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遊び(3)

どうして彼女がこの界隈にいるんだろうか?

なぜここで鉢合わせする?

 僕は歩みを止めてしまった。

「ここら辺で俺らに声掛けといてそれはないっしょ。俺らとも遊ぼうぜ」

「い、嫌……。私はそういうことはしません」

「気が向いたら俺らだって金払ってやるよ」

 彼女は拒否しているものの男逹は聞く耳を持たない。

「お、お金とかそういう問題じゃなくて、私はそ、そういうことはしません。できません」

 真剣に彼女は相手に理解してもらおうとしているが、そんなことで男逹は絡むのをやめたりはしないだろう。

「アハッ、面倒なのに絡まれている子がいるね~。かわいそうだけどそのうち路地裏か車、良くてその辺のホテルでヤられちゃうかもね~」

 立ち止まった僕が見つめる先に目を遣って、千夏はそう言った。シビアな言い様だが、僕も同じ考えではあった。

「どうしたの~? あ、もしかしてあの子、キミの知り合いか何かだったりした~?」

「どうしてそう思うんだい?」

「え~。だってキミ、女の子が暴漢に絡まれていたって普通なら平然とスルーしそうだし~。わざわざ立ち止まったってことは少なからずあの子に関心があるってことじゃ~ん」

 千夏はニヤニヤ僕を見つめ、答えた。

「……」

 おちゃらけていながらこの女は鋭い。

 二人の男に絡まれたままの彼女。

 僕としては正直、面倒事はお断りだし、別に正義感に溢れているわけでもないから、無視したいところだ。普段だったら千夏の言葉通り、さっさと素通りしてしまうだろう。今も、たとえ知り合いが絡まれていたとしても、ずっと立ち止まったりせずにさっさと歩き、去ってしまえばいいはず。

 彼女は迫ってくる男達の相手をするのに手一杯で、僕が見ていることにはたぶん気づいていない。だからスルーしたってなぜ助けてくれなかったと恨まれる心配もない。

 僕には何ら困ることなどないのだ。

「なんでそんなに拒否すんの。本当はそうやって誘っているんだろう?」

「さ、誘ってなんかいません。わ、私は本当に道を聞きたかっただけなんです」

 まっすぐ相手を見つめ、言い掛かりにきちんと弁明しようとする彼女。

 話が通じないだろうに実に真面目なことだ。

 彼女はいつだって精一杯様々なことから目を逸らさずに、向き合っている。何があってもわかり合えるはずだと希望的観測を持って、ひたむきに。

 今だって肩を震わせきっと怖いだろうに胸を張って、発言する時はきちんと相手を見据えている。

 ここでひどい目に遭ってしまえば、彼女も考えを改めるかもしれない。人によっては必ずしもわかり合えるはずがないんだと、自分がどんなに熱心に頑張ったとしても無駄なんだと思い知らされるだろう。クズみたいな輩がいることだって理解できるに違いない。

 どこか楽観的な思考を捨てて、人と向き合おう無駄なくらい奮闘するのもやめるだろう。

 けれど……。

 どんな相手でもまっすぐと澄んだ瞳で見据える彼女。

 そんな彼女の目が濁り、その輝きが失われてしまうのはなんだか嫌だと僕は思った。

 傷つきボロボロになった彼女の姿なんて、きっと僕は見たくない。

「ま、道も覚えてたら教えてやるから、とりあえず俺らと一緒に遊ぼうぜ」

「い、嫌」

 嫌がる彼女に構わず男二人は距離を縮め出した。

 そろそろ本当に危ない頃合いだ。

 彼女を助けるべきか否か。

 相手は男二人。

 一人ぐらいならなんとかなりそうだが、僕は別にケンカ慣れしているわけじゃない。

 正直向こうの方が場数を踏んでいそうだし、一対二。圧倒的に僕の方が不利だ。

 こんな確実性の見込めないことをするのは避けるべきだ。

「嫌、やめて」

 路地の方へ後ずさる彼女の腕を男の一人が掴んだ。

 僕は駆け出した。

「ねえ君達、僕の彼女に何をしているんだい?」

 彼女の腕を掴む男の手を叩いて離させながらながら、僕は間に割って入り、二人の男と向き合った。

 実際僕と彼女は恋愛関係でも何でもないけれど、お手つきだと思わせた方が、相手も萎えるだろう。

 相手の勢いを少しでも削ぐためにはこう言うのが一番効果的だった。

「はぁ、彼女!? なんだお前、この女の彼氏か?」

「そうだよ。僕が目を離していた隙に君達は彼女に何をしようとしていたんだい?」

 僕は堂々と嘘をついた。変に躊躇ったりしたら怪しまれるだけだ。さも当然であるかのように悠然と振る舞えばいい。

「何って声掛けてきたのはそっちの方じゃねーかよ」

 僕に最初に反応した男じゃない方が口出ししてきた。

 僕は振り返る。そして今日初めてまともに彼女の顔を見た。

 彼女は目を白黒させ、戸惑った表情で僕を見上げていた。

「本当かい?」

 僕は男が言っていることは確かなのかという意味合いを込めて、彼女に訊いた。

「えっ、あ、うん。あの人が言っていることは本当よ。私は道がわからなくて教えてもらおうと思ったの。でも上手く伝わらなかったみたいで……」

「つまり君は迷子になっていたからこの人達に道を訊こうとして声を掛けた、と」

 僕は彼女の言葉を遮りまとめた。彼女に最後まで話させると長くなるだろうし、僕の嘘に対する疑問を発しかねない。

「君達は道を教えるなりするべきなのに、どうして彼女の嫌がることをしようとしていたんだい?」

 僕は男達に視線を戻した。

「それは……」

 言葉に詰まる男。道を訊かれたのにかこつけて、純粋そうで押しの弱そうな彼女に絡み、襲おうとしていたことに、もっともらしい理由などありはしないのだから答えられはしない。もう一人の方も何も言えないでいた。

 しかし男二人の目付きは剣呑なものに変わっていく。怒り、悔しさ憎しみを込めた目で僕を睨み付けてくる。

 ここからが正念場だ。

「てめえ……」

 男の一人、彼女の腕を掴んでいた方が声を上げた。ギラギラした瞳の標的は今や彼女ではなく僕。

 誰かが割って入った時点で、彼等のしようとしていたこと失敗することは確定していた。

 彼女を助けようとした人間を振り切ってまで無理矢理襲おうとすれば、警察に通報されてしまう。恋人を名乗る人間が現れたとなれば尚更厄介なことになると思うはずだ。事を大きくすることは彼等だって望みはしないだろうし、そこまでする価値のある事でもない。

 ハイリスク、ノーリターン。

 彼等も彼女を襲うことはもう諦めているはずだ。けれどそれでは彼等の腹の虫は治まらない。

 目的を邪魔した彼氏を名乗る男――僕に怒りの矛先を向け、憂さ晴らししようとするのが自然な流れだ。つまり彼等は僕を殴り痛めつけようとしてくるだろう。

「まあ答えられなくても良いよ。僕が来たからもう彼女は君達に道を教えてもらう必要もなくなったんだし」

 僕はそう言いながらさりげなく彼女の右手を左手で握った。彼女を連れてスムーズに男達の前から立ち去るための準備だ。

 一度ビクリと震えたが、彼女は僕の手を握り返してきた。怖がられているのかもしれないが、別に下心からではないのだから我慢してもらうしかない。

「じゃあ僕らはこれで」

 僕は睨み付ける男達にそう告げ、彼女を連れて歩き出そうとする。

 これでこの場を離れられれば一番良い。しかしそうは問屋が卸さなかった。

「待てよ、てめえ」

 男の片方が言葉と共に拳を僕の顔面目掛けて突き出してきた。

「ッ」

 僕はその拳を右手で受け止めた。

 僕に向けて押し出され続ける拳。僕は右手でそれを受け止め続ける。

「ねえ、僕は別に受けたって良いけれど、ケンカして騒ぎを大きくするのは君達には好ましくないことなんじゃないのかい?」

 僕はそのままの状態で男達に凄んでやった。本当のところ、ケンカになんかなったりしたら僕の方が困るのだが、そんなことはおくびにも出さない。

 余裕綽々と彼等の不安を煽るように口角を吊り上げてみせる。

「くっ……」

 男は苦々しく顔を歪めると手を引っ込めた。どうやら僕のハッタリは通用したようだ。

 もう一人も手を出してきたりしたら危なかったが、こうなれば事態を切り抜けられるかもしれない。

「僕も事を大きくするのはあまり好きじゃないんだよね。お互いのためにもさ、無駄な争いはやめておかない?」

 僕は淡々と、むしろ上から目線で威圧的に言い放った。

「……」

 男達は怯んだのか何も言葉を返してこない。さっき僕が拳を軽々と受け止めたこと、今も泰然とした態度をとり続けていることから、これ以上絡むべきか迷いが生じたのかもしれない。

「じゃあ僕らは今度こそ失礼させてもらうよ」

 僕は男二人を睨み付けた後、彼女の手を引いて早足で歩き始めた。

 男達が気を変えないうちに、本当はもっと早く、いっそ走り去ってやりたかったが、逃げ腰だったことを悟られたくはなかったし、彼女に余裕のないカッコ悪いところを見せる訳にもいかなかった。

 あくまでも悠々と、自然に見える程度のスピードで歩かなければならない。

 取り合えず男達の目が確実に届かない所まで離れる。再度絡まれるような僕が対応仕切れなくなる可能性は潰す。

 ホテルを左に曲がり男達から完全に姿の見えない位置まで来た。

 僕は千夏と歩いてきた道を彼女と戻っていく。

 取り合えず駅を目指す。

 彼女がどこに向かってて迷子になっていたにしろ、様々な場所は駅を基準にして行くだろうから、妥当だと思った。

 千夏を放置したことは元より目的も放棄。

 さっき男の一人の拳を受け止めた時に少ししくじったのか、右手の小指がじんじんと痛み出してきていた。

 僕は一体何をやっているんだろうか?

 誰かを助けるなんて、しかも不安要素がかなりあった賭けみたいな行動に出るなんて。僕には何の利益もないことなのに。

「君はどうしてここに来たんだい?」

 ある程度歩いたところで僕は立ち止まり、彼女の手を離し尋ねた。

「えっと、道に迷っちゃって、気づいたらこの辺りに来ていたの」

「それは知っているけど……。どうして君は迷子になっていたんだい?」

 彼女と男達の会話からそれぐらいはわかっている。僕が気になるのはなぜ彼女がこの界隈をうろついているかだ。

 雨の日に駅で鉢合わせしやすいことから、彼女は僕の近所に住んでいるはず。だからこのホテル街まで来るには、電車を何駅も乗り継いで来なければならない。

「私、一人で買い物に来たの。それでまだ市内の地理とかよくわかっていないから、その……。どんな場所があるのか知っておきたくて……。えっと、探険していたの」

 彼女は言い淀みどんどん語尾を小さくしながら顔を伏せた。

「探険?」

 僕は彼女が最後に小さく言った単語を訊き返した。

「そ、そうよ。子供っぽいのかもしれないけれど、私は行ったことのない場所をブラブラ歩くのが好きだから……。どんな所があるのかな? って思いながらよく歩き回ったりするの」

 答える彼女は一度しっかりと視線を上げたものの、また恥ずかしそうに俯いていった。

「ふーん」

 ユニークだとは思ったものの、僕は別に子供っぽいだとかなんとかは気にならなかったから、頷くだけだった。

 何をするのが好きでもそれは彼女の勝手だ。

「ありがとう。さっきはその、助けてくれて。ごめんなさい。私、あなたにはもう迷惑掛けないって言っていたのに」

 彼女は再度僕を見上げ礼を告げると謝った。

“あなたにはもう迷惑掛けない"

 そういえば東階段の時のことについて礼を言われ色々話した後、最後に彼女は確かにそんなことを言っていた。

 そして

“歩み寄りたいって私が思っても相手にはうっとうしくて迷惑なだけで、無駄に気を使わせるだけって場合もあるもの。私、それにやっと気づいたから。今まで色々とごめんなさい”

と続けてどことなく悲しげな表情を浮かべて「さようなら」とその時彼女は告げて、僕の前から去っていったのだった。

 それから今日まで僕と彼女が関わる機会はなかった。


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