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第1話 別れの手紙

新学期の教室は、朝の光でやけに明るく見えた。

黒川は少しだけ息を整えてから、扉を引いた。


三年生になったからといって特別なことが起きるわけでもないのに、胸の奥がそわそわして落ち着かない。

自分でも理由が分からないその感覚が、余計に落ち着かなさを増していた。

こういうときに限って、妙に周りの視線が気になるのだから不思議だ。

自分が、誰かに注目されることのない人間だと分かっているのに。




***




教室は、クラス替えのざわめきが、まだ落ち着ききっていない。


「おはよー」


「今年も同じクラスかよ」


そんな声が、飛び交っている。

みんな、クラスでのポジション確保で必死だ。

でも、黒川はその輪に入るタイプではない。

自然と自分の席へ向かう。

特別な期待も不安もない。

いつも通りの、毎日の始まりだと思っていた。


彼は習慣のように、何気なく机の奥へと手を差し入れた。

指先に、カサリとした無機質な紙の感触が伝わる。


忘れ物だろうか。


引き出してみると、そこには一通の白い封筒があった。

宛名には、丁寧な筆致で『《《黒川くんへ》》』とだけ書かれている。

誰からのものかを示す差出人の名前は、どこにも見当たらなかった。


(手紙……? 僕に?)


黒川は周囲を軽く見渡したが、クラスメートたちは新しい席順に一喜一憂している。

自分に視線を向けている者は一人もいない。

彼はわずかな緊張を覚えながら、封を切って中の便箋を取り出した。

そこには、たった一行だけ、震えるような文字が記されていた。


『もう別れましょう』


「……なんだこれ?」


思わず小さく呟く。

いたずらにしては妙に整いすぎている。

少しだけ迷ってから、便箋をめくる。

次の便箋には、丁寧な字で、こう綴られていた。


『ごめんなさい。

もう、続けることはできません。

今まで、ありがとうございました』


黒川はしばらく、文字を見つめたまま動けなかった。

頭の中で意味を組み立てようとして、うまく噛み合わない。

これは、どう見ても別れの手紙だ。

だが、自分に向けられた理由が分からない。

黒川には、恋人がいた記憶がない。

そもそも、誰かと付き合ったこと自体、一度もない。


(……いや、間違いだろ)


小さく首を振る。

入れ間違いか、悪質ないたずらか。

どちらにしても、自分には関係のない話のはずだった。

それでも、紙の手触りが妙に現実感を持っている。

妙に、重い。


一瞬だけ、手が止まった。


「黒川、なにそれ」


後ろから声がかかった。

振り返ると、二年のとき同じクラスだった田中がニヤニヤしながら覗き込んでいる。


「いや、なんか入ってて」


「ラブレター?」


「いや、逆」


黒川が紙を見せると、相手は一瞬きょとんとしてから、吹き出した。


「は? 別れの手紙?」


「そう書いてある」


「お前、いつの間に彼女できてたんだよ」


「できてない」


即答する。

迷いはない。


「自慢することか」


田中は、腕を組んで、大げさにうなずいた。


「ふ~む、これは、あれだな」


「あれって?」


「ストーカーだ」


「ストーカー?」


「勝手に好きになって、勝手に付き合ってるつもりで、勝手に別れるやつ」


「そんなのあるのか」


「知らんけど、それっぽくない?」


からかうような笑い方だった。

周囲の何人かも、面白そうにこちらを見ている。

黒川は苦笑するしかなかった。


「……笑えないんだけど」


「まあまあ、これでお前も三年早々、失恋って訳か。

焼け食いつき合うぞ、お前のおごりで」


「勝手に失恋さすな」


会話はそこで途切れたが、ざわつきだけが残った。

黒川はもう一度、手紙に目を落とす。


宛名は、確かに黒川。

同じ名前のヤツがいるのか?


黒板に貼られた座席表を見たが、黒川は自分一人。


もしかして、教室を間違えた?


書いた人物にも、書かれる理由にも、心当たりがない。

疑問だけが膨らむ。


どこか引っかかる。


その曖昧さが、余計に気持ち悪かった。




***




周囲を見渡しても、誰もこちらを気にしている様子はない。

犯人探しをするほどの勇気もないし、そもそも心当たりがゼロだ。


(恋愛とか、僕には一番縁遠い世界なのに)


授業中も、黒川は何度も机の中を確認してしまった。

もちろん、封筒が増えているわけでも、便箋が書き換わっているわけでもない。

ただ、そこにあるという事実だけが、じわじわと胸に重くのしかかる。


気づくと、また机の中を確かめていた。


昼休み、クラスメートが弁当を広げる中、黒川はぼんやりと窓の外を眺めていた。

桜が風に揺れている。

そののどかな景色と、自分の机の中にある“別れの手紙”とのギャップが、なんとも言えない虚無感を生む。


放課後が近づくにつれ、黒川の疲労は増していった。

一日中、頭の片隅に手紙の存在が居座り続けたせいだ。


(……結局、何も分からないままか)


チャイムが鳴り、帰り支度を始める。

周囲のクラスメートたちは、部活へ向かったり友人と帰ったりと、いつもの放課後の風景を作っていた。


黒川はゆっくりと鞄を肩にかけた。


そのとき、教室の扉の前に人影が立った。


小柄な女子生徒が、こちらをじっと見ていた。

黒川は思わず息をのんだ。


彼女は、ゆっくりと歩み寄ってくる。


その視線は、まっすぐ黒川に向けられていた。

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