最強令嬢、女帝になる
「プロイセンでは、銀食器を鋳潰して戦費に当ててるようです」
「プロイセンが、脱走兵の帰還を懲罰なしで認めるようです」
プロイセンが苦しいとの報告が、次から次に届く。
だがこの野郎は、負けたら終わりの戦いを、次々に仕掛けては勝ちやがる。
基幹となる主力兵団と、東欧騎兵に対抗する為に整えた新式騎兵で、戦線のあちこちを飛び回っては会戦を挑む。
わたしも認めざるを得ない。
オーストリアの軍制と歩兵装備が貧弱だということを。
「またカールかぁ……」
わたしの義弟カール、とてもかわいいのだけれど、フリードリヒには敵わない。
ゾールで四万の軍勢が、大王直卒の二万の奇襲をくらって負けた。
奴は、戦場での勝利を積み重ね、いつの間にかプロイセン国内で『大王』と呼ばれるようになったらしい。
それでも乾坤一擲の大作戦、三方からのベルリン侵攻。
この準備は着々と整う。
しかし、この作戦が漏れた。
一つには、前線から離れたウィーンで立てた作戦であること。
もう一つは、オーストリアが勝ちすぎる事を望まない者が多いこと。
ロシアの襲来の前に和平をと、フリードリヒの野郎は、ザクセン軍とオーストリア軍に立て続けに襲いかかった。
「まーそれにしても滅茶苦茶ね。君主自らが戦場を横断して、損害もそのままに精鋭をぶつけて回るなんて!」
プロイセンの主力も壊滅状態だが、我が方の攻撃部隊も大きく後退させられた。
ロシア帝国に、『単独で侵攻して!』とは言えない。
グレートブリテンからは、矢のような和平の催促が飛んでくる。
「潮時かしらねぇ……」
わたしの言葉に、家臣たちもぴくりと反応した。
今や、開戦当時のわたしではない。
廷臣に方針を左右されることはなく、わたしが続けるか止めるか決めることが出来る。
さらに西と南、すなわちフランスとスペインが本腰を入れたこともある。
「何時までも、プロイセンに構ってられないわね」
わたしは少し大人になったのだ。
1745年の冬。
寒いドイツでは戦間期に入る。
この年、三年前の条約を追認することで、プロイセンと引き分けた。
「ちっ……運のいい野郎だ」とは思うが、常に陣頭指揮を執り続けた奴の粘り勝ちか。
わたしが男なら、間違いなくベルリンにハプスブルクの旗を立ててやったものの。
「転戦よ。各軍を再編、イタリアとライン川に送りなさい。それから、プロイセンと和平したんだから英国に本気を出せと伝えて」
「はっ!」と異議なく承知して、武官も文官も散る。
シレジアを奪われたが、わたしは君主として絶対に必要な臣下からの信頼と忠誠を得た。
ハプスブルクは、残りの領土を全て守り通す。
これで、我が家の領地は一体不可分であると証明し、名実ともに『ハプスブルク帝国』となった。
何時しか、わたしは『女帝』と呼ばれるようになった。
この戦争は新大陸にも広がり、わたしはそこで英仏の決着が付くのをじっと待つ。
二度も勝手に単独和平したプロイセンは、外交に苦労しているらしい。
当分はフランスと同盟など結べない。
ついでに、戦場に行ったきりだったフリードリヒと奥方の間も冷え切ったそうだ。
ざまぁ。
二十三歳の時、父上の急逝で、実質的な権力も名声もなかったわたしが、急遽家を継いだ。
当時は半信半疑だった臣下も、今でも”まだ若い”わたしの差配を軽んじる者は居なくなった。
ハプスブルクは以前よりも一体性を増し、今も変わらず中欧最強の帝国として君臨している。
ついでに、1740年から8年間の戦争の間、わたしはフランツとの間に8人の子を産んだ。
つまり、仕事も家庭も両立したわたしの勝ち!
と言えなくもない。
「ですけど……シレジアは返してもらいます。フランスとロシアに人をやって頂戴な。今度は徹底的に、フリードリヒの野郎を叩き潰すわよ!」
――オーストリア継承編―― 完
かなり楽しく書けました
『なろう主人公』的には、相手のフリードリヒの方が適任ですが




