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『1400万人の漂流国家 ~弾薬ゼロの自衛隊と最強の政治家が、異世界で「究極の兵站(ロジスティクス)」を無双する~』  作者: 月神世一


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EP 4

金曜日の破壊的スパイス

獣人王アーサーは、泥のような色をした未知の料理『カレーライス』を口に含んだ。

(……なんだ、これは)

彼がこれまで食してきたのは、血の滴るような極上の焼肉か、あるいは岩塩と香草でシンプルに味付けされた野営の食事のみだ。

だが、口の中に広がったそれは、彼の持つ「味覚の歴史」を根底から覆すものだった。

クミン、コリアンダー、ターメリック、カルダモン。

十数種類のスパイスが複雑に絡み合い、焼けた鉄のような鮮烈な香りと刺激が鼻腔を突き抜ける。その直後、じっくりと炒められた玉ねぎの甘みと、長時間煮込まれたポッツ牛(アナステシア世界の肉牛)の濃厚な脂の旨味が、怒涛の勢いで押し寄せてきたのだ。

「……ッ!!」

アーサー王の黄金の瞳孔が、極限まで見開かれた。

彼の理性は、大国のトップとして「常に冷静に歴史を俯瞰せよ」と命じている。しかし、その根底にある獅子の本能ジャングルが、スパイスという名の強烈な刺激を受けて歓喜の咆哮を上げていた。

熱い。辛い。だが、猛烈に美味い。

スプーンを動かす手が、自らの意志とは無関係に加速していく。

「へ、陛下!? 毒見もせずにそんな勢いで……!」

内務官サイラスが青ざめて止めるが、アーサーの耳にはもはや入っていない。

「ハフッ、ハフッ……! ゴクッ……!」

獣の王は、額に滝のような汗をかきながら、ものの数十秒で皿を空にしてしまった。

「おっ、いい食いっぷりじゃな。……ほれ、次はこの『おでん』の大根でも食ってみな」

真一が、エプロン姿のままニヤリと笑い、湯気を立てる琥珀色の大根をアーサーとハガルの前に押し出した。

「……陛下をたぶらかしたな、チキュウの魔術師め」

近衛騎士団長ハガルが、鋭い牙を剥き出しにして真一を睨みつける。

彼の肉体と精神は、常に死と隣り合わせの戦場に置かれている。美味や快楽など、戦士の刃を鈍らせる「毒」でしかない。いかなる幻術や薬物を使おうと、己のストイックな精神(死狂い)を揺るがすことはできない。

ハガルは毒見を兼ねて、警戒度MAXのまま箸で大根を割った。

スッと、抵抗なく大根が切れる。

そのまま一口大に切った大根を、口の中へ放り込んだ。

(……!!)

瞬間。

ハガルの全身を覆っていた分厚い殺気の鎧が、音を立てて崩れ落ちた。

「……な、なんだ。この、優しさは……」

カレーの暴力的なスパイスとは対極にある、静寂。

カツオのイノシン酸と、昆布のグルタミン酸。二つの旨味が極限まで高められた『出汁』を、大根がスポンジのようにたっぷりと吸い込んでいる。

噛むたびに、熱く、甘く、そしてどこまでも深い旨味の滴が、ハガルの口内から脳髄へとじんわりと染み渡っていく。

常に張り詰めていた彼の筋肉が、嘘のように弛緩していく。

死地に赴くことだけを美徳としていた彼の魂が、その「温かい生活の味」によって、赤子のように優しく包み込まれてしまったのだ。

「……美味い」

ポロリ、と。

帝国軍すら恐れる死神・ハガルの豹の瞳から、一筋の美しい涙がこぼれ落ちた。

彼は無言のまま、二口目、三口目と大根を貪り、おでんの汁を最後の一滴まで飲み干した。

「は、ハガル団長まで!? 貴方ほどの戦士が、たかが芋や大根の煮物に精神を支配されるなど……!」

たった一人、食事に手をつけていなかったバード族の内務官サイラスは、戦慄に羽を逆立てた。

王が理性を失い、最強の戦士が涙を流して汁をすすっている。

(これは兵器だ! 武力ではなく、文化と快楽によって対象の思考能力を奪い、依存させる……極めて高度で悪魔的な『洗脳システム』だ!)

サイラスの冷徹な頭脳が、激しい警鐘を鳴らす。

こんなものを国民に知られれば、獣人王国は戦わずしてチキュウの『胃袋の奴隷』にされてしまう。

「騙されませんよ……! 私は、己の遺伝子をこんな下等な欲求で……!」

サイラスは、自らの理性を証明するため、震える手でカレーのスプーンを口に運んだ。

敵の洗脳スパイスの正体を論理的に解き明かし、王たちを正気に戻さねばならない。

「……ほう。香辛料の複合的な……カプサイシンによる痛覚の刺激が、脳内麻薬エンドルフィンの分泌を……それに、この肉の脂と……あ、甘み、が……」

ブツブツと分析を試みていたサイラスの言葉が、徐々に消えていく。

「サイラスさん。お水、ここに置いておきますね。無理しないでくださいね」

割烹着姿の輝夜が、氷の浮かんだグラスをそっと彼の横に置いた。

その月のように穏やかな微笑みと、冷たい水のコントラスト。

「あ……ああ……」

サイラスはスプーンを取り落とし、両手で顔を覆った。

いかなる群集心理も、冷徹な計算も、この圧倒的な「美味しさと優しさ(暴力)」の前では完全に無力だった。彼の優秀すぎる頭脳は、スパイスの刺激と出汁の旨味を完全に処理しきれず、幸福なショート(思考停止)を起こしてしまったのである。

「……すまない。チキュウの将軍よ」

アーサー王が、空になった皿を両手で押し頂きながら、真一に向かって深々と頭を下げた。

「もう一杯、頼めないだろうか。……できれば、その大根というやつも一緒にだ」

「はははっ! ええぞええぞ、遠慮すんな! 輝夜ちゃん、王様におかわりじゃ!」

「はい。たくさん召し上がってくださいね」

エプロン姿の元族総長と、割烹着姿の特使。

武力も威圧も一切使わず、日本の「金曜日の食卓」は、誇り高き獣人王国のトップ3の胃袋と精神を、ものの数分で完全に陥落させてしまったのである。

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