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幸せのある場所  作者:
18/30

18.名もなき絆

「ただいま」


 一人暮らしだった私にとって今まで使わなかった言葉。


 けど今は……


「おかえり」


 そう言ってくれる人がいる。


 彼氏じゃない。


 名前も知らない。


 そんな私と彼の奇妙な仲。




-名もなき絆-




 部屋に入ってすぐタバコの匂いが私を襲う。

 彼と暮らし始めて、すっかり慣れてしまったタバコのにおい。

 だけど……


「ねぇ、タバコいい加減に吸うのやめない?」


「俺の勝手だろ」


 以前より大分、普通に話してくれるようになった彼。

 まだ名前すら知らないのだけれど……

 気になりつつも切り出せないでいた。

 彼は自分のことになるといつも誤魔化す。

 だから自然と彼のことを聞かなくなっていった。


「それより、ほれよ」


「わっ、とっと……なにこれ?」


 彼が投げてきたのは茶封筒。

 中を見るとお金が数枚入っていた。

 全部、一万円札だ。


「少ないけどな、部屋代だ」


 数えてみると九枚あった。


「どうしたの、これ?」


「知りたいか?」


「……教えてくれるの?」


「俺だってずっと家にいるわけじゃないだろ」


 彼の言うとおり、彼は決まった時間帯ではないけれどどこかに行く。

 それが朝、早朝の時もあれば、夜、夜中の時もある。

 いつも勝手に出かけては勝手に戻ってくる。


「つまり働いているの?」


「さぁな」


 またはぐらかされた。

 私はため息をついてとりあえず茶封筒はもらっておくことにした。

 使う気はなかった。

 でも返したところで彼もまた受け取らないだろうと思った。

 だからひとまず預かっておくという形を私の中で取った。


「それよりタバコ。いい加減止めない?」


 そして話を本題へ……というか最初の話題へと戻した。


「だから俺の勝手だろ」


 ふぅっと空を見上げてタバコを吸う彼。

 前よりは表情が崩れてきた彼だが、空を見るときだけ違う。

 いや、瞳は前と変わらない。

 くすんで、哀しく、冷たい瞳のままだ。

 だけど空を見上げるときだけとても切なそうな顔をしている。


「私、あなたとタバコのせいで迷惑してるんですけど」


「ふ~ん」


 彼は興味なさそうにタバコを吸う行為を止めようとはしなかった。


「私、タバコ吸わないのに、タバコのにおいってやっぱついてるみたい」


「で?」


「同僚や友人に不審に思われてるのよ」


「なるほど。ストレスでタバコを始めたか、彼氏辺りに浮気でも心配されてるわけだ」


「……えぇ、その通りよ」


 彼は妙に鋭いところがある。

 私が一言言うとそれ以上のことを理解し言ってくる。

 ほんと素性を知りたいところだわ。

 ……素性を知らない男を住ませてる私も問題あると思うだけど……


「ま、それはいいんだけど、やっぱり健康のこと考えると吸わない方がいいわ」


「いい解決方法教えてやろうか?」


「え?」


「俺を追い出せばいいだろ。万事解決だな」


「あなたがタバコやめればいいだけでしょ?」


「お前が俺を追い出せばいいだけの話だ」


 このまま言い合ってても仕方がない。

 私はいかにタバコが体に悪影響かを語った。

 そうしたら彼が……


「だから吸ってるんだよ」


 彼の言葉に私は呆然とした。


「え、じゃあ……ストレス解消とかで吸ってるんじゃないの?」


「それもなくはない。が、許せないんだよ」


 彼は今、吸っていたタバコを携帯灰皿に消し入れた。

 そしてポケットから新しいタバコとライターを取り出した。


「許せない?」


 彼はライターで火をつけ、タバコをふかす。


「俺だけ空気を吸ってることが……さ」


 言っている意味が分からなかった。

 空気を吸ってることが許せない?

 人間、生きていれば普通のことだ。

 じゃあ彼は……?


「あなた、死にたいの?」


 思ったことを口にしてしまった。

 慌てて口を抑えるも、時すでに遅し。

 彼は苦笑していた。


「ストレートだな」


「ご、ゴメンなさい」


「いいさ。間違っちゃいないし」


「え?」


「生きる目的は一応ある。が、死ねるならそれもまたいい」


 また彼は切なそうな眼をして空を見上げる。


「どうして、そんな顔をするの?」


「ん?」


「あなた、空を見るとき、とても辛く、切なく、哀しそうよ」


「……あの空の向こうに、あいつがいると思うと、な」


 空の向こうに……?

 そういう言い方をするってことは……


「そんな顔するな。同情なんかされたくもない」


「そんなこと言ったって……」


 私はこれ以上、彼の哀しそうな顔を見ていられず、タバコを叩き落とした。

 これには彼も驚いて、目を丸くした。

 しかしその落ちたタバコを携帯灰皿に入れると、また懐からタバコを取り出した。

 当然、それも無理やり奪い取ってゴミ箱に捨てた。


「もう止めて! これ以上、あなたのそんな顔見たくない!」


「おかしなやつだ。顔を見たくないなら追い出せばいい」


「……出来ない……そんなこと……」


「とことんおかしなやつだな。どうして俺なんかをかばう?」


「分からない……だけど……」


 どうして自分がここまで彼のことを心配しているのか自分でも分からなかった。

 だけど、彼が切ない顔をしていると辛い気持ちになる。


「……放っておけない……か。本当におかしなやつだな、お前は」


 彼の眼は笑っていた……というより苦笑に近いかもしれない。

 だけど表情が崩れていた。

 初めて見る、彼の優しい眼差し……


「ま、拾われて出ていかない俺も俺か……」


「拾われてって……猫や犬じゃないんだから」


「心境は一緒だろ。雨の中、濡れ傷ついていた俺を拾ったんだ」


「そんなこと……」


 ない、とハッキリ言えなかった。

 私の潜在意識の中で、必ずしもそうじゃなかったとは否定できなかった。

 そして今もそうだ。

 彼をなぜ追い出さないのか……住まわせている理由をはっきり説明できない。

 だけど……


「あの日、私も傷ついていた。だからあなたを放ってはおけなかった」


「傷ついた同士、同情でもしたか?」


「……そうなのかも……」


 同情って言葉は好きじゃない。

 けど、今の私の心境を表すにはピッタシの言葉だった。

 それから少し無言の状態が続いた。

 その静寂を破ったのは彼の方だった。


「……なぁ?」


「なに?」


「彼氏いるんだろ? 仲はいいのか?」


「うん……彼氏って間柄じゃないけど……」


「歯切れ悪いな」


「最近、ちゃんと会ってないし……彼は忙しい人だから」


「ワガママ言ってでも会えばいい。男は忙しくても好きなやつに誘われれば嬉しいもんだ」


「経験談?」


 私はクスリと笑いながら返した。


「……さぁな」


 彼はおどけて誤魔化した。


「私も一ついい?」


「ん?」


「名前、教えて」


「……永一」


 少し躊躇いながらも教えてくれた。


「永一……ね」


「俺の名前、二人きりの時以外は言わないでくれ」


「え?」


「俺は世間では消えた人間だ」


「どういう意味?」


「……とにかく、頼む」


「理由……教えて?」


「……俺はあるやつらに復讐するために動いてる」


「復讐?」


「……愛する人を殺されたんだ」


 私は言葉を失った。

 でも彼の真剣な瞳が、そして口調が嘘じゃないと言っていた。


「やつらに俺の存在が気づかれたら終わりだ。だから……」


「……分かったわ。約束する」


 彼はいつも空を見ていた理由……

 ずっと愛していた彼女を想っていたんだと今、理解した。


「私からも一ついい?」


「ん?」


「タバコ、やめて」


「嫌だ」


「……あなたのお願いは聞いてるんだけど?」


「……本数減らす」


「クスッ、分かったわ。それでいい。徐々に減らしていってね」


「……さぁな」


 彼は懐に手を伸ばすとさっき取り上げて捨てたはずのタバコを取り出した。


「あなた何個持ってるのよ……?」


「企業秘密だ」


「減らすんじゃなかったの?」


「まだ吸ってないだろ」


「私が帰ってきてから吸ってたじゃない」


「一日一箱。これからカウントしよう」


 私ははぁっとため息をついた。

 彼……永一はフッと笑うとタバコに火をつけた。


「近くにいると匂いつくぞ」


「どこにいてもつきます! まったく……」


「それもそうか」


 くっくっくっと含み笑いをする永一。

 今までとは違う雰囲気。

 本来、永一はもっと明るく笑う人なんだろうと私は思った。

 愛する人のための復讐か……

 復讐心、そして愛する人を失った傷がクールな彼を作っているのだろう……

 私はその傷を癒してあげたい。

 そんな風に思っていた。

 男として好きなわけでも友達として心配なわけでもない。

 だけどそんな名もなき絆で私と永一は結ばれたのだった。


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