番外編①「夜の水族館」
木曜の夜、ユキからLINEが来た。
「土曜、バイト入ったから会えないや」
「そっか」と返した。
それだけで済むはずだった。でも次のメッセージを見て、アキは少し止まった。
「水族館で合コンのスタッフ。夜の貸し切りらしくてちょっと楽しみ」
アキはスマホを置いた。
夜の水族館。貸し切り。合コンのスタッフ。
頭の中でその三つを並べて、アキは何も考えていないふりをした。べつに関係ない。バイトだ。スタッフだ。ユキは働きに行くだけだ。
スマホを取って「いいじゃん」と打って、送った。
翌日、大学でユキと昼飯を食った。ユキが「土曜のバイト、ドレスコードあるんだって」と言った。
「へえ」
「ちょっとおしゃれしてかなきゃで、どの服がいいかな」
「知らない」
ユキが顔を上げた。
「なんか機嫌悪い?」
「別に」
別に、と言った瞬間に負けだと思った。アキは自分でわかっていた。別に、は語彙が崩壊した人間が使う言葉だ。普段の自分なら絶対言わない。
「ほんとに?」
「普通」
普通も大概だった。
ユキはしばらくアキを見ていた。アキは定食の味噌汁を飲んだ。
「もしかして、行ってほしくない?」
「そんなことない」
「顔に出てるよ」
「出てない」
「出てる」
アキは箸を置いた。
「バイトだろ。別にいいだろ」
「いいって思ってたら『別にいいだろ』って言わないと思うけど」
正確だった。腹が立つくらい正確だった。
アキは窓の外を見た。快晴だった。関係ない。
「……夜の水族館で、おしゃれして、合コンの場にいるのが」
「うん」
「なんか、嫌だな」
言い切ったら、思ったより静かな言葉になった。怒ってもなく、拗ねてもなく、ただ正直に「嫌だな」と出てきた。
ユキが笑った。
「言えるじゃん」
「うるさい」
「かわいい」
「うるさい」
ユキはスマホを取り出して、何か打ち始めた。
「どうした」
「バイト、断る」
「いや、それは」
「行きたくないって言ったじゃん」
「嫌だって言っただけで、行くなとは」
「同じでしょ」とユキは言った。「アキが嫌なら行かない」
あっさりしていた。迷いがなかった。アキは何か言おうとして、言えなかった。
ユキがスマホを置いて、また定食を食べ始めた。
「来週、水族館行こうよ。ちゃんと二人で」
「……それ、俺が言うべきだったやつじゃないか」
「言えなかったじゃん」
言えなかった。完全にそうだった。
「嘘つけないくせに素直でもないんだから、面倒くさいなあ」
ユキは笑いながら言った。
アキは「うるさい」と三回目を言いながら、味噌汁を飲んだ。
来週、水族館に行くことになった。それで、よかった。




