッパーは吸いかけの煙草を咥えた口を半開きで固まり、オズは普段通り眠ったまま。両手をばたばたさせて延々と語っていたマリーがドクター・アオイに向けて首をかしげて辺りを見渡すと、コンソールに向かっていたドクター・エラルドが、ふむふむと頷いていた。
「ダイゾウという人物がリッパーさんの旅にミス・マリーを同行させるという提案をしたんだったね? その人がどういう人かは僕は知らないが、その提案は実に素晴らしい。ミス・マリー、ミスター・コルトがプロの傭兵で戦いのスペシャリストであるのと同様、きみは旅のスペシャリストだ。陸軍の正規兵で攻撃ヘリのパイロットである彼らが、ミス・マリーに一目置くのも当然だ。ミス・マリー、あなたのそれはもはや才能と呼んでもいい。メカのことをキチンと理解してそれを使用する。これは僕のような技術屋ならば欠かせないことで、ミス・マリーはブラックバードというメカを、車という機械のことを実に正確に、的確に理解して使用している。ミスター・コルトが拳銃や武器のことを熟知して使用しているのと同様にだ。
リッパーさん? アナタはミス・マリーから学ぶことが沢山ある。きみは確かに軍隊のことを正確に理解しているし、優秀な指揮官だ。だが、Nデバイスの使用に限って言えば、ミス・マリーのような深い洞察と判断、何よりデバイスや機械の本来の使い方、その性能、限界などを熟知していなければならない。Nデバイスには設計思想に様々な問題点が数多くあり、あくまでプロトタイプとテストタイプだ。完成していないシステムに欠陥や不具合があるのは当然で、使用するのならそういったことをきちんと理解していなければならない。ミス・マリーがブラックバードなる車両を、まだ改良の余地があると言っていた。様々な改良案もあると言う。そういうスタンスはNデバイスに限らず、機械や道具を扱う時、とても大切だ。普通の自動車だって使い方を間違えれば死人が出る。そういうことを知らずに運転するというのは、良くない。自分の足は自分で面倒を見る、ミス・マリーの言葉は簡単なようで奥が深い。技術屋ならばこの言葉は胸を打つものだ。Nデバイスは複雑で強力ではあるが、所詮は機械だ。使う者次第でどうとでもなるし、間違えれば恐ろしいことが起きる。これを理解せずに使用するなんて、絶対に駄目だ。
ミス・マリー、力は所詮、力、そう言っていたね? その通りだ。人が作り出したものは人が使う。使う者がそれを何かを理解せずに使えば、良くない結果になる。つまり、理解して使えば、機械も車も力も、良い結果を生むと、そういうことさ。会社の外でこんな素晴らしい人物に、素敵な女性に出会うだなんて想像していなかった。これほど感動したのは何年ぶりかだ。技術屋をやっていて良かったと心底感じたよ。解らない人には永遠に解らないが、解る人には解る。技術屋なんてそんな世界さ。同じような人間と会社の研究室以外で顔を合わせることなんて殆どない。ミス・マリー、アナタはそれくらい貴重な人材だ。あの大きなライフル、我が社が開発したあれをミス・マリーが使うと言っていたね? きみはそれを不安がっていたようだが、きみにならばあれは扱える。もしかしたらリッパーさんよりもミスター・コルトよりも上手に、だ。あれは兵器だが、火薬で鉄の塊を打ち出すだけの簡単な機械だ。FCSだのGPS補正だのと追加機能は沢山あるが、原点に戻ればごくごく単純な仕組みの道具さ。自動車に比べれば構造なんてシンプルなものだよ。知らない人間が使えばあれはそんな単純な道具だが、仕組みや性能を理解して正しく使えば、かなりの性能を発揮する。
当然、それなりの訓練は必要だが、それを支えるのは正しい知識とセンスだ。ミス・マリー、ブラックバードなる車両がかなりの性能で扱うことが難しいことを、きみはきちんと理解した上で運転している。インドラだって同じだよ。あれは兵器である前に、道具だ。ミス・マリーはあれを扱う時、むやみに引き金を引いたりしない。恐ろしい武器であることを理解しているからだ。だからこそ、きみはあれを扱える。僕はそう思うよ。ミスター・コルト、武器のスペシャリストであるきみから見て、僕は間違ったことを言っているかい?」
ケイジに顔を出してから一番の笑顔を作って、ドクター・エラルドはコルトを見た。
「オーライ、降参だ。マリーは単なる馬力フリークだと思っていたんだが、ドクター、アンタの言う通りだ。ヘイ、マリー。お前、何だか凄いことになってるぜ?」
ははは! と大きく笑い、コルトはマリーを見た。エンドレス風なマリーワールドを展開したマリーは、何故だかドクター・エラルドにべた褒めされ、コルトもそれに賛成といった風だった。マリーはどうしてドクターが笑顔なのか、コルトが笑うのか、どうにもピンとこない。
「コルト? 凄いって、何が?」
「マリーは、シノビのダイゾウとドクター・エラルドに選ばれたスーパーエリートってことだよ。リッパー並のな?」
「マリーって、普通の女の子って感じだったけど、アナタ、特殊工作部隊にでもいたの?」
溜息を交えつつ、リッパーが続いた。
「特殊工作? 私、只のジプシーよ?」
当然のようにマリーは応えるが、言いつつ、自分も首をかしげる。
「ドクター? マリーみたいな人を、逸材って呼ぶんでしょう? バランタインの操舵主にでも推薦しちゃおうかしら。マリーだったら連続のスタードライヴで銀河系を自在に飛び回るなんてこともしちゃいそう」
「リッパーさんの言う通りだ。ミス・マリーは人類の財産みたいな人だ。リッパーさんは偶然の出会いを繰り返してここにいるようだが、結果は、それぞれの分野に特化した、僕やドクター・アオイを含めた、ちょっとした特殊部隊だ。ダイゾウなる人物の存在を認めたくなってきたよ。サイキッカーなんていう化物を退治したというのも納得できるね」
ドクター・エラルド、コルト、リッパーが羨望のまなざしでマリーを見るが、マリーはどうして皆がそんな顔をしているか、まだ良く解っていない。首を左、右とかしげ、目をぱちくりさせ、水色のワンピースのすそをいじっている。
「あのなー、みんなの話に全然付いていけへんねんけど、旅が趣味でブラックバード言う車を運転する係がマリーちゃんで、ついでにあのデッカイ鉄砲も担当するて、そういう意味でええんかいな? ウチもその、ブラックナントカ言う車に乗って、でも、ウチ、車とか全然解らんから、横で寝ててええんかな? 何や色々難しい車で、ウチもスイッチとか押したりせなあかんの?」
ドクター・アオイが質問したが、それが誰に向けられたものなのかは定かではない。応えたのはマリーだった。
「アオイさん、私のブラックバードにスイッチなんてないの。アオイさんはナビかリアに座って、ハーネス付けてて、煙草吸ったりコーヒー飲んだりしててもいいわよ? ブラックバードは禁煙車じゃないから窓を開けててくれれば灰皿もあるし、カップホルダーもあるわよ? 少しうるさい車だけど、その分速いし、ジェットコースターみたいな感じでいいわよ?」
マリーが簡単に説明した。
「そうなん? ジェットコースターとか怖い系はウチ苦手やねんけど、まあ煙草吸っててええんやったら、ハーネス言うんの付けて、どっかで黙っとくわ。何や楽ばっかして申し訳ないなー。死神兄ちゃん? ウチも鉄砲とか持っといたほうがええんかいな? 石投げたりやったらウチでも出来るんやけど、合成人間言うんの、石でやっつけられるんか?」
ドクター・アオイの口調はずっとのんびりだった。のだが、コルトが尋常ではない反応を示した。リッパーもマリーも、ドクター・エラルドも普段通りなのに、コルトだけが、顔付きをいきなり変えた。
「ドク! アンタ! ひょっとして……ハイブを見たことがない……なんてこと、まさか、いや、どうなんだ?」
「ハイブて、合成人間のことやろ? 確か、ハイブリットヒューマンてこっちのほうでは呼ぶんやろ? それ縮めたからハイブか。ウチは小さい街のお医者さんやから、そんなん、見たことないで? ああ、ちゃうちゃう、見たことはあるねんけど、それはエラルド博士んところの研究室にあった、標本みたいな奴で、それ、もう死んどったねん。せやから、見たことはあるけど、動いとるとこは見たことない、って、そういうことや」
「……はあ?」
コルトとリッパーが同時に吐いた。マリーは、そうなんだ、といった風で特にどうということはなく、ドクター・エラルドも同じだった。リッパーが尋ねた。
「ドクター・アオイ? アナタ、地下研究施設とか、ルナ・リング勤務とか、そんななの?」
「ウチは地下とかやのうて、ずーっとお外やけど? 研究施設言うほど贅沢な設備はウチんところにはないで? 病院言うより診療所とかのほうがピンとくるんかな? いちおー、ツユクサ総合病院て名前にしとるけど、他に病院ぽいのがなくてな、歯医者さんくらいやったから総合病院やねん。
ウチな、専門は外科と心理内科やねんけど、ドリルとかノコギリとか顕微鏡とかレーザーメスくらいはウチんところにもあるから、脳腫瘍とかもやれるねん。他にやる人間がおらへんからやねんけど、医者の全部の勉強はちゃーんと真面目にやっとったから、一通りはやれる、便利なお医者さんやねん。処方箋書いて自分で薬の調合もやって、漢方薬とかも使うし、カバン持って出張の診察とかもやるで? せやから総合病院て付けたんや。ルナ・リングって、何や?」
当然といった調子で喋るドクター・アオイに対して、リッパーとコルトは唖然としていた。言葉が出ない、そんな風だったのでマリーが返した。
「アオイさん、ルナ・リングっていうのは、月にわっかがあるでしょう? あれよ。確か軍隊の基地だったわよね? 望遠鏡だったら窓みたいなものも見えるわよ? 宇宙戦艦も見えるし」
「ああ、あのお月さんのわっかな? 直訳でルナ・リングかいな。マリーちゃんの説明が一番解りやすいな。車のことはサッパリやけどな。あのわっか、軍隊の基地やったんかいな、初耳やわ。何や綺麗やなーて眺めてたけど、あそこに軍人さんがおるんかいな。あそこて宇宙やろ? 空気薄うないんかいな。マスクとか付けて住んどるんかな? まあ何でもええけど。
宇宙戦艦言うんは空に浮いとるデッカイ船やろ? ウチも見たことあるでー。テレビでも観たことあるし。都会は凄いなー。何であんな重そうなんが落っこちてこーへんのか、ウチには解らんわ。デッカイ風船とか付けてるんかいな。羽とか付いとるとか、そういう仕組みなんかな? ウチな、旅もしたいねんけど、一回くらい宇宙言うんの観てみたいなーて思うとるねん。テレビで観たけど、ごっつい綺麗なんやろ? あのデッカイ船で迎えに来てくれるとか、そういうんかいな。でも、お金とかめっちゃかかりそうやから、多分縁はないやろなー。
マリーちゃんは旅が趣味やから、そのうち宇宙とかにも行くんやろうな、ええな。ブラックナントカで飛んで行くんかいな。偉い性能の良さそうな便利な車やな。ヘリコプターより速いんやったら飛べるんやろな。羽とか付いとるとか、スイッチ押してピョーンて翼が飛び出すとか、ややこしい機械乗っけてるんかな?」
一旦そこで止めて、マグカップを握ったドクター・アオイは煙草を咥えて火をつけた。
「何や死神兄ちゃん? 怖い顔して。ウチは軍隊とか詳しうないねん。だってウチ、軍人やのうて普通のお医者さんやし。合成人間やろ? 見たことあるて。エラルド博士んところで。んでな、お医者さんとして呼ばれたんやけど、色々資料とかも読んだで? 何を合成しとるんか知らんけど、あれって誰かが作ったんやろ? そんくらいはウチでも知ってるて。お医者さんやからな。
人間みたいな格好やけど、中身がちゃうんやろ? 標本もあったし色々写真とかあったから、どんな仕組みなんかも大体は知っとるで? 肝臓とか腎臓とかないんやろ? お酒飲まれへんやん。胃とか腸とかも、何か簡単なもんになっとって、あんなんで揚げ物とか大丈夫なんかいな。んで、何でか筋肉はめっちゃ発達しとって、神経とかは普通の人よりごっつい多かったな。あんなに鍛えて何するねん? 博士んところ奴な、右手が一メートル半くらいのでっかい包丁みたいになっとったで? 偉い良う斬れそうな物騒なモンやったわ。コックさんなんかな?
ウチが解らんのはな、おつむやねん。博士んところの標本も、写真とか資料とか全部見たんやけど、あれ、脳みそないやん。何やちっこい鉄みたいなボールみたいなんが入ってて、博士に聞いたけど、あれ、コンピュータやねんてな? パソコンやったっけ? そんなんが入ってたわ」
ドクター・アオイがハイブを彼女なりに語った。簡潔なそれはリッパーやコルトには逆に解り辛いのだが、マリーにはかなり正確に伝わっていた。
「機械の脳みそついでなんやけど、都会のお医者さんは機械の腕とか作るんやろ? ほれ、リッパーちゃんが付けとるみたいな。ウチは機械苦手やから、機械の腕とかって、あんま好きやないねん、って別にリッパーちゃん嫌い言う意味やないで? 怪我して仕方なくてやろ? それは聞いたで。さっきも話とったしな。まあ、そういう事情やったらしゃーないわな。でも、都会の病院やったら新しい生身の腕作れるて聞いたで? そか、リッパーちゃんは軍人さんやからやろ? あの機械の腕に鉄砲とか入っとるとか、そういう軍人さん用の専門のやろ?
軍人さんが大変言うんは知っとるけど、あそこんところのインドラ言うんのみたいなデッカイ鉄砲とか一杯あるやろうに、わざわざ機械の腕にして鉄砲入れるんは、一杯弾撃ちたいからかいな。でも今のリッパーちゃんみたく、外したりとかできるんやったら、軍人さんの仕事が終わったら元に戻すんやろ? いや、別に機械の腕が悪いとかやないで? そっちのほうが便利なんやろうからな。でもなー、ウチ、お医者さんやから、やっぱ生身のほうが普通っぽくて好きやな。病気とか怪我やったらしゃーないけど、そういうんは特別や。
リッパーちゃん、背中んところに鉄板付けてるけど、それも鉄砲跳ね返したりとかやろ? 重そうやけど、実は軽い鉄で出来てるとかやろ? 軍人さんところの技術は凄いから、軽い鉄とか簡単に作れるやろうからな。そこは鉄砲で撃たれたとか、ちゃうちゃう。リッパーちゃん、両手が火傷やて博士が言うとったな。背中んところも火傷か。軍人さん言うても、酷い話やな。両腕を機械にして背中んところに鉄板付けるくらいの火傷て、相当やで? ウチんところでも火傷は治療出来るけど、機械の手とかないからな。そういう深刻な場合はな、一番近くてウチんとこより設備とか一杯ある大きい病院に運ぶねん。滅多にないけど、三年に一回くらいはあるねん。エグい話やから詳しうは言わんけど、みんな、ちゃーんと元気に戻ってきたわ。ウチがもうちょい機械とかに詳しかったら、リッパーちゃんの手の手術とか出来るんやけど、そういう難しいことはエラルド博士が専門やからな。エラルド博士はめっちゃ腕のいい、頭のいいお医者さんやから、任しとけば大丈夫やろ。
リッパーちゃんのおつむのことはな、軍人さんの事情とかややこしい機械やらが入るから、何も言えへんなー。エラルド博士の言うとったこともリッパーちゃんの言うとったことも、何となく解るからな。文句とかお説教とかはせんけど、リッパーちゃんの看病はやるで? てか、ウチがここにおる意味、それしかないし。外でレーザーメスとか使うんは難しいて言うたらな、コンセントがない版のレーザーメス、貰ったねん。見た目は普通なんやけど、長持ちする電池が入ってるらしいわ。使い方は教えてもらったし、試しに野菜やら肉やらを切ってみたけど、ウチんところのより性能良かったわ。これが一本あったら、まあ大概のことは出来るから、心配せんでもええで? でもな、博士も言うとったけど、あんま無茶するんは駄目やで? お医者さん連れてるからて、怪我しても大丈夫やとか思うて鉄砲の撃ち合いとかしたらあかん。ウチはあくまで、緊急事態のお医者さんやからな。もしウチの腕前を全部見せたら、リッパーちゃん、怪我するの前提で動くかもしれへん。いくら軍人さんでも、それはアカンて。
ウチは何でもやれるお医者さんやけど、リッパーちゃんも一緒やろうけど、お医者さんとか軍人さんとか、お巡りさんとかはな、暇なほうがええねん。死神兄ちゃんは傭兵やったっけ? 傭兵言うんが何するんか知らんけど、鉄砲使うんやろ? アンタも暇なほうがええ職業やわ」
変わらずののんびりで、ドクター・アオイは煙草の煙を吹いた。
ドクター・エラルドが心配している部分を補うようでもあった。無理をするなと言われたリッパーだったが、表情が硬かった。それはNデバイスがどうというものではない。コルトが凄い形相なのも、Nデバイスやリッパーの体のことではなかった。コルトがゆっくり言う。
「ヘイ、ドクター・アオイ。俺はアンタを護衛するっていう契約をドクター・エラルドとした。前金も頂いてその仕事は始まってるんだが、美味しいボロ儲けの話かと思っていたんだが……この仕事、キャンセルさせてもらう。一度受けた依頼は断らずキッチリやるのが流儀なんだが、済まないが、降ろさせてもらう」
コルトの科白に、ドクター・エラルドが驚いて声を挙げた。
「ミスター・コルト! きみが必要だ! どうしてだい? 前金が足りないのか? 依頼内容が難しいのか?」
「額は足りてるよ。むしろ多いくらいさ。仕事の内容も、まあ範囲内さ。だが、そういう気分じゃあないんだよ」
「気分? きみはプロの傭兵だろう? フィーリングだけで仕事を請けたり断ったりするのかい?」
ふう、と小さく吐き、コルトは応えた。
「ガンさばきはフィーリングでやってるが、依頼を受けたりは数字と内容をキッチリ確認してやってるよ。受けちまったんだが、内容がな、俺の流儀じゃあないんだ。護衛だの援護射撃だのは普段通りだが、問題はその対象だ。リッパーも俺と同じ事を考えてると思うんだが、ドクター・アオイは同行させるべきじゃあない。危険だからだとかそういうんじゃあない。何と言うのか、ドクター・アオイは俺のコンセントレーションを乱すんだ。この美人さんが一緒だとな、狙いが狂っちまうんだ」
左をガンスピンさせ、右は煙草でコルトは溜息を吐いた。ドクター・エラルドが続ける。
「ドクター・アオイは優秀な医者だ。軍隊のことには疎いが、リッパーさんの体の――」
「ヘイヘイ、ドクター。そうじゃあない。医者だとか床屋だとか、そういう話じゃあないんだ。人に文句垂れるのは趣味じゃあない。聞かずに他をあたってくれ」
コルトは煙草を吸い込み、長椅子に深く沈み、目を閉じた。マリーが口を開いた。
「コルト? どうしてなの? リッパーとアナタって、仲良しさんでしょう? お金を貰って仕事だったとしても、一緒に行きましょうよ。リッパーはそんなに危なくないって言ってたし、私も行くし、もしかしたらダイゾウさんも一緒かもしれない。それだったら頼もしいし、楽しい旅になるんじゃないかしら?」
水色のサンダルを振って、マリーはコルトに近寄ったが、コルトは左のガンスピンを続けて目を閉じていた。
「撃ち合いが楽しいかどうかはともかく、退屈はしないだろうよ。リッパーとも右腕さんとも、まあ話は合うしな。だがな、言っただろう? 気分じゃあないんだ。金の話じゃあない。リッパー相手だったら半額で請けてもいいくらいだ。理由は、そういう気分じゃあないって、それだけさ」
「そんなの、説明になってないわよ。私も行くなって?」
手をぱたぱた振ってマリーが返すが、コルトは長椅子に沈んだままだった。
「いいや。マリーはマリーで好きにすればいいさ。インドラ使うのもいいよ。俺なんていなくてもダイゾウがいりゃあ、まあ危険は少ないだろうし、いいじゃねーか」
コルトとマリーの会話に、ドクター・エラルドが割り込む。
「ミスター・コルト、せめて理由くらい教えてくれてもいいだろう? 何が不満なんだい? 契約金額でも依頼内容でもない。具合が悪いようにも見えないし、そのリボルバーが故障しているでもなさそうだ」
「だからよう、聞くなって。言っただろ? 人に文句言うのは好きじゃあないんだ……オーライオーライ、話すよ。説明するから、長話だろうが耳貸してくれや」
コルトは煙草を灰皿に押し付けて、左のガンスピンを続けたまま、長椅子に座り直した。
「依頼内容はドクター・アオイの警護だろ? ドクター・アオイは美人だしグラマーだ。それにどうやら腕の立つ医者らしい。リッパーの横に置くにも俺の横に置くにも構わんさ。だがな、ドクター・アオイはハイブどものことを殆ど知らない。よっぽど平和な所で暮らしてたんだろうが、ともかくハイブのことを標本やらで知ってるだけだ。右手がブレードってのはナイフエッジって、ハイブの中じゃあ厄介や野郎さ。奴らはネイキッドよりも素早いし、あのブレードで肉弾戦を仕掛けてくる。
外に兵士が二人いるだろう? 陸軍だかのあの歩兵があの四キロくらいのデカいアサルトライフル、FN-FAL・G2{エフエヌ・ファル・ジーツー}で武装してても、FALは有効射程五百メートルで、その半分、二百メートルくらいのミドルレンジでの撃ち合いを想定したライフルだ。五メートルくらいに寄られたら、あんなロングバレル、役に立たねーんだよ。白兵距離だとな、ガンよりナイフのほうが速いんだ。外の二人もコンバットナイフくらいは持ってるだろうが、サイドアームのハンドガンは持ってなかった。
陸軍歩兵なら白兵戦の訓練を受けているから、CQBとまで言わなくとも素手でも戦えるが、相手がナイフエッジなら、特殊部隊できっちり訓練受けて、実戦慣れしてなけりゃあ、構える前にあのブレードで一撃だ。只のハイブ、ネイキッドだって同じだ。
戦闘データにもあるだろうが、リッパーや俺はハンドガンで白兵やれるんだ。リッパーは海兵の特殊訓練を受けてて、実戦慣れしてるし、コンバットフォームって海兵隊独自の格闘技も使えるから、素手でネイキッドの首をひねり切るくらいは簡単さ。俺も護身用の簡単な格闘技が使えるから、まあナイフエッジ相手でもどうにかなる。
そもそも俺は相棒のこいつ、シングルアクションアーミーをゼロレンジで撃てるから、四十五口径で五発もあればナイフエッジくらいなら始末するのは簡単だ。だが、外の二人は違う。
ラボの中なんていう視界の狭い場所で屋内戦闘やれるのは歩兵じゃあなくて専門の別部隊だ。ケイジでも狭い。歩兵はもっと大きな街での市街地戦、二百オーバーくらいの距離で撃ち合うのが一番得意な連中だ。拠点制圧だの都市奪還だの、そういうのが専門だ。
それでも外の二人なら、このケイジを制圧するなんてことも出来るだろうよ。狭くて慣れないケイジと言っても、その訓練だってやってるだろうし、FALで五十メートル辺りで撃ち合うくらいのことは楽勝だろう。陸軍歩兵がアサルトライフル持って二人もいれば、ちょっとした戦力だ。ハイブに防衛線も無理じゃあないだろう。
だがな、FAL・G2が強力といっても、所詮は只のアサルトライフルだ。あいつは五十発マガジンだが、予備マグ二本と合わせても百五十発、二人で三百発、これだけだ。弾がなくなりゃああんなモン、只の鉄の塊だ。
ハイブの頭、カーネルは普通のライフル弾じゃあ抜けない。一発当てても、周りが吹っ飛ぶだけで、カーネルには傷が少しくらいだ。目だの耳だのが吹っ飛べば、ハイブは無力化出来るが、片目でも残ってたらそのまま突っ込んでくる。だから最低二発は撃ち込む必要がある。一匹潰すのに二発で、三百発なら、相手に出来るハイブは単純計算で百五十匹だが、アサルトライフルなんて弾幕張るための獲物で精密射撃を、継続してやれる奴は歩兵にゃあまずいない。そういうのは特殊訓練受けて実戦慣れしてる連中だけだ。外の二人がふんばっても、相手出来るハイブの数は、五十がいいとこだろうよ。二人っきりで五十ものハイブをやれるなら大したモンだが、相手はナイフエッジだけじゃあない。
スナイピッドって、長距離射撃専門のハイブがいやがる。しかも獲物はバレットライフル。そんなもんで二キロくらいから精密射撃してくる。あんなモンを一発食らったら、胴体に頭入るくらいのトンネルが出来ちまう。頭にもらえば木っ端微塵だ。そんな野郎がいるから、歩兵は遮蔽物で体を隠しながらアサルトライフル使わなけりゃあなんねー。そうなったら一度に相手に出来る数はずっと減る。五十くらいだったのが半分以下、二十くらいだ。歩兵一人で十匹相手にするってことさ。
それで十匹潰すにしても、長距離射撃のスナイピッドはそのまま。アサルトライフルで二キロなんて当たらんからな。だから普通、歩兵部隊には狙撃主、スナイパーが同行するが、腕のいいスナイパーでも二キロなんて距離はとてもじゃあないが無理だ。サイバネティックス前提で獲物が良ければどうにかなるが、射程二キロでカーネルを壊せるスナイパーライフルなんてないから、対戦車のバレットライフルが必要だ。
だがな、バレットライフルでロングレンジ精密射撃をやれる奴なんて、特殊部隊でも少ない。十五キロくらいのクソ重たいバレットライフルを抱えて走ってて、狙撃位置に付く前に撃たれる、なんてことはザラだ。
二キロで狙うスナイピッドが二匹もいりゃあ、最低限三十人の精鋭分隊から始めで編成された千人くらいの連隊規模の部隊は、センターマン役の先発分隊が足止めされて、部隊を展開する前にナイフエッジに寄られて刻まれる。ナイフエッジが二匹も目の前に現れたら、トリガー引くより先に頭と体がおさらばだ。ネイキッドの馬鹿力で頭を潰されるだろうしな。
つまり、スナイピッド二匹にナイフエッジ二でネイキッドが五匹もいりゃあ、千人の兵隊はロクに戦えないってことだ。千人全員で突撃するアホ隊長なんざ軍隊にゃあいない。中隊だの分隊だのに役割を分担させて展開して戦闘する。
しかしだ。部隊を展開する前に十匹くらいのハイブに先手を取られたら、千人は一時間で壊滅だ。師団だの旅団だのでも理屈は同じだし、そもそも旅団戦力なんて駐屯地にはない。あるのは五つくらいの地上拠点くらいだろう。
こんな砂漠の辺境のベースキャンプには、精々一分隊がいいところさ。
でだ。同じ数でも負けるのに、ハイブは物量戦を仕掛けてくる。
俺とリッパー、マリーとダイゾウの四人に、ハイブは百匹で現れやがった。四対百で、二キロなんて遠距離でバレットライフル持ったハイブが二十もいた。ナイフエッジでもうっとおしいのに、四十五口径を弾く鎧みてーなハイブ、リッパーはアーマードとかって呼んでたが、そんなモンが先方で、クソ生意気にナイフエッジを後方に配置して軍人気取りで部隊展開しやがる。
自慢したいんじゃあないが、あれを始末出来たのは、リッパーと俺とダイゾウにマリーだったからだ。
ゼロレンジからオーバーロングレンジまでカヴァーする能力がなきゃあ、そもそも戦いにすらならん。リッパーがオールレンジをこなして、俺はゼロからミドルレンジ辺り、マリーがロングレンジでダイゾウはディフェンス。
コンボイで一度ナイフエッジ二匹とやりあって、ここのゲートの前で七匹くらいとやりあってて、ダイゾウのディフェンスが完璧だったから、サイコハイブなんて野郎が出てきてもどうにかやれたんだ。
あの時に外に立ってる陸軍歩兵が四人だったら、百匹のハイブなんぞ相手に出来ねーんだよ。
バレットライフルに人間レベルの防弾なんぞ役に立たんし、戦車じゃああるまいし、そんなモンつけてたら動けねーしな。オーバーロングレンジのバレットライフルで始末されるか、アーマードの怪力で潰されるか、ナイフエッジに刻まれるか、ネイキッドに吹っ飛ばされるかで、距離二百辺りで威力のある、小回りの効かないアサルトライフルのFALなんぞ役に立たんさ。ここまではいいかい?」
灰になった煙草を灰皿に落とし、マグカップをあおってからコルトが言った。ドクター・エラルドとマリーが頷いて、リッパーは無言。ドクター・アオイは難しい顔だった。
「そういう戦闘とかの話を頭に置いといて、ハイブだ。奴らがうっとおしいのは、怪力だからでも素早いからでもない。奴らは痛がらないんだよ。
胸に一発食らっても涼しい顔で向かってくる。しかも美男美女だ。泣いたり笑ったりもせずで真っ白な連中が向かってきて、一発二発食らってもそのまま突進してくる。兵士にしてみりゃあ、薄気味の悪い連中だ。まだ怒鳴りながら向かってくるほうが楽だが、ハイブどもは声も出さずに走ってくる。威嚇射撃も牽制も通じないし、こっちの話なんぞ聞きもしない。敵に回して一番厄介なタイプだ。
腕一本なくなって、傷口から真っ赤な血を噴水みてーに吹き出しながら、無表情で向かってくる野郎なんぞ、恐ろしくて相手に出来るかよ。訓練された兵だってブルって逃げ出すさ。
そういう状況下でクソハイブどもと最前線張ってる兵士の頭なんぞ、ブッ壊れても不思議じゃあないが、それでも軍人はハイブどもと撃ち合ってる。少ない戦力で百倍くらいの規模の敵とだ。
ドクター・アオイ。アンタを責めるつもりはないが、そうやって必死に戦って死んでいく兵士のことを、アンタは知らないようだ。
俺は只の傭兵だ。道徳だの倫理なんぞを語る立場じゃあないが、アンタの知らないところで戦争はずっと、十五年以上も続いてるんだよ。医者ならそいつがどんなに悲惨かくらい、解るだろう?
確かにアンタは無関係だ。医者といっても民間人だからな。地上の情報網は殆ど寸断されてるから戦況なんぞ知らんでも不思議でもない。アンタの住んでたところが戦争と無縁だった、ってのも構わん。
しかしだ。地上は戦争と無縁どころか、どこもかしこも戦いの最中で、山ほど死人が出てる。軍人も民間人もだ。死体をカウントしろとは言わんが、全く自分と無関係みたいに言うのは、そりゃああんまりだろう? 神に祈れだの墓地に行けだのとも言わんが、少しくらい恐ろしい目に会って死んでいった奴らのことを思ってやる、くらいのこと、してやってもいいだろう?
マリーだって旅で仲間を山ほど失ったし、俺だってそうさ。
リッパーなんぞ、千倍も万倍も仲間を殺されてるし、残った仲間は劣勢でまだ戦ってる。ガンを持てだのメディックをやれだのじゃあない。知らないと無関係をイコールで結ぶような中途半端な状況じゃあない。軍隊のことを知らないと言ったって、軍人だって只の人間さ。撃たれりゃあ血も出るし、痛がる。
そんな目にずっと晒されてる野郎どものことを思ってやる、くらいのことは難しい話でもないだろう?
俺が乗り気になれないのはな、アンタがそういうことを一切無視してるように見えるからだ。
守れと言われりゃあ守るが、体張ってるこっちを只の盾くらいにしか見てないんだったら、アンタが美人で腕の立つ人でも、ゴメンだ。まだビリー・ボーイの護衛やってるほうがマシだ。あいつはガキだが、ハイブの怖さを知ってる。機銃なんぞでどうこうなる相手でないこともガキなりに解ってるし、仲間が死ねば泣き出すさ。
マリーだってリッパーだって同じだ。ドクター・エラルドだってきっと同じだろうよ。なのに、アンタだけは何故だか違う。ハイブを見たことがないにしても、他でドンパチやってるくらいは知ってるだろうに。
依頼云々を抜きで、一緒に行くならその辺りを説明してくれ。でなけりゃあ、一発も撃てんぜ?」
マリーはコルトと長く旅をしていたが、これほど真面目な顔のコルトを見るのは初めてだった。
コルトは戦闘中だろうが移動中だろうが常に半笑いで、ハイブが出ても少し険しい表情をするくらいで、飄々{ひょうひょう}としていた。リッパーやダイゾウと一緒に、サイキッカーやサイコハイブと戦ったときも、ジョークを吐きながらリボルバーを撃っていたし、サイコハイブに一騎打ちの決闘を申し出て撃ち合ったときも、表情はずっと砕けたものだった。
そんなコルトが強い目付きで、声色を落として語る姿は、マリーには別人にさえ見える。そして、コルトが言ったことはマリーをかなり動揺させた。
コルトの言う通り、確かにマリーはコンボイの移動中に何度もバンデットに襲撃され、ハイブにも襲撃され、相当数の仲間を失った。マリーは感情を隠せないタイプだったが、それでもコンボイのリーダーとして冷静を保ち、死者を丁重に葬ってから、それを記憶の片隅に移して生き残った仲間を優先して旅を続けた。仲間一人の死にショットグラス一杯のリキュールでレクイエムを捧げ、そこで死者の顔や名前、喋った内容などを埋葬した場所に置いて、ケイジまで仲間を連れて行った。
それを丸一日かけてマリーはやったが、コルトは同じようなことを一分でやっていた、マリーにはそう見えていた。
二挺のシングルアクションアーミーを自在に操るコルトは常に最前線に立ち、しかしハイブを相手にしても一歩も引かず、笑みさえ浮かべてトリガーを引いていた。マリーから見ればそれは危険で無茶な行為だったが、相手が武装したバンデットであってもハイブ・ナイフエッジであってもずっと先頭に立ち続けた。
マリーが漠然と、殆ど無意識にコルトを頼っていたのは、そうした行為の結果からで、シノビファイターであるダイゾウ、今はケイジを去った彼がコルトを認めていた風なのも、コルトのそういう姿を見たからだったと、マリーは考えていた。
軍人がハイブと行う戦闘作戦は、コンボイ防衛戦とは全く違う。それが過酷で悲惨なものなのだろうとマリーは想像していたが、正直なところ、実態を想像は出来なかった。マリーよりも強力な武器を持ち、マリーよりも多くのハイブと戦い、マリーよりも多くの仲間を失いながら戦いを続けている、コルトはそう言った。元が一人旅のジプシーであるマリーはコルトの語る光景を想像するが、その、死体の山は、想像であっても強烈だった。
コルトは連隊を千人の兵隊、そう言った。マリーは千人の兵隊がドアの外に立つ兵士の持つアサルトライフルを撃ちながら、その何倍ものハイブが押し寄せる様子を頭に浮かべたが、数が多すぎてディテールが見えない。想像の中の戦闘が終了すると、千体の死体が並んだが、こちらも数が多すぎて俯瞰、顔などは見えない。
そこで自分が涙を流している意味が、マリーにはよく解らなかった。
頭が真っ白になって、コンボイで犠牲になった何人かの顔が浮かんだ。名前も出てきた。それは子供だったり老人だったり、マリーと同年代だったりした。浮かんだ顔が笑顔になると、マリーの涙が倍になった。
膝から力が抜けて、水色のワンピース姿のマリーの腰は病室に崩れ落ちた。視線はコルトに向いたままだったが、コルトは普段の笑顔ではなかった。コルトの視線はずっと、ドクター・アオイに向いている。普段より幾らか鋭いその視線は、ドクター・アオイの視線と繋がっていた。ドクター・アオイの表情は顔を合わせてからずっと同じだった。尖った印象を与えるリッパーを少し大人にした、そんなドクター・アオイの顔付きは口調とは裏腹に魅力的だった。
本の中に出てくる魔女を若くした、そんな雰囲気がドクター・アオイにはあった。黒いローブではなく白衣を着て、横長のシルバーフレームの眼鏡を鼻筋に乗せ、その奥に髪と同じく紺色の瞳があった。それはとても深く、宝石のようにも見えたが、感情のようなものは写っていない。リッパーに似た尖った目付きに存在感はあるが、少し端の下がったそこには、感情だの意思だのは見えない。
咥えた煙草を細い指に移し、ゆっくりと紫煙を吐きつつ、ドクター・アオイは立った。
身長は長身のコルトと同じくらいだった。マリーよりもずっと高い。白衣の下はシルク風の艶のある白いボタンシャツで、上から四つまでが外されていて胸元が見えた。眼鏡と同じ色で小さな十字を象ったシンプルなネックレスがあった。シャツの下は黒の、短いマイクロスカートで、そこから伸びる足は細い。二歩ほど歩いてマリーに寄って来たので足元が黒いピンヒールだと解った。
下から見上げる格好のマリーの隣に立ち、無言のまま、コルトに一歩近寄った。長椅子に深く座ったコルトと視線を合わせたまま、お互いが無言だった。
オズの眠る病室は静かで、空調の音と、ドクター・エラルドがコンソールを操作する音だけが静かに続いた。
病室の壁際に、リッパーのブーツやマントが無造作に置かれていた。バックパックやウエストポーチもあった。ピストルグリップショットガンが二本と、レッグホルスターが二組。中はリッパーがサイドアームとして使用しているシルバーの六連発、ダブルアクション三五七リボルバー。
そして今朝、ステルスガンシップを発砲せずに無力化させた、一メートル半で重量二十キロのカスタムバレットライフル、インドラ・ファイブが床にあった。十発のマガジンは外されており、セレクターはセフティで、チェンバーにも弾丸は入っていない。