第一話「得意技」
嘘をつくのが得意だった。
悪意のある嘘じゃない。その場をうまく回すための嘘、相手が聞きたいことを言ってあげる嘘、波風を立てないための嘘。そういうのが、瀬川アキは昔から苦もなくできた。
たとえば先輩に「この企画どう思う?」と聞かれたら「方向性はいいと思います、ここだけ詰めれば通りますよ」と言う。本当は企画ごとボツにした方がいいと思っていても。
たとえば友人に「俺って気が利くと思うか?」と聞かれたら「そう思うよ」と言う。そいつが鈍感なのは中学の頃から知っていても。
嘘というより、潤滑油だと思っていた。世の中はこういうので回っている。
問題が起きたのは、付き合い始めて最初の週末だった。
ユキと映画を観に行って、帰りに夕飯を食べて、駅で別れた。家に帰ってソファに座ったら、LINEが来た。
「今日楽しかった?」
アキは画面を見た。楽しかった、当然楽しかった、何なら緊張しすぎて映画の内容をほとんど覚えていないくらい楽しかった。
でも指が止まった。
なぜか「楽しかったよ」の四文字が打てなかった。打とうとするたびに、何かが邪魔をした。楽しかった、は本当のことだ。嘘じゃない。なのに打てない。
五分くらいスマホを持ったまま固まって、結局「うん、また行こう」と送った。
ユキから笑顔のスタンプが返ってきた。
アキはスマホを置いて、天井を見た。
嘘は得意なのに、本当のことが言えなかった。それが妙に、引っかかった。




