竭ヲ
スサンナを抱えた藤乃がスパルヴィエロに戻っていくのを横目に流し、キャサリンは正体不明の少女をにらみつけた。
イヴ――――少女はそう名乗った。今キャサリンの体を取り込み、超人の力を与えたシェルヴール、その疑似有機繊維はイヴという「人間の」少女をルーツにしている。それなら、目の前にいる『それ』は一体?
「聞いておきたい。お前は人間か?」
「わたしははじまりの子、そしておわりの仔」
「答えになってねぇよ」
「あなたは、人間?」
「当たり前だろ」
「その力、『わたしたち』と同じ。『わたし』と同じ。あなたは、人間?」
自分が本当に人間なのかどうか、疑う人間はいない。人間は自分を人間と認識しているし、他人から見ても人間は人間である。
だが、認識から一歩引いて、論理的な視点に立ってみたらどうだろうか。反重力によって自在に空を飛行し、相手を消化器官もなしに捕食、吸収できるセイバーモード。それと同化している今のキャサリンは、人間であるといえるだろうか。彼女の中枢神経系は、既にセプテントリオン化を始めているというのに。
「そうだな。私はもう人間じゃないかもしれない」
ヒトと動物を分けるもの。生物学的、遺伝学的な要素を除けば、それは大脳の活動、そして情動を持つことが挙げられるだろう。
しかしキャサリンはそれを失いかけている。セイバーモードの反動で感情を失ったら、それでもまだキャサリンは人間でいられるだろうか?
「でも、そんなことは関係ない」
キャサリンが伸ばした手から爪が伸びる。猫科猛獣を模した、というにはあまりにも巨大で、鋭利で、殺意を鈍くその身に光らせる刃。その切っ先は、まっすぐイヴに向けられている。
「お前が人類の敵なら、私はお前の敵だ。つまり、私は人間の味方だ!」
宙を蹴り、イヴへと突撃するキャサリン。行く手を斥候型セプテントリオンが阻むが、その程度は今のキャサリンには恐れる相手ではない。手あたり次第に斬り裂き、突き刺し、千切っては投げ、セイバーモードのF-14Dは繊維と解けたセプテントリオンを取り込んでいく。
今のキャサリンは人間ではないかもしれない。
だが、人間のために戦う戦士である。
「食らいつくせえぇぇぇえッ!」
セイバーモードを使うと感情が無くなっていくらしい。インジーはそれに苦しんでいたっけ――――キャサリンはふと、イングリットの顔を思い出していた。
最初は、感情が無くなることの何がいけないのかと思っていた。それこそ、スサンナと同じように、感情を失っても、航空隊員として空を守れればそれでいいんじゃないかとも。
しかし、自身の変化に怖れ、慄き、わんわん泣いているイングリットを見て、キャサリンの気は変わった。キャサリンは約束した。イングリットを、世界中の誰よりも笑顔にすると。誰よりも幸せにすると。
インジーの笑顔を守るためなら――――いや、待て。
何をどうしたらインジーは笑顔になるのだろう。キャサリンはそれを知っていたはずだ。だから指輪も買ったしプロポーズもした。
EUのコロニーから、ハイスクールを出て幹部候補生として特務航空隊にやってきたイングリットと、一人の航空隊員でしかなかったキャサリン。出会いは最悪だった。
キャサリンはエリートが嫌いだった。生まれがいいとか育ちがいいとか、キャサリンにはどう頑張っても手に入らない評価を最初から当たり前に持っていて、それを振りかざして殴ってくる。
いち農家の出身であるキャサリンは、故郷であるカーソン租界のシェルヴール部隊に入隊した。しかし実戦で良い結果を残すほど上層部はキャサリンのことを疎み、ついには戦績で勝ち取った小隊長の座を奪われてしまった。
あてがわれた国連軍所属スパルヴィエロ特務航空小隊の小隊員の座。軍曹の階級を与えられ、ここでも絶対に成り上がってやろうと息巻いて昇格試験に臨んでいたキャサリン。その目の前に突然、最初から尉官の階級持ちで現れたイングリット。キャサリンがイングリットを毛嫌いしないわけがなかった。
当時、スパルヴィエロは南極基地の地下ドッグで建造中だった。トレーニングにも顔を出さず、哨戒任務(南極基地の外は極寒の氷雪地獄である)からも外されていて、週に一度のブリーフィングでも眠そうな顔をしている。なんでやる気のないエリート様なんだと怒りも覚えた。その真相をキャサリンが知ったのは、スパルヴィエロが完成した、進水式の日であった。
式に顔を見せないイングリットをなじってやろうとしたキャサリンは、彼女が誰も知らない訓練室――――机上演習室にいるのを発見した。
イングリットはやる気がないのではなかった。
彼女は、小隊長候補に出される「犠牲を払ってでも勝利する」という兵棋訓練課題を幾度も繰り返していたのだ。
たかがシミュレーション。でも、そこで起こるのは実際の戦場でも起こりうる事態ばかりだ。
課題の内容を聞かされ、キャサリンは思った――――イングリットは他のエリートとは違う。キャサリンの見てきたエリートは、皆下層階級の人間を見下していた。末端の兵士なんて畑から生えてくる、使い捨てられる命だと思っているようなヤツら。
でもイングリットは、部下の命を散らす選択に苦しんでいる。イングリットは他のエリートどもとは違う、と。
そしてこうも思った。イングリットはエリートに相応しくない。生まれも、育ちも、能力も。全部備わっているけれど、イングリットは性格に悪辣さがなさすぎる。
それなら――――。キャサリンは、失われていく命にぽろぽろと涙を流すイングリットの肩を掴んで言った。
お前の考えた作戦は、私が成功させる。誰も死なせない、こんなシミュレータの考えた予想なんて、二人でぶち壊しにしてやろうぜ。
スパルヴィエロの小隊長にはキャサリンが選ばれた。イングリットが艦長にそう進言したのだ。隊長として至らないところは自分がフォローするから、と。それから、キャサリンとイングリットの二人で航空小隊を率いる今の体制が出来た。
伸ばした糸が引き戻される。
数千はいたセプテントリオンは、みなキャサリンのF-14Dに食らいつくされた。エネルギーがみなぎり、セイバーモードの毛皮状表皮組織を橙色の光が走る。
セイバーモードの鋭敏な感覚器官がその存在を告げる。頭頂部に生えた猫耳がピクリと痙攣し、首の後ろめがけて槍を構えて突撃してくるイヴを感知した。
体をひねって槍の切っ先を避け、キャサリンは槍にかみつく。
イヴは騎槍を右手で掴んでいる。槍を封じれば片手しか使えない。そうなれば両手の空いているキャサリンのほうが有利だ。
振り向きざまに、キャサリンは左手の虎爪でイヴの脇腹を突き刺しにかかる。だがイヴは槍を手放して後ろへ飛ぶ。キャサリンの爪は虚空を裂き、イヴは引いた右前腕を新しい槍へ変形させた。
突き出される槍。回避は間に合わない。キャサリンは槍を口から離し、左の平手を突き出した。
「……んぐっ」
イヴの突き出した槍は、キャサリンの左掌を貫通して止まった。飛び出した血と肉と骨の断片が飛び散り、キャサリンの頬を赤く染める。
「今度は逃がさねぇ……!」
槍を突き刺されたまま、キャサリンは右手を伸ばして詰め寄り、イヴの首を掴んだ。
人間なら、まだ十数歳といった見た目か。セイバーモードで変異したキャサリンの猛獣のような腕は、易々とイヴの細っこい首回りを締め上げる。
最初は適当にあしらって、時間を稼ぐつもりだった。
スサンナをスパルヴィエロに送った藤乃は、きっと完全武装でここに戻ってくる。それまでの時間が稼ぐ、それだけで十分だ。
だが気が変わった。至近距離でやり合い、キャサリンは悟った。藤乃では、絶対にイヴに勝つことはできない。1メートル未満の距離から繰り出される攻撃すら、イヴは的確に反応して避けてしまう。
イヴは人間のような姿こそしているが、セプテントリオンである。その体は有機繊維で構成され、全身が脳であり、神経であり、筋肉である。人類の持つ兵器では、イヴに致命打を与えることはできない。どんな機関砲も、ミサイルも、イヴは容易く避けてしまうだろう。
キャサリンがその選択をするのに、逡巡の時間はかからなかった。
「……お前だけは、ここで倒す。私の、命に代えてもなァ!」
藤乃が戻ってくる前に。今なら、失われるのは私の命だけで済む。
指揮官というのは、時に非情の決断を強いられる。一人の犠牲で、多くを救えるとき。指揮官は、一人の犠牲を選ばなければならない。今がその時だ。
キャサリンがシェルヴールのリミッターを解除する。セイバーモードはセプテントリオンと同種の力。だが、それがセプテントリオンと化すことはない。なぜならば、人間の制御下にあるから――――ならば、制御を失ったシェルヴールはどうなるか。
キャサリンの全身から、四方八方に向けて糸が射出される。イヴはキャサリンがシェルヴールを暴走させ、自身を食らおうとしていることを察し、顔を青くした。
「バケモノのお前でも、死ぬときは怖いのか」
私はもう、怖いとかないけどな。
セイバーモードに感情を食らいつくされたキャサリンが最後に感じたのは、宿敵を屠れる喜びでも、自身の死に対する恐怖でもない。
たった一つ、約束したこと――――世界で誰よりも幸せにすると、イングリットとしたばかりの約束を守れなかった後悔であった。




